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国際人権ひろば No.54(2004年03月発行号)
特集:12万人の人々が「もうひとつの世界」を考えた世界社会フォーラムPart1
もうひとつの世界をつくりだす民衆の多様な運動の場
小倉 利丸 (おぐら としまる)
世界社会フォーラム連絡会事務局・ピープルズプラン研究所共同代表
■ インドで開催された「第4回世界社会フォーラム」
2004年の1月16日から21日にかけて、インドのムンバイで12万人というこれまでにない参加者を集めて4回目の世界社会フォーラム(World Social Forum、以下WSFと呼ぶ)が開催された。
99年のシアトルにおける世界貿易機関(WTO)閣僚会議に対する抗議行動は、新自由主義によるグローバル化に反対する世界規模の闘いとして象徴的な意義をもった。01年にブラジルのポルトアレグレで最初に開催されたWSFは、グローバル化が第三世界にもたらしてきた搾取と貧困、差別、暴力、戦争、資源の支配といった様々な問題に取り組む多様な民衆の運動が相互に連携し、闘いの戦略や状況認識を共有するための「場」として出発した。WSFは、IMF、世界銀行、G8など、主要な国際会議と対抗するための「作戦会議」の場としての意味ももってきた。事実、03年のWSFでは同年9月のWTOカンクーン会議への取り組みについて多くの議論がなされ、カンクーンの会議は、先進国の思惑を裏切って何一つ決められずに失敗に追い込まれた。
これまでのWSFが、ラテンアメリカというアジアからかなり離れた場所での開催だったことにより、地理的にアジアからの参加者がなかなか得られなかったのに対して、インドでの開催ではかなりの参加者が南アジアをはじめとしてアジア全域に及んだ。日本からも500名を越えた。WSFがアジアから中東にかけて大きな足掛かりを獲得できたという点で、今回のWSFの意義は計り知れないものがある。
■ 個別課題を超えた巨大なネットワークの場
ポルトアレグレでのWSFは、地元自治体が、社会主義政権であることも手伝って、非常に恵まれた環境のなかで開催された。もちろん、10万人におよぶ参加者の要求を満たすことは至難の技で、参加者は膨大な人と、どこで何が行われているのかがさっぱりわからない情報の欠如に振り回された。
しかし、それでもなおお互いが議論、デモ、イベントなどを共有できる環境が生み出す連帯の感情は、インターネットなどでは決して得られないものだ。国際NGOのリーダーシップが幅をきかせがちな国際会議とは違って、個別の課題を越えた多様な運動体が、しかもコミュニティで活動する小さな運動体から国際NGOや労働運動のナショナルセンターといった団体までが、それぞれ自主的にセミナー、ワークショップ、文化イベントなどを自由に企画できるのである。毎日200ほどこうした企画が立てられ、これがWSFの柱になる。さらに、反戦運動や社会運動といった大きなテーマ別に、関係する多くの団体が共同して集会や「戦略会議」などを開くのである。
WSFは、こうして世界がかかえているありとあらゆる問題が同時に提示され議論される他に例を見ない場所である。経済のグローバル化の問題は戦争の問題と関わって議論され、環境の問題が多国籍企業や先進国の資源支配や知的所有権の問題とつながり、ジェンダーの問題が軍隊や家父長制的なイデオロギーの問題とつながり、教育の問題が子どもの労働と搾取そして貧困の問題へとつらなる。
こうした個別の課題を越えた運動の網の目が、あたかも巨大な迷路のように会場を覆う。参加する私たちは、この迷路のなかで、私たち自身の位置に自覚的にならざるを得ない。果たして私たちは的確な方向を取っているのかどうか、私たちが誰とどのようなつながりをつけるべきなのか、こうしたことに迷路にいるからこそ自覚的になれる。
