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国際人権ひろば No.56(2004年07月発行号)
特集:女性に対する暴力 Part2
韓国の「女性に対する暴力」の問題の制度化と女性運動
朴 仁惠 (ぱく いんひぇ) 韓国女性ホットライン 常任代表
韓国の女性運動がこの20年間に成し遂げた運動の成果は非常に大きいといえる。中でも法律制定と制度の整備は注目に値する。特に、女性に対する暴力追放運動は、被害事例の掘り起こし、問題との闘い、それに伴う中央レベルでの法律制定運動、制定後の法執行への参画という運動スタイルを生み、劣悪な状況にあった女性団体が量的に成長できる物理的基盤となった。各地で女性団体が活発になり、全国的なネットワークも強まった。こうした力はまた新たな法律制定運動の土台となり、政府への強力な圧力になっている。一方、このことは、女性運動やNGOのアイデンティティについての議論をもたらし、運動の進路について自らを省察する契機になっている。
■ 制度化の内容
女性に対する暴力追放のために作られた法律は、「性暴力犯罪の処罰及び被害者保護等に関する法律」(93年)、「DV防止及び被害者保護に関する法律」「DV犯罪の処罰等に関する法律」(97年)、「性売買斡旋等行為の処罰に関する法律」(04年)がある。また1999年「男女差別禁止及び救済に関する法律」が制定され、「男女雇用平等法」改定によって職場のセクハラを解決する法的基盤を作った。
政策を推進する重要な機関は、女性省と法務省である。
被害者保護は、全国で24時間運営している「女性緊急電話1366
1」と相談所
2とシェルター
3を中心に運営されている。こうした施設はほぼ100%民間が運営して、その半数は社団法人格をもつ女性団体の運営である。関連法によって1~3人の人件費の一部がサポートされるが、その対象になっている相談所は50%に満たない。
■ 韓国女性ホットラインの活動
韓国女性ホットラインの歴史は、韓国の「女性に対する暴力」追放運動の歴史である。女性ホットラインは1983年に創立し、韓国社会で初めて「妻を殴る」問題を提起し、女性に対する暴力追放運動と法律制定運動を牽引してきた。女性の人権擁護、女性の福祉、性平等の実現、女性のエンパワメントを目的に全国25ヶ所の支部、相談所28ヶ所、シェルター9ヶ所、「1366」が1ヶ所、女性の人的資源開発センター2ヶ所を運営しながら活動を行っている。また地方政府の女性政策を追及・モニターをしており、メディアの暴力性の監視もしている。これまでの活動内容をまとめて、『韓国女性運動史
4』(創立15周年記念)、『性暴力を再び書く:客観性、女性運動、人権』(創立20周年記念)などの数冊の本を出版した。
■ 制度化とその結果
女性運動の制度編入の傾向
制度化の最も大きな成果は、女性に対する暴力が社会犯罪であるということに合意ができて、女性運動団体が全面的に担っていたこの問題を国家が遂行するための法的基盤を整備したことである。しかしこれは、NGOが被害者保護のサービスを行い、政府がその予算の一部を支援するという不完全な制度である。これにより、女性団体は国家の義務遂行を強く促すと同時に国家政策の委託先になるという2重の役割を負うことになった。
当初、女性団体は相談所におりる予算を得るため競うように相談所を設立した。多くの女性団体が優先的に相談所に力を注ぎ、その結果、女性団体は「女性に対する暴力」という課題を「相談」という方法で遂行する共通点を持つようになった。制度化以前に比べ、活動の財政的な困難は軽減された。
しかし女性省は効率的な相談所の管理を目的とし、当然それを運営する女性団体との葛藤が増している。女性団体は、運動なのか政府の福祉サービスの執行単位なのか、そのいずれかを選択すべき岐路に立っている。
■ 女性の人権概念の縮小と細分化
国連女性差別撤廃委員会は、1992年の第11会期の「一般勧告第19」において女性に対する暴力を女性差別の禁止対象に追加し、女性の人権は、女性に対する暴力とあらゆる差別をなくすことであることが明白になった。また北京女性会議は「女性の権利は人権」という命題の下に身体的、精神的、性的、経済的暴力廃止を含む広範囲な概念として整理した。
