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国際人権ひろば No.59(2005年01月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

パプアニューギニアのプライマリースクールから

井田 誠夫 (いだ しげお) JICAシニアボランティア(教育省カリキュラム開発局)

  パプアニューギニアは今教育改革の最中にある。学制をエレメンタリースクール(幼・1・2年生)プライマリースクール(3・4・5・6・7・8年生)セカンダリースクール(9・10・11・12年生)とし、「プライマリースクール8年生までの教育をすべての国民に」を目標とする。従来プライマリースクールは日本の小学校同様6年生までであった。2000年のデータ(Post-Courier紙。2004年4月23日付)によると男子の79パーセント女子の76パーセントが就学している。一般に島部では女子のほうが、高地部では男子の方が学校へ行く率は大きい(注1)。しかし入学はしても半数は途中でドロップアウトする。ドロップアウトの原因は、
1.授業料や文房具を買う金がない
2.部族間抗争
3.女子の早婚
4.家族や地域社会における学校への理解や支援が弱い
等となっている。
  さてプライマリースクールの教育改革に伴う問題のひとつは、今まで6年生までを教えていた教員が7・8年生の教科も指導しなければならないことである。十分な教員養成教育を受けていない教員達にとって特に理科、数学の内容理解は困難な部分がある。日本だとこれは大きな問題になるだろう。問題は役人も現場の教員もあまりこのことを問題と認識していないことである。
  教員のトレーニングをしようにも首都と地方は飛行機や船でしか行き来する手段がなく、満足な道路もない。パプアニューギニアは統一国家としての歴史がなく1930年代まで石器時代の延長にあった。7~800の言語を異にする部族が独立国家となって29年。まだ産業振興は進まず、多くの分野で管理能力がなく、技術力もない。治安は悪い。社会インフラは不備なままである。何かにつけワントック(One talk 同じ言語を話す仲間)システムが幅をきかせ豊富な資源や肥沃な土地を持ちながら自分達の国を自分達で開発できない。みんなだれかに持っていかれてしまう(注2)

理科授業の番組を指導する


  こんな国で遠隔地向けテレビ授業(7年生の理科、社会。11年生の数学、地理、物理)が試験的に毎日放映されている。私の仕事は7年生の理科番組の指導である。
  しかし電気の普及率は地方(国の大部分は地方といっていい)で3パーセント台であり、電源やメンテナンスの問題、番組制作側の能力の問題、利用側のパイロットスクール(全国4県で40校)の教員の能力の問題等のため、2004年12月のプロジェクト終了後このテレビ授業の運命がどうなるかは、まだ決まっていない。
  私の毎日の仕事はまず、モデル教員(といっても特別な先生ではない)に翌日の授業内容を説明して理解してもらうことである。一番の問題は教員の学力である。特に四則計算や数量を扱うこと、例えば時間を計る、目盛りをよむ、グラフで表現するといった基本的なことが苦手である。今までこの国の人々には必要でなかったのだと思う。「1と2と多数で足りていた」のかもしれない。
  授業は黒板とチョークだけで行われている。しかし、理科の授業は実験観察を大切にしたい。今思えば日本の学校は予算がないといいながら、基本的な実験道具はどこの学校にもある。教員がその気になればなんでも実験できると思う。ここの学校には本当に何にもない。町や商店やごみの中から見つけたもので、実験を考えなければならない。モデル教員に実験を教えるとパプア流に"チョッチョッチョッ"と"舌つづみをうって"感動してくれる。翌日彼女は生徒の前で、石灰水を白く濁らせたり、水素に点火して生徒をびっくりさせたり。生徒はノリが良く反応は大きい。モデル教員は得意満面。私も得意満面。毎日停電や教員の遅刻や機械操作ミスやトラブルばかりであるが、2台のカメラで収録した授業は、編集をすませた後(内容の誤りをチェック)この国唯一のテレビ局EMテレビから昼の時間に放映されている。

