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国際人権ひろば No.60(2005年03月発行号)
国際化と人権
韓国社会のマイノリティ:華僑の人権は!
キム ドンフン (龍谷大学名誉教授・ヒューライツ大阪顧問)
長年の軍事的開発独裁体制を脱して文民政権へと移行した韓国社会は、政治的民主主義と基本的人権の確立に向けた努力を重ねて10余年になる。その間、個人の人権と基本的自由の保障に必要な国内法を整備し、被害者個人に通報する権利を認める議定書(自由権規約第一選択議定書)を含む国際人権規約その他の主要人権条約をも国内人権規範として受け入れている。そして人権関連の立法と政策に意見を呈し被害者の救済に当る国家人権委員会も設立するなど、人権の普遍的尊重の実現に向けた国際社会の努力にも積極的に参加している。そして、今年2005年になってからは、男性優位の儒教的秩序を支えてきた戸籍制度と死刑制度の廃止に向けた具体的立法措置が進められるなど刮目すべき発展が見られる。
ところが、韓国社会のマイノリティである華僑は法制度上そして社会的にもその人権が十分には尊重されているとはいえず、いわば民主化の光が届かない影の一部となっている。筆者が在韓華僑の人権問題に接したのは、2004年11月ソウルでのシンポジウムにパネラーとして参加した華僑の訴えにはじまる。その訴えによると、在日韓国人が過去30余年に亘って廃絶もしくは是正のために努力してきた人権問題とほぼ同一の内容であることに驚きさえ覚えた。早速12月23日には、この華僑の人を同伴して国家人権委員会を訪ね、実情を陳情(申立)しその是正に向けた努力を要望したが、アジア太平洋地域の人権確立に向けて活動しているヒューライツ大阪にとっても重要な関心事項でありその実情を紹介することにした。
在韓華僑の過去と現在
朝鮮半島に華僑の社会が形成されはじめたのは1880年代にさかのぼる。その後も、中国大陸から商業目的を主とする移住は、日本帝国の植民地統治下にあってもつづいた。そして、アジア太平洋戦争がはじまる1940年代には8万人を越える華僑が在住するようになる。もっとも、そのほとんどは朝鮮半島の北部に在住したために、終戦後の南北分断に伴い韓国政府が樹立される1948年当時の韓国社会には1万2,000人ほどの華僑が在住していた。そして第二次大戦後にはじまる東西対立の冷戦構造の中にあって、朝鮮半島の南北分断と戦争そして中国大陸での社会主義政権の誕生など激動する北東アジアの国際政治と韓国の政治的・経済的困難は、ほとんどが中国大陸出身である華僑の人びとを極めて難しい立場に追いやってしまう。
さらに、戦争インフレに起因する貨幣改革が二度も行われ、1962年の外国人土地所有禁止法と1970年の外国人土地取得および管理に関する法により、華僑の経済活動は破綻に陥ることになる。こうした制度的制約に加えて、朝鮮半島に対する中国の歴史的関係、植民統治の下で中国と朝鮮を分断し支配する政策によって作られた両民族の対立、そして朝鮮戦争で敵国として戦火を交えたことなどが、一般市民の華僑に対する偏見を助長し華僑の生活をさらに困難にした。
その結果、韓国を離れて米国、オーストラリアそして台湾などに再移住する華僑が増え、1972年には自然増もあって3万2,000人を数えた華僑人口が2002年には1万2,000人に減少することになる。
民主化の潮流と華僑の人権
はじめにふれたように、文民政権の登場に伴う民主化の発展は刮目すべきほどであるが、こうした潮流が法制上の制約を強いられた華僑の人権状況にどれほどの影響を及ぼしているかを概観する。
(1)是正された制度的制約
在韓華僑の人権状況を改善に導いた要因は、まず第一に民主化と人権尊重に向けた韓国社会の努力が指摘できるが、それと並んで1990年代に入って始まる冷戦の崩壊に伴う韓中両国の国交正常化と経済交流の拡大があげられる。こうした国内外の政治状況の変化が華僑の人権状況にも肯定的に働き、1998年には外国人土地法が課していた土地と住宅に対する制約を撤廃し、2002年に改正された出入国管理法により華僑のほとんどに永住権が認められた。
