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国際人権ひろば No.55(2004年05月発行号)

Human Interview

いろんなことに挑戦しながら、新しいビジネスを起業したいです。

ロハヤティ ビンティ パイディ さん (Rohayati Binti Paidi) FM CO・CO・LOプログラム・スタッフ

プロフィール:
マレーシアのジョホール・バル州出身。FM CO・CO・LO(76.5 MHz)のプログラム・スタッフとして、毎週月・火・水曜日のAM6:33~7:00に放送されるマレー語番組「Salam Mesra Dari Malaysia」(マレーシアからあたたかいご挨拶という意味)のDJを担当している。1999年来日。現在、滋賀大学大学院修士課程2年に在籍。

聞き手:藤本伸樹(ヒューライツ大阪)


藤本:まず、ご担当の番組のことからうかがいます。Salam Mesra Dari Malaysiaでは、日本語を交えながらおもにマレー語で話されていますが、リスナーはどんな人たちですか。

ヤティ:私は2001年4月から番組を担当していますが、一番多いリスナーは日本人です。観光旅行をしたのがきっかけで、もっとマレーシアのことを知りたいという人たちなどです。マレーシアの最新ニュースや音楽情報などを伝えています。とても上手なマレー語で、リクエストのメールを送ってくる日本人もいます。在日マレーシア人リスナーの場合、とくにマレーシアの新年には番組を通じて友だちに挨拶を送ったりしています。ちなみに、マレーシアはおもにマレー系、中国系、インド系の人たちで成り立っていますが、それぞれ新年を迎える時期が異なっています。だから、マレーシアは一年を通して休みが多いですね(笑)。

藤本:ヤティさんご自身のことについて聞かせていただきます。日本に留学しようと決めたきっかけはなんですか。

ヤティ:私が大学に進学するとき、たまたま姉が大阪大学に留学し情報工学を専攻していたのです。日本のよい点についてよく話を聞いていたので、来てみたくなったのがきっかけです。当時から、将来はビジネス・ウーマンになりたいと思っていたので専攻は経営学かなと考えました。でも、経済学のほうが就職に有利ではないかという姉のアドバイスで、マラヤ大学の経済学部に入学し、日本留学特別コースに所属しました。そこは2年のコースで、1年目はマレー語が指導言語だったのですが、2年目はすべての授業が日本語で行われました。先生も日本人ばかりでした。そうやって、日本語の特訓を受けたあと、1999年4月に神戸大学経済学部に入学したのです。最初は日本語の授業にまったくついていけず、日本人のクラスメートからノートを借りてなんとか定期試験を乗り切りました。

藤本:卒業論文のテーマは何だったのですか。

ヤティ:マレーシアの産業構造の変遷についてです。イギリスから独立以降、ゴムの生産やスズの採掘に代表される第1次産業から第2次、そして第3次産業へとどのように変化していったのかなどについて書きました。第3次産業に関しては、観光業もありますが、首都クアラルンプールではマルティメディア・スーパー・コリドーと呼ばれる、IT技術の開発機関を世界中から誘致する新産業都市の開発が積極的に行われています。そうしたことに関して論じました。

藤本:論文は何語で書いたのですか。

ヤティ:日本語です。もう、たいへんでした。

藤本:えらいですね。私などは、母語の日本語で簡単なことを書くときでもさんざん苦労しているというのに(笑)。この4月から滋賀大学大学院の修士課程2年生だとうかがっていますが、研究は引き続き経済学なのですか。

ヤティ:今度は経営学を専攻しています。

藤本:ビジネスへの道にさらに近づきましたね。具体的にはどんな研究をしているのですか。

ヤティ:1年目のときは経営組織論やマーケティングなど幅広い科目を履修しましたが、2年目は人的資源管理を専門的に研究し、修士論文もそれに絞るつもりです。実は、2004年2月に一時帰国し、故郷のジョホール・バルにある工業団地に進出してきている日系企業のうち5社・約200人のマレーシア人社員を対象に職務意識調査を行いました。業種は製造業ばかりですが、大企業と中小企業の両方を対象にしました。

藤本:どんなことを質問項目にあげたのですか。

ヤティ:たとえば日本企業で働くことの満足度はどうかという点についてです。また、マレー人は時間にルーズなどと言われることがよくありますが、日系企業で働くようになって意識や態度がどう変化したかなどについてです。指導教官と相談しながら合計で30ほどの質問を念入りに作成し、事前にマレーシア人の友だちに試験的に答えてもらったりもしました。日本的経営システムはよい点が多いという仮説を私は立てていることから、たぶん高い満足度を示す結果がでるのではないかと思っています。

藤本:アンケートの集計はこれからの作業になるわけですね。

ヤティ:はい。早く集計して分析しなければと思っています。できれば、マレー系、中国系、インド系といった民族別で違いがあるかどうか知りたいところです。

藤本:集計の結果については、興味深いですね。さて、ヤティさんは、神戸大学に入学して以来、日本在住はまる5年になるわけですね。日本で続けている趣味は何かありますか。

ヤティ:マレーシアのダンスを踊ることです。大阪にあるマレーシア政府観光局が、毎週土曜日にダンス教室を開いているのですが、私はそこで習うと同時に、教えてもいます。
 そこにはマレーシア人だけでなく日本人も練習にきています。

藤本:どんなダンスを踊っているのですか。

ヤティ:マレー系、中国系、インド系のダンス、それにマレー半島の踊りだけでなくサバ州やサラワク州のダンスもやっています。だいたい4人以上のグループによるダンスが多いです。マレーシア観光のプロモーションや国際交流のイベントなどで披露しており、大阪が一番多いですけれど、遠くは福岡まで遠征するときもあります。ダンスは本当に大好きです。

藤本:来年3月に大学院を修了されるわけですが、その後の進路は決めているのですか。

ヤティ:マレーシアに帰るつもりです。大学の先生になりたいとも考えているのですが、まずはたぶん日系企業に就職して、経営というものを実践で学んで、将来の独立を準備したいです。

藤本:どんなビジネスを手がけたいのですか。

ヤティ:私にむいているのは女性をお客さんにしたブティックやヘアー・サロン、メイクの店ではないか、とよく友だちに言われます。でも、私としてはレストランもやってみたいです。たとえば、日本の回転寿司の手法を使って、いろんな種類のおかずをクルクルと回して出す店などが頭に浮かんできます。また、お菓子の店もよさそうですね。マレーシアの屋台ではたくさんの種類のお菓子が売られています。それらをやはり回転寿司方式で提供するのです。屋台の味をちょっとおしゃれな回転レストランでという趣向です。

藤本:さまざまなアイデアが出てきますね。

ヤティ:はい。いろんなことに挑戦していきたいです。そんなふうに起業家として新しいビジネスを起こしたいです。

藤本:それに加えて、帰国後も大好きな踊りを続けていくつもりですか。

ヤティ:もちろん、そうしたいです。これからますます忙しくなりそうです。

藤本:最後になりますが、日本の大学で経済学や経営学を研究し、将来はマレーシアでビジネスを起こそうと夢を抱いているヤティさんならではの質問をさせてください。いまあまり元気がない大阪の経済を活性化させるために、何かいいアイデアはないでしょうか。

ヤティ:うーん、とても難しい質問ですね...ひとつ思いつくことは、地元や日本国内の企業に頼るだけでなく、投資や経済活動のシステムをもっと国際的にオープンにして、海外からも企業を積極的に誘致して、経済を活性化させるべきではないでしょうか。