だから、WSFに集まるコミュニティの活動家たちは、個別の課題に関わりながら、それをグローバルな政治や経済の仕組みのなかに位置づけて議論する。たとえば、日本では殆んど聞かれなくなった「帝国主義」とか「搾取」といった言葉は決して死語にはなっていない。冷戦と社会主義圏の崩壊は、資本主義の正しさを証明したというよりもむしろ資本主義と市場経済が経済的な平等や社会的な権利をないがしろにする傲慢さを第三世界にもたらした。WSFがスローガンとして掲げる「もう一つの世界」はこうした問題意識の共有を表現したものとして受け入れられてきた。
■ インドの現実から世界の課題を学んだ参加者
WSFがインドで開かれたことによって、インドという場所がもつ課題から、いくつかの普遍的な課題を発見したように思う。たとえば、インドの現政権がヒンドゥ原理主義と密接な関わりを持ち、国内のイスラム教徒たちが大きな迫害にさらされており、いわゆる宗教の原理主義(インドでは「コミュナリズム」とよばれる排外主義として議論されてきた)と暴力の問題にかなりの関心が集まった。
また、ダリットとよばれる被差別民の置かれた差別と社会的排除の問題、パキスタンとの間のカシミールの領有をめぐる紛争や核兵器問題、IT産業などが急速に発達する一方で、路上で生活する膨大な貧困層を都市にかかえ、また農村と都市との間の貧富の差の拡大など重層的複合的な貧困と差別の問題など、インドの国内がかかえてきた問題を通じてこれらが指し示すより普遍的な課題が、外国からの参加者にもはっきりと自覚されるきっかけとなったようだ。
WSFが、海外の国際集会などに参加できるだけの経済的に余裕がある個人や、旅費を支給できるだけの財政的に余裕のある団体などによって支えられている側面があることは事実だ。草の根のコミュニティの活動家や貧困な国、地域からの参加をどのように実現するか、裕福な先進国の財団や北欧の政府などの助成にどこまで頼るべきか、どうすれば第三世界の運動が財政的にも民衆を基盤にうちたてられるか、などいくつもの未解決の課題がある。
日本からですら、資金、時間、言葉、という三つの条件がクリアできないとなかなか参加の決心がつかないという人が多い。地域で活動する市民運動団体などになればなるほど、仕事を休み、通訳を連れていくようなことは困難になる。私が準備で関わった米軍基地問題についてのセミナーでも、日本各地の現地の活動家が直接参加できる態勢をとれるのが理想だったが、沖縄からの参加者を得るのがやっとのことだった。
■ WSFを通過点として
日本の政府、企業などに対して、外国で運動している人たちが日本の運動との連帯や連携、日本の運動に期待することは非常に大きい。特に、東アジアは、多くの国家間の緊張関係にさらされている。日本政府は朝鮮半島の分断を促し、地域の緊張を高めようとする右翼的な外交にますますはまりこんでいるし、台湾問題は国連という枠組では解決しがたい問題を含んでいる。東アジア地域をめぐる国際関係が国家間の利害や主導権争い、あるいは自由貿易協定のように資本の利害を優先させ、人々の安全や生存の権利を奪う方向に向かいがちななかで、この地域に住む人たちが、国家の外交といった枠組を相対化できるような「もう一つの東アジア」を創り出す運動が是非とも必要になっていると思う。
WSFでもこうした地域フォーラムを通じて、国家間の紛争に対抗して人々の連帯を作りだし、貧困や搾取を生み出す資本と戦争のグローバル化を逆に民衆の側が押さえ込む地域での取り組みが必要だということが何度も強調された。
他方で、フォーラムそれ自身は主催者が仕切るイベントではなく、参加者みずからが主体的に次にどのようなアクションを起すかを議論する「作戦会議」、情報や意見交換の場である。だから、WSF は「プロセスにすぎない」。つまり、WSFはあくまでも自分達の運動の今後をつくりだすための一つの通過点に過ぎないのだということが強調される。
この点で今年のWSFで大きな運動の課題として議論されたのが、イラク開戦一周年にあたる3月20日に世界規模の統一反戦行動を創り出すことや、世界の「帝国」米国の大統領選挙に世界規模で介入し、「ブッシュ落選運動」に取り組もうという提起だったと思う。特に落選運動は今年のグローバルな反戦運動の大きな課題になりそうだ。
注) 日本では、
WSF連絡会という個人参加の緩やかなネットワークができている。
WSF2004の公式ウエッブは
http://www.wsfindia.org/。