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国際人権ひろば No.57(2004年09月発行号)

特集1:ヒューライツ大阪10周年記念事業 Part1

「人権は国境を越えて - 国際人権を考えるつどい -」を開催

  2004年7月21日(水)、ヒューライツ大阪10周年記念事業の一環として、大阪府・大阪市・ヒューライツ大阪が主催し、外務省の後援を受けて、「人権は国境を越えて-国際人権を考えるつどい-」を大阪市天王寺区のクレオ大阪で開催した。この「つどい」は、例年、12月に開催してきたが、本年7月がヒューライツ大阪10周年となるため、10周年記念事業の一環として7月に開催することとなった。当日は、400名の市民が参加し、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんの講演会をメインに、インド古典音楽の演奏や外務省からの国際人権に関わる世界会議の報告、ヒューライツ大阪10周年記念事業の国際人権教材奨励事業「アウォード2004」の表彰式も行われた。以下に主な内容を紹介する。

■ 文化イベント-インド民族音楽の演奏


  「つどい」は、午後1時30分から開催され、文化イベントとして北印度古典音楽塾塾長である檜原孝之さん、宮田昌代さん、山田眞由美さんの3名が、インドの民族音楽を約30分間にわたり演奏。シタール、タブラ、タンブーラといった楽器を使っての演奏とともに、檜原孝之さんからインド古典音楽の曲の説明や楽器の構造、西洋音楽との違いについての説明もあり、他に類を見ない不思議で神秘的な音色が会場を包み込み、参加者はインドの民族音楽を堪能した。

■ 外務省の角参事官が国連障害者権利条約づくりへの最新動向を報告


  文化イベントの後、主催者を代表して川島慶雄・ヒューライツ大阪所長が挨拶を行い、続いて、外務省国際社会協力部参事官の角茂樹さんが、04年の5月24日から6月4日にニューヨーク国連本部で行われた「第3回障害者権利条約に関する特別委員会」の様子など、国連での障害者権利条約づくりへの最新動向を報告した。
  まず角さんは、国連の人権保障システム全般を紹介し、その根拠となる国際人権規約の自由権規約と社会権規約について具体的な例を挙げながらわかりやすく解説。つづいて、01年12月に設立された「障害者権利条約づくりに関する特別委員会」の設立経緯や、その後の議論の経過を説明。02年6月の第1回特別委員会では、障害者権利条約をつくるかどうかの是非についての議論を行い、03年6月の第2回特別委員会では条約作成の合意を得た。そこで特別委員会の下に作業部会が設けられ、04年1月に開催された作業部会で、前文と本文25条からなる条約草案が作成され、04年6月の第3回特別委員会で、本格的な条約草案交渉が始まった。この会議には角参事官が政府を代表して出席したことが報告された。
  条約草案交渉では、「合理的配慮(reasonable accommodation)」の理解をめぐりさまざまな観点で議論がなされている。たとえば、選挙実施時の障害のある人の知る権利や意見表明権の保障(代理人や手話通訳問題)。公教育での統合教育(インクルージョン)と分離教育の関連。雇用分野の「雇用割り当て制度」のあり方。精神・知的障害を理由とする拘束(強制収容)に関しての法的手続の明確化と司法による救済措置の必要性など。また先進国に比べて届きにくい途上国の障害者の意見の吸い上げや条約への反映などについても議論されている。
  角さんは、今回の条約づくりが今までの条約づくりと違う点は、障害者自身の代表が積極的に参加していることと、いろいろ意見があるが、各国の思いは、障害者の権利を保障しようという方向では一致している、と述べた。障害者権利条約というのは障害者だけではなく、日本が迎える高齢者社会のなかで、高齢者の方にも役に立つということも考えられると指摘した。外務省としても非常に前向きに取り組んでいるので、この障害者権利条約の行方について皆さんに関心を持っていただいて、フォローしていただければと呼びかけた。
  角参事官の世界会議報告に続き、10周年記念事業の国際人権教材奨励事業「アウォード2004」の表彰式が行われた(次頁参照)。