しかし韓国での法制化の過程では、暴力と差別は分けられ互いに違う問題として認識された。のみならず1992年の性暴力特別法の制定過程で起こった性暴力の概念論争の結果、性暴力(gender violence)はDVとセクハラを除いた「性器中心の性暴力」(sexual violence)に縮小された。これを補完するためにDV防止法の制定や、男女雇用平等法の改定がなされた。法律が別々に作られたことで、女性に対する暴力が本質的に同じだということが見過ごされ、DV、性暴力、セクハラ、性売買などが分けて認識されるようになった。
■ 女性に対する暴力関連法の限界
女性関連法は、男性の利害に基づく男性の言語で記述されるという限界ゆえに、女性の人権は特殊なものと限定され、特別法という形態の制定となり、一般の法律にある男性中心性の克服が難しいという構造になっている。女性の人権保護の法であるのに、法の運営は男性の経験に基づくため、女性被害者は男性の助けを受けなければならないという秩序が形作られている。被害者は、常に男性によって誣告罪や名誉毀損罪で逆告訴され被害者なのに加害者になったり、夫に常に殴られていて正当防衛で夫を死亡させても殺人者になるという現象が起きている。女性の人権確立は女性被害者の保護という図式を生んだが、女性に対する暴力防止への総合的な対策を樹立する余地がなかった。
■ 自由主義的な人権の概念の限界
韓国の90年代の女性運動のパラダイムは、両性平等・女性の人権であった。自由主義の人権の観点は女性を対象化(非主体化)するのみならず、人間の体を分解して各論とした。ひいては障害をもつ女性や移住女性の問題に対して説明がつかない。両性平等という用語は女性主義を大衆に説明するために作られたが、男女二分法的なセクシュアリティを固定し、同性愛など多様な性的指向を説明できない。私たちは性暴力を性的自律権の侵害であると定義し、同意してきた。しかし、実際の韓国社会で女性は同意の主体にはなれない。DV被害者は「なぜ逃げなかったのか」とよく訊かれる。これは女性を主体性をもって行動できるとみているが、我々は暴力下に置かれた女性が既に主体にはなり得ないことを知っている。法はすべて万人に平等であるという仮説は女性にとって二重の暴力の状況をつくる。とはいえ法以外に女性の人権保護の方策をもちえないのが、「女性に対する暴力追放運動」の限界である。
■ 強固な家族主義
女性の人権の足を引っ張るのは「家族主義」である。韓国女性を近代的な個人ではなく封建的な家族アイデンティティの中にとどめているのは強固な家族主義である。女性は個人ではなく家族のものである。DV防止法もまた制定当時、家族主義と妥協せざるをえず、妻を殴ることで生じる家庭の問題からの保護を第一義の目的にせざるをえなかった。韓国人は家庭が壊れたという言葉をきくと無人島に一人残された人間の恐怖感に結びつける。妻を殴った男性の名誉は護られるが、夫をもつ女性に性暴力を行った男性は家庭を崩壊させたとして重罪になる。結論から言えば韓国社会の家父長制はいまだ強固なのである。
韓国の女性運動は今、20年間をふりかえり、これからの運動の方向性を熟考するために様々な評価会議、討論会などを開いている。恐らく容易な作業ではなく、結論が出るまでしばらく時間が必要であろう。しかし韓国の女性運動は21世紀をリードする新しいビジョンを世界に示すであろうと確信している。
(訳:朴君愛 ヒューライツ大阪主任研究員)
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1.女性省が主幹事業としてNGOに委託し、100%事業支援を行っている。
2.2003年12月末現在、DV相談所175ヶ所、性暴力相談所117ヶ所、性売買現場相談センター7ヶ所。
3.2003年12月末現在、性暴力被害者保護施設12ヶ所、DV被害者保護施設37ヶ所、外国人人身売買被害者専用シェルター2ヶ所。
4.日本語訳が近日出版。山下英愛訳、明石書店。
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