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国際人権ひろば No.59(2005年01月発行号)
Human Interview
NPOを母体とした会社が新潟県中越地震後に多言語情報を無料発信
中村 満寿央さん (なかむら ますお) (株)グローバルコンテンツ 取締役副社長
プロフィール:
電気メーカーの技術職を経て、1998年から2001年まで多文化共生センターの事務局長を務め、グローバルコンテンツ社の設立時から取締役副社長として、おもに技術面を担当している。多文化共生センターの副理事長も兼務。
阪神淡路大震災での経験をもとに
グローバルコンテンツは、NPO法人多文化共生センターが母体となってできた会社です。多文化共生センターは、1995年の阪神・淡路大震災直後に外国人の被災者に向けて多言語による情報提供を行った経験をもとに設立された非営利団体で、設立時から私もボランティアとして関わっていました。この経験を引き継いで、外国人がエスニック・メディアを作れるようなセミナーを開いたり、96年にO157集団食中毒が起きたときにも多言語で情報提供をしました。
また、99年に台湾で大地震が起きたとき、工場などで働いている在台湾の外国人は情報が不足しているだろうということで、日本からスタッフを送って台中でボランティアを募ったりして多言語で情報提供や電話相談を行ったといういきさつがあります。
そうした経験を積むうちに、やはり多言語での情報提供は日常的に必要であり、情報を流せるメディアをつくろうという話になったのです。それは2000年頃ですが、ちょうど携帯電話が急速に普及し、iモードなどで携帯の小さな画面でもホームページを作れるようになっていた時期であるとともに、在日外国人は固定電話よりも携帯のほうをはるかに多く持っているという現実から、携帯電話を活用することにしたのです。
携帯のサイトに多言語の情報を載せたら皆さん見てくれるのではないかということで、事業化しようということになりました。とはいえ、事業規模が大きくなることから、もし採算があわなければ多文化共生センターも崩壊しかねないので、事業に関しては出資者を募って株式会社を立ち上げることにしたのです。
会社自体は01年2月に設立し、6月からサービスを開始しました。言語は英語、ポルトガル語、スペイン語、タガログ語(フィリピン語)です。本来ならば中国語とハングルも手がけたいのですが、日本の携帯システムではこれらの文字はうまく表示できないのです。そのため、とりあえずアルファベットで表示できる4言語を選んでスタートしました。
それぞれの言語にスタッフを配置して、日々のニュース、生活情報、相談機関の連絡先などを携帯サイトで提供しています。加入料は税込みで月額315円です。現時点では合計で約1万人のユーザーにまで増え、ようやく事業として採算がとれるところまでこぎつけています。内訳は、ブラジル人が多いことからポルトガル語が6割、スペイン語が2割、タガログ語が15%、あとは英語です。
お客さんのニーズも多様化し、最近では日本での生活情報だけでなく母国のニュースや芸能、スポーツ情報なども加えるようになりました。ニュース・ソースは、多文化共生センターからもあり、こうした点はNPOから立ち上げた会社ならではの強みだと思います。
様々な団体が協働する外国人被災者支援
2004年10月23日に新潟県中越地震が発生しましたが、被災外国人向けに多言語での携帯サイトを無料でオープンしました。まず、多文化共生センターとして震災後の支援の必要があるのかどうか見極めるために10月26日と27日に理事とスタッフの2人が現地の長岡市に向かいました。長岡市国際交流センターに受け入れをしていただき、実際に何を支援すればいいのかを見極めるための調査協力を得て一緒に協議してきました。その結果わかったことは、被災外国人に対する直接的な支援は同センターが行っているため、多文化共生センターとしては、今回は間接的な支援にまわる方がよいということでした。
そうしたなか、レスキューナウ・ドット・ネットという災害情報などを専門に配信している会社が、日本語による今回の震災情報を携帯で無料配信されていることを知ったため、それならばあえて情報を独自に集めることなく、それらをきちっと翻訳すれば多言語で情報提供できるのではという話になりました。そこで同社にお願いをし、了解を得ることができました。震災は誰もが心配している出来事ですから、この方法だと、被災地はもちろんそれ以外の人たちにも見てもらえるだろうと思いました。