■ 池田香代子さんが「世界がもし100人の村だったら?その後」のテーマで記念講演


  続いて、ドイツ文学翻訳家の池田香代子さんが『世界がもし100人の村だったら?その後』というテーマで、穏やかな口調ながら鋭い視点で約80分間にわたり講演。池田さんは、ベストセラーとなった「世界がもし100人の村だったら」の出版の経緯や、その印税でたちあげた「100人村基金」での海外NGO支援や日本国内の難民申請者の支援など、様々な経験談を交えながら、話を進めた。
  池田さんは、アメリカで同時多発テロが起こるまでは、世界や政治についてあまり関心がなかったけれど、これから世界は一体どうなってしまうのだろうと、とても不安になったと話した。そのすぐあとにアフガニスタン報復攻撃が行われたが、何故アフガニスタンなのか、何故報復なのか、何故それが即攻撃なのか、全然理解が出来なかった。それで何か教えていただきたいとアフガニスタンで医療ボランティアをされているペシャワール会の中村哲先生の講演会に行き、その話にとても感動したという。そのとき中村先生が募金を呼びかけられ、募金なら私にも出来ると思い、そこで友達が回してくれたメールを思い出し、「あのメールを絵本にしてその印税を中村先生に使っていただこう」と思ったのが、「世界がもし100人の村だったら」が生まれたきっかけだと話した。
  今、この本は130万部に達し、印税も税金等を除いて3,480万円になり、中村先生に100万円だけを受け入れていただき、残りで100人村基金を設立。その基金の利用についていろいろと情報を集める中で、さまざまな国々で活動している日本の草の根のNGOのことや難民の問題、女子教育の必要性などがわかったと話した。実は100人村基金は、日本での難民支援のためにいちばんたくさん使ってしまったという。『母さん、ぼくは生きてます』(マガジンハウス社)という、茨城県牛久市にある東日本入管センターに収容されていたアフガニスタン人のアリジャン君のことを書いた本を出したが、そしてこのアリジャン君は、難民として認めて欲しいという裁判をやっていて、この本はその裁判に証拠として提出もされている。アリジャン君は、今は解放されて東京の下町の夜間中学で勉強をしている。本当に国際人権を進めるその大きな勢力にこの国がなろうとするのであれば、この人々の思いを汲んで差し上げるべきではないかなと思うと述べた。
  池田さんは、ちょっとよく考えてみると「私にもできる」は、もしかしたら「私にしかできない」なのかもしれない、そして一人ひとりが私にしかできないことをやれば、少しはいろんなことが起きるのではないかなと話した。
  さらに、「国際人権という問題を考えるときに、忘れてはいけないことがあります。それは前の戦争で、この国が蹂躙してしまった人権をどうするかということです」と述べ、国がいったん誤った方向に向いてしまうと、その犠牲、心の傷は計り知れない、国際人権というときに、過去の傷を癒すということを私たちは一方のほうで忘れてはいけないのではないか、と指摘した。
  「私たちの人権を私たちが高らかに宣言をしているのが憲法です」と、池田さんは話し、「100人村」の流れで憲法の絵本をつくったことを説明した。また、憲法を改めて勉強して、真ん中にある条文は9条ではなく、13条だと話し、「すべての人々は、個人として尊重されます。法律をつくったり、政策を行う時には社会全体の利益を損なわない限り、生きる権利・自由である権利・幸せを追い求める権利が真っ先に尊重されなければなりません」と読んだ。
  池田さんは、「これから、ますます大きな課題になっていく、日本は国際社会の中で何をしなければならないかという問題について、日本の援助の中でいちばん喜ばれていたのは、医療関係と教育関係だが、これから力を入れるべきと思ったのは、環境である」と述べた。公害という大きな大きな痛手を被って、そこから学習をして、環境技術をたくさん持っているので、日本は「美しい環境大国で生きていけばいい」と締めくくって、話を終えた。