また、父系血統主義から父母両系主義に改正された国籍法により中国人を父として生まれる子どもにも韓国籍が付与されることになり、帰化手続きも簡素化された。さらに、地方自治体が行う住民投票への参加も認められるなど随分と改善されるようになる。にもかかわらず、次に見るような不合理な差別は依然存在し続けている。
(2)社会福祉と社会保障上の差別
韓国の社会福祉制度は2000年になってようやくはじまり、低所得貧困層および障害者に対して基礎的生活維持に必要な支援が行われている。しかし、外国人である華僑は永住権を有しながらも、こうした生活支援の対象から除外されている。とくに障害者の場合も、障害者が所有する自家用車に認められる優遇措置にとどまり他の生活支援は拒否されている。
さらに、国民年金制度に関連しては、加入期間中に韓国を離れる国民には認められる一時払い戻しが華僑には適用されないため、「掛け捨て」を惧れて加入しない者が多いといわれる。
(3)華僑の教育と進学における差別
在韓華僑はその子どもたちの教育を自らの努力で設立し運営する華僑学校に頼っている。しかし、華僑人口の減少に伴う学校の維持・運営が厳しい状況にあるが、韓国政府からは制度的にも財政的にも支援がなく、進学に必要な学力も認められないために危機的状況にあるのが実情である。もっとも、1999年3月には教育法令が改正され、華僑学校も法律上は各種学校として認可されることになったが、学校法が認める施設、教員などの条件を満たすのは不可能に近く、たとえ認可されても「学力の認定」が期待できないために厳しい状況に変わりはない。そのため、外国人学校出身者の学力認定を根本的に検討し直す必要があると指摘される。
つぎに、韓国の大学校が外国人に認める特別入学制度が適用されるためには、入学希望者の父と母の両方が外国人であることを必要とするため、韓国の女性を母とするものは外国人とはみなされず、その対象から除外されることから、子どもの進学のために母親が中国の国籍を取得するか離婚しなければならないという悲しい事態を招来している。
(4)社会生活に伴う差別
在韓華僑が当面している上記の制度的差別の他に、通常の社会生活を営む過程で必要不可欠な便宜もしくはサービス、たとえば金融機関の融資、クレジットカードの発行そしてインターネット上の取引さらには職場における昇進などに差別的取扱いを強いられている。もっとも、こうしたサービスの提供の差別は銀行などの民間企業によるものであり、その内容は企業または職場毎に異なるが、とくにサービスが内国人の国民登録による個人の身元確認に基づき提供されることから、外国人登録で生きる華僑は一般市民の差別意識もあずかって差別的に拒否される場合が多いようである。
今後の課題と展望
以上かいつまんでみたように、在韓国の華僑たちは、北東アジアの国際関係と朝鮮半島の南北分断そして戦乱という社会状況に翻弄され人権の享有どころかその基本的生活維持さえ難しい状況におかれた。そして、韓国が政治的民主化と人権が尊重される社会へと変貌し始める90年代以降は、出入国管理法と国籍法の改正などにより、永住権の取得と帰化手続きの簡素化そして土地取得と管理における制限の撤廃など若干の是正がみられる。しかし、社会福祉と障害者福祉などは適用除外になり、国民年金制度の運用、子どもの教育と進学などに関連する制約に合理的とは思えない差別が残っている。
こうした在韓華僑の人権状況は韓国が受容し実施している国際人権基準に抵触し、国際社会からもその是正が求められる問題でもあるため、たとえば社会権規約の実施に伴い社会福祉の適用除外は規約違反と判断されそれらの改善が求められるものと期待される。また、国内的には国家人権委員会の関与により必要な是正措置が取られるとも思われる。もっとも、国際社会または国内社会のいずれによるにせよ当事者とNGOの継続的関心と努力が必要であることはもちろんである。