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国際人権ひろば No.59(2005年01月発行号)
人権の潮流
9.11以降のアメリカ社会とイスラム教徒~人権侵害抑制活動の教訓
柏木 宏 (かしわぎ ひろし) 大阪市立大学大学院創造都市研究科教授
同時多発テロ事件から、3年が経過した。事件をきっかけに、アメリカは、アフガニスタンからイラクへと、世界を巻き込みながら、戦争の道に突進。こうしたアメリカの政策は、国内においてアラブ系やイスラム教徒へのヘイトクライム(憎悪犯罪)や人権侵害を引き起こしている。
しかし、いかに暗い時代でも、必ず一筋の光は存在する。9.11以降のアメリカも同じことだ。アラブ系やイスラム教徒へのバッシングを抑止し、人権を保障させようとする動きが続いている。この小論では、日本に住む私たちが、そうした動きからなにを学ぶべきか、考えていきたい。
事件直後のバックラッシュ
同時多発テロ事件の直後、アラブ系やイスラム教徒へのバックラッシュ(強い反発)は、主として3つの部分から発生した。ひとつは、連邦司法省や連邦捜査局(FBI)に代表される政府や捜査機関。もうひとつは、メディア。そして、草の根の組織や市民の間からである。
連邦司法省は、省内の移民帰化局などを通じて、入国しようとしている外国人への規制や学生ビザなどで入国している外国人への取り締まりを強化した。例えば、入国時において、外国人に対して従来の2倍にあたる48時間の拘束を可能とする規則を制定。また、入国ビザの発給規制を進めた。
FBIなどの捜査当局は、事件がアラブ諸国の人々の犯行という公式声明を政府が行う以前から、全米各地でアラブ系やイスラム教徒への捜査を開始。拘禁した人々に対して、弁護士との接見を拒否したり、保釈金を積んで保釈される権利を認めないなどした。
メディアの報道の影響については、最近、興味深い調査結果が発表された。コーネル大学の研究チームが2004年10月から11月にかけて実施したものだ。今後1年間に国内でテロが発生する可能性があるか、という質問に対して、全体の37%がイエスと答えた。
回答者のうち、テレビのニュース番組をよく見る人は、この割合が43%に跳ね上がる。一方、あまり見ない人は、31%にすぎない。また、モスクを厳しく監視すべきかどうかという質問に対して、テレビ・ニュースをよく見る人の32%がイエスとしたが、あまり見ない人では22%に止まった。
草の根レベルでは、むき出しの暴力や脅迫、流言蜚語などが相次いだ。例えば、アラブ系アメリカ人研究所(AAI)によれば、同時多発テロ事件直後、アリゾナ州メサとカリフォルニア州のリードリーとフレスノでアラブ系またはイスラム教徒の人々が射殺された。また、オハイオ州クリーブランドでは、モスクに自動車が突入するという事件があった。
FBIの統計によれば、2001年のイスラム教徒へのヘイトクライムは481件と、前年の28件の実に17倍になった。また、アラブ系アメリカ人反差別委員会(ADC)によると、9.11に関連したアラブ系やイスラム教徒へのヘイトクライムは、600件以上にのぼったという。
アラブ系やイスラム教徒自らの取り組み
アメリカでは、アラブ系=イスラム教徒、と考えている人が少なくない。しかし、アラブ系の多くは、戦前に渡米した人々であり、宗教もキリスト教が主流だ。一方、アメリカのイスラム教徒の多くは、黒人や南アジアから近年渡米した人々である。全米における人口でいえば、アラブ系は400万人、イスラム教徒は700万人といわれている。
アラブ系=イスラム教徒という通念が正しくないにもかかわらず、メディアが提供する情報の多くは、アラブ系=イスラム教徒=イスラム原理主義者=テロリストというイメージとなって人々に受け取られていった。このため、アラブ系やイスラム教徒の人々は、自らバックラッシュに対抗していく必要に迫られた。