田舎の子どもたちの生活


  赤道に近いニューアイルランド県の教育事情を1週間ほど見てきた。地図で見ると細長い島でその真中あたりにあるダロムという小さな村に泊まり、近くの村で行われたプライマリスクールの教員を対象とした研修を見た。県を10地区に分け各地区の教員達が車・船・徒歩で集まる5日間の新カリキュラム伝達の研修であった。女性教員の宿舎は床もある建物であったが、男性教員の宿舎は屋根と壁だけ。砂の上に雑魚寝をしていた。
  私たちのテレビ授業のことを知っている教員は40人の参加者の中にはいなかった。この県はケビエンという町以外に電気はない。テレビは無理だ。FMラジオの教育番組はできないのか。もっと色々な情報がほしいと熱心な教師たちに言われた。
  ダロムの人々の生活は自給自足。畠のイモやバナナと海の魚がとれ食料には困らない。現金はランプの燃料と塩、米を買うくらい。電気はない。ないのが当然の世界である。ランプと月あかりと蛍の世界である。
  石灰岩の山地は豊富な地下水を擁し海の近くで水は地表に出て一気に海へそそぐ。村人はこの清流で顔を洗い水浴し炊事も洗濯もする。子ども達は日の出まえから起き出して夜のうちに地面に落ちた木の実を拾う。3歳にもなると大人用のブッシュナイフで器用に木の実の種をわって食べることができる。学校が休みの日、子ども達は朝から晩まで外で遊びまわっている。川で海で丘でいつも歓声がしている。夕食を終えた子ども達が一軒のランプのもとに集まって歌っている。豊かな「子どもの時間」がある。
  村の40人の子どもたちが通うエレメンタリースクールはきれいな赤い花の咲く清流の近くにあった。海の近くにサゴヤシとトタンの小屋がたち、小さな2つの教室と物置兼教員室。最上級の2年生だけは6つしかない机に座って勉強する。あとの子どもは砂の上に座る。黒板が3つ、教具は何もない。県の役人が年1回税金を集めに村にくるそうだがこの学校に財政援助はないだろう。村の人たちの無料奉仕と資財提供で校舎は建てられている。学校の隣の教会の方がずっと立派だ。村の人々にとっては教会の方が大切のように見える。どの村でも競って自分達の宗派の立派な教会を建てる。学校よりも教会である。家に本はないがキリスト教の絵本はころがっている。
  親は授業料として年間100キナ(3,400円)を払うそうだ。プライマリースクールの方はダロムの村から歩いて1時間のところにある。村の8割の子どもが行く。なぜ学校は行かせたほうがいいか? 子どもは英語ができないときっと困るから。それから簡単な計算も必要だと思う。しかし学校へ行くと畑仕事の手が不足するし、収入も少ないのに授業料を工面しなければならない。低学年の子ども達はみんな学校が好きなようだが、学年が上になると現実の色々な事情がからんでくる。収入と学力があれば子どもは寮に寄宿してセカンダリースクールへ行かせてもらえる。そして大部分の子ども達は学校を卒業した後はまた村に帰って、畠と海を相手の人生をおくる。ケビエンの看護学校や漁業大学、隣県のラバウルにある教員大学や農業大学に進学するのは一部の子ども達だけである。

卒業式


  12月8日。私の通うウォードストリップ・デモンストレーション・プライマリースクールの卒業式が行われた。私も来賓として式に参加させてもらう。昨年のクラスの7年生たちは今8年生を終えて、みんな紺色に黄色の線が入ったガウンを着て整列していた。1年間でこんなに成長するのかと驚くほど、体格も表情も大人びてみえた。年齢的には日本の中学2年生であるが、どう見ても高校2・3年生にみえてしまう。私はこの生徒たちが私にたずねた質問を思い出していた。
  「井田は原爆がおちたときどうしていた?」
  「日本は戦争をしない国と決めたんだってね?」
  式は牧師のお祈りに始まり厳粛なものであった。私は彼等の作文をまとめた『私たちのおじいさんやおばあさんはどのようにして塩を手にいれたのか』という小さな本を44人の生徒たちにプレゼントした。

(注1) 一般に島部は女系社会、高地は女性の地位が今も低く男性中心社会である影響と思われる。
(注2) パプアニューギニアの国家をつくったのはドイツ、イギリス、オーストラリアという外国であり、オーストラリアはパプアニューギニアの独立後も莫大な資本と人をつぎ込み政策にも関与している。