被災地域の外国人は約2,000人で、ブラジルとフィリピンからの出身者が多いということを知ったので、ポルトガル語とタガログ語、それに英語の3言語に翻訳することにしました。また長岡市には大学もあるため中国からの留学生も多いのですが、携帯だと文字表示の問題があるのでアルファベットの言語に絞ったのです(サイトは
http://atnippon.jp/nigata/)。
必要な情報を素早く翻訳し提供すること
情報内容は、生活情報、被害状況、余震情報、病院や交通関連、それから結果的にあまり使ってもらえなかったけれど情報交換のための掲示板も設けました。生活情報は、開始直後は、FM長岡が神戸市で活動するFMわぃわぃと一緒に多言語でFM放送をしていることを知らせたり、災害に対してこんな支援サービスがあるというものでした。それから徐々に法律問題をはじめとする行政などの相談事業や復興のための相談事業に関わる情報が増えていきました。
しかし、それらは基本的には日本語での相談事業なので、実際に行くとなると日本語のできる人が同行しなければなりません。とはいえ、日本語による相談だから日本語を理解しない外国人は関係ないというのではなく、こういった相談先もありますよということを知ってもらいたいのです。被災者であれば誰でも、様々な行政サービスを受ける権利があるわけです。それで、本当に必要ならば、いろんな手段を使ってそこに問い合わせにいくこともできるわけですから。だから、日本語を理解する人が知りうる情報のなかで重要だと思われるものを選んで各言語への翻訳に努めました。また、新潟県国際交流協会などが多言語による相談をしているので、そうした情報も提供しています。
利用状況は、ページビューといって訪れたページの合算でいえば、11月9日から12月9日までの約1ヶ月間で、サイト全体で約16,000ページのヒット数がありました。当初は1日で1,000以上の日が続いたのですが、徐々に減少していっており、年末をめどに終息に向かっています
※。
小千谷市で働くブラジル人の方が、このサイトについて広めてくれたり、長岡市にあるカトリック教会などでは、ミサに集まるフィリピン人向けに私たちが作成したタガログ語の広報チラシを置いてもらいました。
被災したとき最初に直面する問題は、いかに安全を確保するかということです。例えば、ここの避難所に行くとこういうサービスが受けられますという情報を流すことが重要です。今回、長岡市では市役所1階ロビーが避難所のひとつに指定され、多くのブラジル人が避難していたのですが、従来から日本語教室が国際交流センターによって開設されており、けっこうつながりがあったため、情報もすぐに伝わりやすかったようです。
広域的な支援のネットワーク作りに向けて
阪神淡路大震災のときの多文化共生センターでの経験が、今回活かされたのではないでしょうか。まず、安全確保があり、その次にはどういう情報が必要なのか、そこから普段の生活に戻るためにはどういうものが必要なのか。たとえば相談であったり義捐金・物資が必要であったり、就職支援などです。それらが段階的にわかっていたので、たくさん情報が流れてくるけれども、必要な情報に絞って提供することができました。
それから、翻訳に関してはポルトガル語とタガログ語は当社のスタッフが担当して、英語は多文化共生センターのボランティアや大阪府箕面市の国際交流協会にボランティアを組織してもらいました。そういった翻訳のためのネットワークがあったので、わりとスムースに作業が進んだと思っています。
今回の取り組みで、震災時の情報発信のシステム的なことはだいたい構築することができました。もし将来なにか起きれば、早く動き出すことができると思います。今後の課題としては、翻訳・通訳者のネットワークをさらに拡充することでしょうか。
多文化共生センターがNPOとして、被災地で困っている人がいればその人の言語で対応すること、たとえば相談事業があれば市役所などに通訳者として同行できる体制をつくる必要があると思います。それと並行して今回のような情報提供があるといったトータルな活動が必要になってきます。もちろん、それは多文化共生センターという単独のNPOや私たちの会社だけではできないので、広域的な支援のネットワークを構築するという課題が残されているのではないでしょうか。
※ 新潟県中越地震に関する情報の更新は05年1月8日で終了しました。
このインタビューは04年12月初旬に行ったものです。
(インタビュー・構成:ヒューライツ大阪 藤本伸樹)