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国際人権ひろば No.55(2004年05月発行号)

特集:先端医療と人権 Part1

クローン-人の生殖細胞資源化をめぐって

福本 英子 (ふくもと えいこ) ジャーナリスト

■ 人クローン胚解禁?


 ヒト胚の扱いをめぐって国の総合科学技術会議生命倫理専門調査会で激しい議論が続けられている。焦点になっているのはクローン胚の作成を認めるかどうかということと、これと関連して受精胚の研究目的での作成を認めるかどうかということである。
 体外で人工的に人の胚を作る行為は、現在国の法律や指針で規制されていて、クローン胚の作成はクローン規制法「ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律」(00年12月公布)と、それに基づいて作られた特定胚指針「特定胚の取扱いに関する指針」(01年12月告示)によって、事実上禁止されている。また、受精胚のほうは、ES細胞指針「ヒトES細胞の樹立及び使用に関する指針」(01年9月)で生殖補助医療を目的とする場合を除いて作成が認められていない。
 これは、ヒト胚は「ヒトの生命の萌芽であるから、研究目的で利用する場合は極めて慎重でなければならず、研究のために新たにヒト胚を作ることは当面認められない」という、旧科学技術会議生命倫理委員会がヒト胚研究小委員会によって打ち出した考え方によるものだった。これによってES細胞指針は、ヒトES細胞研究には新しく受精胚を作ることを認めず、生殖補助医療のために作られて使われずに廃棄することになった"余剰胚"を当てることにした。クローン胚については、これを作るのはヒト胚の新規作成に当たり、受精胚の新規作成が認められない以上は認められないとして、ヒトの要素の強い他の特定胚(人工的な加工胚)と共に容認が先送りされた。
 その結果、ヒトES細胞研究はできるがヒトクローン胚研究はできず、それができるようになるには、まず受精胚の新規作成(生殖目的外作成)が認められなければならないということになったのである。
 しかし、クローン規正法は施行からまもなく3年になり、見直しの時期にきている。この際、規制を緩和してクローン胚を解禁するというのが総合科学技術会議のハラづもりのようで、それに根拠を与えるためのヒト胚審議であるようだ。ようだというのは、審議を傍聴し議事録を読むだけの者には真意を読みとるのが難しいからだが、ヒト胚の扱いについて生殖補助医療まで含めた包括的な検討をするという、旧生命倫理委員会の時から手がつけられず、先送りにされてきた課題がある。今回ようやくその課題に手がつけられたかに見えたのが、いつのまにか話はクローン胚作成の是非と、研究目的での受精胚作成の是非に絞られてしまっている。となると、そう理解するほかないだろう。
 委員の意見は是と否に分かれて激しく対立したままであり、どっちかにまとまると思える状態では今のところまったくないが、薬師寺泰蔵調査会会長は6月4日をタイムリミットに、なんとか意見集約を図って、最終報告書を書きあげる構えである。答はまもなく出されることになる。

■ 人の胚が資源になった


 人の胚は子どもになるためにだけ存在するものだったが、その人の胚に資源価値が発生して、さまざまな方面から熱い視線が注がれ、資源として利用され始めている。
 こうなったのは、まず体外受精技術によって胚の体外操作・加工の道が開かれた(78年)からであり、そこに体細胞クローン技術という精鋭な胚加工技術が加わった(97年)からであり、さらにヒトES細胞が登場して(98年)、それら加工胚に子どもではなくモノを作るという新しい使い道を与えたからである。
 体外受精は生殖を私的空間から解放して空間的・時間的に操作できるものにしただけでなく、胚それ自体に手が加えられるようにし、遺伝子操作による胚の遺伝子改変や着床前診断による胚の選別のための基礎を作った。クローン技術は、その上に出てきた最先端の胚加工術である。これは偶然を排除して「私そのもの」の遺伝子組成を持つ胚を作る。それでもこの段階では胚はまだ生殖のための材料であるに留まって、クローンでさえ、個体の複製技術でしかなかった。それをES細胞が変えた。
 ヒトES細胞の技術は、人になるべき発生の道筋を人為的に変えて、胚から無限に増え続ける未分化細胞(ES細胞)を作り、これを分化させて目的の体細胞や臓器を作り出すというもので、これで移植医療用の肝細胞や神経細胞、臓器の大量生産をし、新しい再生医療と新しい医療材料産業を成立させるというシナリオが書かれている。
 体外加工胚ならどれでもES細胞化が可能で、今まだ材料は世界的に体外受精胚に限定されているが、クローン胚からなら免疫抑制を必要としない自前の移植材料を作ることができるというので研究者の関心は高い。生命倫理専門調査会でクローン胚解禁を主張する人たちが唯一の論拠としているのも、これを作って難病で苦しむ人たちを救うべきだということである。
 つまりヒトES細胞が人の胚でモノを作ることを可能にし、人の胚を資源にして、これを工業生産のしくみの中に組み込むのである。資源であればここには各種特許設定の大きな可能性が抱え込まれているのであって、開発へのボルテージは高いのである。
 これが生命倫理専門調査会のヒト胚審議の背景である。

■ 人権崩壊へ


 だが、人の胚でモノを作り、特許をとり産業を興し、その産物で医療を発展させるというのは、人が歴史上経験したことのない初めての事態である。社会のしくみもしきたりや生活習慣、文化、価値観も、こういうことを前提にして作られてきてはいないから、これが何をもたらすか予測はつかないけれども影響は大きいはずだ。
 幸いというべきか、胚利用技術は未確立で初歩的な研究の段階にある。ヒトES細胞技術は狙いの体細胞を分化させることが、再現性のある形では成功していないし、クローン技術は動物で正常な個体はほとんどできないことがはっきりしてきている。体細胞核の初期化に関わる遺伝子構造とは別のしくみがあって、そのしくみがまだ解明されていないのだそうで、今の技術はとても人に使えるようなものではないという。当然これはクローンES細胞で移植材料を作る場合にも当てはまるだろう。ヒト胚利用技術が、15年もの間おびただしい数の人の人体実験をしながら結局商品になるものが一つも出てこなかったあの遺伝子治療と同じ道をたどることもあり得ないことではない。
 しかし仮にそうなるとしても、研究は当分続くだろうし、それによって胚が濫費され、未熟な研究結果が臨床研究と称して人に使われることになるだろう。今回、もしクローン胚が解禁され、ついでに受精胚の新規作成も認められれば、どっちも材料となる卵子が必要になり、これを調達するために女性のハラに吸引針やメスが入ることになる。それをやるのは産婦人科医で、産婦人科医は治療ではなく研究者のために卵をとる目的だけで患者の体に侵襲を加える。卵や胚を手にした研究者はその品質を測るために遺伝子診断をする。これが人の胚が資源になるということのとりあえずのなかみである。
 ここでは、女性が資源の鉱脈にされ、プライバシーが侵され、医療が資源の採取場所になり、医師に与えられた特権が濫用・拡大され、実験室で卵と胚が使い捨てられ、患者が実験動物にされる。その結果、ことがうまく運べば人の胚は研究者と企業に大きな金銭上の利益をもたらし経済を活性化するわけである。
 さまざまな場面で「合法的な」人権侵害が起こるだろう。そして、人権という規範が崩壊に向かうだろう。それはもう始まっている。
 生命倫理専門調査会は、今回の審議の中間報告で、人クローン胚の作成・利用は人間の尊厳の理念に照らして原則許されないが、「有用性」が大きい場合は、例外的に認める余地があるとしている。人の生命に有用性という価値基準を持ち込むのは優性学の基本である。