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国際人権ひろば No.60(2005年03月発行号)

特集:スマトラ沖地震・津波の被害と復興の課題 Part1

スマトラ沖大震災後のインドネシアのアチェ州を歩く

佐伯 奈津子 (さえき なつこ) インドネシア民主化支援ネットワーク

■アチェの人々を襲い続ける「試練」


  たぶん神は僕たちに飽きてしまったんだろう。過ちを犯してばかりいる僕たちに。罪を誇りに思っている僕たちに。それとも、自然が僕たちと親しくするのを厭になってしまったのか。

  2004年12月26日、スマトラ島沖で発生した地震と津波によって、もっとも震源地に近いアチェ州では、死者113,000人、行方不明者127,774人(保健省、2月6日現在)と、人口400万人のうちおよそ5%が死亡・行方不明となる未曾有の惨事となった。州都バンダ・アチェの建物の倒壊率は平均で65%、わたしの友人の村では人口3,000人のうち生き残ったのは70人だったという。家を失い、避難民キャンプ生活を強いられている人は、現在も40万人にのぼる。
  アチェでは、インドネシアからの独立を求める「自由アチェ運動」(GAM)による武力闘争に対し、インドネシア国軍による大規模な軍事作戦が続いてきた。軍事作戦の犠牲になったほとんどが民間人と言われ、とくに2003年5月の軍事戒厳令布告後だけでも約3,500人が死亡している。
  軍事戒厳令以降、事実上、外国人の入域が禁止されていた北アチェ県を2年ぶりに訪れた。隣の北スマトラ州メダンからアチェに向かうバスで、プガメン(流しのミュージシャン)が歌っていたのが、冒頭の歌である。同じような、神に許しを請う歌は、テレビでも流されている。しかし、アチェの人びとが、どんな罪を犯したというのだろうか。
  地震・津波は、神がアチェの人びとに試練を与えるために起きた、というウラマー(イスラーム指導者)もいる。これ以上、神はアチェの人びとに何の試練を与えようというのか。神は、アチェの人びとの苦しみに堪えきれなかったのだ--アチェの人びとは、そう信じている。電子メールでは、以下のような文章も紹介された。

  彼ら(アチェ人)はスカルノ旧秩序体制で裏切られ、スハルト新秩序体制で鞭打たれ、軍事作戦地域(1989~98年)時代にレイプされ、GAMに踏みつけにされ、そして現在、軍事戒厳令・非常事態下にある。神は、アチェの人びとが手をあげて、神に向かって「わたしたちをこの苦しみから解放してください」と叫ぶのに耐えられなかった。この願いを聞いて、神は「信徒よ、こちらに来なさい。ここに座りなさい。わたしの横の崇高な場所に」と答えたのだ。

■地震・津波は、アチェの人びとを苦しみから解放することになるのか?


  たしかに、今回の地震・津波がいくつかの大きな前進をもたらしたことは事実である。
  第一に、これまでアチェに入ることのできなかった国際社会が、救援活動のために入れるようになった。インドネシア政府は、当初、国際社会からの援助を受け入れないという姿勢を示したが、国際的な圧力でアチェの門戸を開放せざるを得なかった。あるアチェの人権活動家は「これまで人権についてキャンペーンをするとき、アチェがどこにあるのか、から説明しなくてはならなかったが、いまは誰でも知っている」と語る。
  しかし、「国際社会が、いつまでアチェに関心を払ってくれるだろうか」「救援活動を行う国際機関・NGOが、人権問題にも関心を払って欲しい」という声もある。救援活動と人権の問題は、けっして切り離して考えられるものではない。インドネシア民主化支援ネットワーク(NINDJA)は、天然ガスやエビなどを通じて、日本との経済的関係の深い北アチェ県およびロスマウェ市での支援を行っている。インド洋沿いに比べると被害は小さいが、それでも2,700人以上が死亡し、20,000人以上が避難生活を送っている地域だ。北アチェ県は、GAMの勢力が強い地域であり、複数の避難民キャンプで、GAMへの関与を疑われた避難民が逮捕される、物資を与えられない、という問題が起きている。いまも、M16など自動小銃を構えたインドネシア国軍兵士を乗せた戦車やトラックを毎日見かける。彼らが救援活動をしている姿は、これまで一度も見たことがない。
  第二に、停戦への動きである。2003年5月に、停戦合意「敵対行為停止の合意」が破綻し、軍事戒厳令が布かれて以来、停戦への動きは完全に行き詰っていた。しかし、地震・津波直後、GAMは一方的停戦を宣言。さらに、紛争が救援活動の障害になるとする国際的な圧力もあり、1月末、フィンランドのヘルシンキで、インドネシア政府とGAMの非公式対話が行われた(次回は2月末の予定)。もちろん、「協議には何の意味もない」とする国会や、「GAMが降伏する以外の解決方法はない」とする国軍の存在は、停戦への障害となりうるが、両者が再び同じテーブルについたことは意味があるだろう。

■多くの懸念材料


  しかし、懸念材料もまた多い。
  第一に、いまだに国軍の兵力の半数は、軍事作戦に費やされている。国軍は、国内外からの援助物資を管理しようとしている。たとえば、北アチェ県では、警察機動隊が保管倉庫から援助物資を運び出している現場を目撃した人たちがいる。ほとぼりがさめたところで、売却されるのではないかと考えられており、この資金がさらなる軍事作戦、人権侵害に用いられる恐れは十分ある。
  第二に、汚職の問題だ。インドネシアでは、政府予算の30%が汚職で消えると言われている。わたし自身も、避難民から、ICRC(赤十字国際委員会)が世帯ごとに4枚の毛布を配布したはずなのに2枚しか与えられなかった、郡の救援ポストが避難民キャンプの村長に白紙の受領書にサインさせた、といった報告を受けた。
  第三に、復興に被災者を関与させていないことである。北アチェ県では、再定住が大きな問題となっている。津波で壊滅された海沿いの村の住民は、ほとんどが漁民である。しかし、建設されている再定住センターは、海からも元の村からも離れている。避難民は、センターに移転させられた場合、生計を立てる手段を奪われることになる。ほとんどの避難民が、より貧しくなり、より援助に依存しなくてはならなくなることから、センターへの移転を拒否しているが、戒厳令下であり、強制的に移転させられる可能性もある。すでに郡から、移転に反対すれば援助を受けられなくなる、との脅迫を受けた避難民も存在するくらいだ。
  軍事作戦と人権侵害、そして地震・津波に苦しめられているアチェの人びとが、平和で安心した暮らしを送れるよう、少なくともわたしたちは、日本の援助がどのような使われ方をするのか監視していかなくてはならない。

※NINDJAはアチェのNGOとの広域なネットワークを活かし、アチェのNGOが主体となった緊急救援・復興活動を支援している。天然ガスやエビなどを通じて日本との関係が密接で、GAMメンバーと疑われた避難民が援助物資を受けられなかったり、逮捕されたりする問題の起きている北アチェ県で、中長期的な生活支援(漁具・漁網提供、女性の職業訓練、学用品の供与など)を行っていく。活動内容について、ホームページで紹介されている。ウエブサイト

編集注:この原稿は、筆者が救援活動のために現地を訪問中の2月12日に送付されてきたものです。