ここで、アラブ系やイスラム教徒の多くが取った手段は、自らをアメリカと一体化させるものだった。例えば、同時多発テロ事件が起きたその日、シカゴのアラブ系の諸団体は、連名で声明を発表。「私たちはアメリカ人」だとしたうえで、テロを非難、被害者への支援活動を積極的に行っていく考えを表明した。
アラブ系やイスラム教徒は、この考えを実践に移していった。フロリダ州オーランドでは、被害者支援募金を求める赤十字の活動に協力。事件から1週間の間に、オーランドで集まった寄付の21%をアラブ系だけで提供した。この他、献血などの取り組みにも積極的に関わっていった。
歴史の教訓から学んだ活動
アメリカにおいてアラブ系やイスラム教徒へのバッシングが起きたのは、9.11以降だけではない。1973年から74年にかけての石油危機のなかで、アラブ諸国=産油国=石油価格の高騰というイメージが作られ、反アラブ感情が醸成されていった。
そして、1979年にホメイニ革命後のイランでアメリカ大使館の人質事件が発生、在米イラン人へのバックラッシュが広がった。1990年代に入ると、湾岸戦争からオクラホマ市の連邦庁舎爆破事件、TWA800便の墜落事故などのたびに、アラブ系やイスラム教徒へのヘイトクライムが起きていた。
換言すれば、9.11のような事件が起きた場合、アラブ系やイスラム教徒がどのような事態に直面するか、予想することは可能だった。事実、一部の政治家や警察、草の根団体などは、歴史の教訓を、同時多発テロ事件直後の対応に生かしていった。
ブッシュ大統領自身、事件の翌日、声明を発表。アラブ系やイスラム教徒に対して、尊重した対応を行うと述べた。さらに、数日後には、首都ワシントンのイスラム文化センターを訪問し、イスラム系指導者と懇談、国内のイスラム教徒を「同胞」と呼び、敵対的な行動をとる人々を批判した。
同時に、政府は、テロリストとの関連があるとして、多くのアラブ系やイスラム教徒を拘束した。FBIは、8,000人といわれるアラブ系の人々を尋問。これらの行動は、メディアを通じて人々にアラブ系やイスラム教徒=テロリストというイメージを形成させる一助になったことは間違いないだろう。
とはいえ、警備当局が常に問題であったということは正しくない。一部の地域では、積極的な対策が取られたからだ。全米でも最大規模のアラブ系のコミュニティがあるミシガン州ディアボーンは、そのひとつだ。
アラブ系の人口が3万人にのぼる、この町では、同時多発テロ事件の直後から、ヘイトクライムの対象となりそうな施設やアラブ系住民の居住地を中心に、市警が巡回を含めた警備を強化。こうした行動が取れたのは、事前に、市警とアラブ系コミュニティで緊急時の対応について協議されていたからである。こうした取り組みの効果もあってか、9.11以降にディアボーンで発生したヘイトク ライムは2件に止まったという。
歴史の教訓という場合、戦争によるバックラッシュを経験した日系アメリカ人社会の対応も忘れることはできない。日系社会は、アメリカ大使館人質事件の際にも、在米イラン人へのバックラッシュを批判する活動を行ってきた。
9.11以降、日系社会は、バックラッシュを批判するだけでなく、ともに集会やデモを行うなどの活動を続けてきた。そうした活動は、日米開戦直後に日系人が強制収容される法的根拠となった大統領行政命令が署名された2月19日を記念して、各地で毎年行われている「追想の日」で2004年も実施された。
アラブ系やイスラム教徒が9.11以降受けたいわれなきバックラッシュを軽くみるつもりはない。しかし、日米開戦直後の日系人への対応のような事態を避けえたことも事実である。その背景には、上記のような取り組みや活動があったことを忘れてはならない。
一方、日本では、拉致事件の解決が不透明ななかで、北朝鮮への経済制裁を求める声が高まっている。中東の政治状況がアメリカのアラブ系やイスラム教徒のバッシングに跳ね返ったように、朝鮮半島の動きは、在日韓国・朝鮮人へのヘイトクライムにつながることも少なくない。
9.11以降のアメリカにおけるアラブ系やイスラム教徒へのバックラッシュの問題は、日本に住む私たちにとっても他人事ではないはずだ。