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国際人権ひろば No.61(2005年05月発行号)

特集:第4回世界女性会議から10年 Part1

ジェンダー平等のための行動基盤を守った「北京+10」

本山 央子 (もとやま ひさこ) アジア女性資料センター運営委員

北京から10年


  2005年2月28日から2週間にわたり、「北京+10」のための国連女性の地位委員会がニューヨークで開催された。文字どおり、1995年に北京で開催された第4回世界女性会議から10年目の評価と課題の確認を目的とするものだ。
  「女性の権利は人権である」と宣言したウィーンの世界人権会議(1993)、持続可能な開発における女性の役割を強調したリオの環境開発会議(1992)、性と生殖に対する女性の権利を確認したカイロ人口会議(1994)など、90年代前半の主要な国連会議の成果をひき継いだ北京女性会議は、「女性の人権」の視点に立脚し、その確立に向けて具体的な道筋を示そうとした歴史的イベントだった。開発から「取り残された」女性という集団を統合し動員しようとする従来のアプローチから完全に脱却したわけではなかったにせよ、性差による権力構造を可視化する「ジェンダー」概念にもとづいて、国家制度や経済構造、伝統や慣習など、女性の人権確立を妨げるあらゆる要素を問うたのだ。
  このとき採択された「北京行動綱領」は、あらゆる領域におけるジェンダー視点の主流化と女性のエンパワメントを推進するための包括的な行動計画である。貧困、教育、健康、女性に対する暴力、意思決定への参加、武力紛争、女性の人権、メディア、環境、女児、そして女性の地位向上のための制度的な仕組みの12項目が最重要領域として挙げられた。条約のような拘束力はないとはいえ、国際的に合意された行動計画は、政府を動かすうえで重要な基盤となった。グローバルなネットワークを生かして交渉に参加したNGOの女性たちは、国連プロセスがフェミニズム運動の進展のために重要な役割を果たし得るという確信を強めたのだった。

バックラッシュの下で


  この10年の間のジェンダー平等政策・制度の進展は決して小さくない。だが「政治的意思」や資源の欠如に加え、その後の国際環境の変化によって、行動綱領の目標達成は妨げられてきた。新自由主義経済下のグローバリゼーションが、より不安定な低賃金雇用、性的搾取、貧困へと女性たちを追いやる一方で、女性の権利、とくに性と生殖の権利に反発する過激な共同体主義や宗教原理主義が世界各地で台頭している。とりわけキリスト教保守派との結びつきを強めるアメリカの反動的な政策は、国連やNGOの活動にも深刻な影響をもたらした。さらに「対テロ戦争」は、アメリカの単独主義を強め、武力紛争の災禍を広げている。
  これらの新しい課題を克服するためにも、今年、第5回世界女性会議の開催を望む声は高かった。にもかかわらず、「北京+10」が国連女性の地位委員会の通常セッションを格上げする形で行われたのは、いま行動綱領の見直しに道を開けば、バックラッシュ派につけいる機会を与えるだけという判断からだ。どこかの国の憲法と同じで、こういう時には足場をしっかり守り抜くことが最重要課題になる。
  後ろ向きな状況に、フェミニズム運動のなかでは、実行をともなわない国連プロセスへの失望、「ジェンダー主流化」のかけ声の下で進むフェミニズムの「プロ化」への反省も聞かれた。国連への依存を見直し、よりラディカルに既存の枠組みを問う運動を再活性化させるべきだという主張には、多くのフェミニストが共感する。それでもなお、ある女性の言葉を借りれば、「(国連プロセスに)関わらずにいられる余裕も私たちにはない」。女性の権利を守る法律や制度の後退を許せば、草の根の運動が道を切り開くチャンスや手段も損なわれることは明白だ。こうして、10年前に獲得した重要な足場を守るために、世界各地のフェミニストがニューヨークに集まった。

アメリカの妨害と孤立


  予想されたとおり、会議は、国際合意を覆そうとするアメリカに最初から最後まで振りまわされた。第1週には、北京行動綱領を再確認し実現に向けてさらに努力を続けることを誓約する政治宣言の採択が予定されていたが、アメリカは強硬に修正を要求した。「行動綱領の意味をゆがめて中絶を促進しているNGOがいる」「国連は国際人権を盾に、中絶を非合法化する国家主権を侵害しようとしている」とほのめかし、「行動綱領は"新しい国際人権"を創設するものではなく、中絶の権利を含まないことを確認する」という文言を入れろ、と主張したのだ。他国の支持を得られる見込みがまったくないにもかかわらず、国内保守層にアピールするために最後までゴネるやりかたに、みんながうんざりさせられた。
  つづく第2週では、個別の問題について計10本の決議が採択されたが、ここでもアメリカは非常に問題の多い2つの決議案を提出した。ひとつは起業にばかり焦点をあてた市場原理主義的な「女性と経済的エンパワメント」に関する決議案。もうひとつの「人身売買に対する需要抑制」に関する決議案は、売買春に対する道徳的非難の色彩が強く、貧困や開発問題など他の原因を軽視していると批判された。各国政府の介入によって、これらの決議は視野が広がりバランスのとれたものとなったが、アメリカは当初の提案意図から離れてしまったことに不満を示し、土壇場で「経済」決議の提案国を降りてしまった。カン・キュンファ議長はすぐれた議事さばきを見せたが、会議の進行は大いに遅れ、時間切れで議事を締めくくることができないという異例の事態となった。
  国連を軽視し単独強硬路線をとるブッシュ政権の姿勢は、ここでも国連と加盟国に多大な時間とエネルギーを浪費させたが、しかし重要なのは、各国政府がアメリカの圧力に屈せず、結束して北京行動綱領を固く支持したという事実だ。これは、ミレニアム開発目標達成のための根本的開発文書の一つとして北京行動綱領を位置づけるうえでも重要な勝利である。
  アフガニスタン、イラクへの違法な攻撃後、国連の役割に対する悲観的な見方は強まった。だが力にものをいわせるやり方だけで世界が動かせるわけではないことも、このささやかな良識の勝利は示したと言えるだろう。ブッシュ政権はこの会議直後に、国連大使と世界銀行総裁のポストに超タカ派を指名した。少しも楽観できる状況ではないが、まず「アメリカについていくしか道はない」という根拠のない思考停止から脱しなければ、何も始まらない。

北京行動綱領、生かすのはこれから


  今回、日本政府は公式には北京行動綱領を支持したが、そのやり方は不可解なほど消極的で不明瞭だった。原稿にあった「行動綱領の更なる実施」という言葉さえ、実際の政府代表演説では省略されてしまった。「決めたことはやる」と政府は言うが、実際に北京後の10年で日本の男女格差は経済でも政治でも拡大している。だからジェンダー平等と人権の原則へのコミットメントを再確認することは決定的に重要なのだ。その同じ日、国会では小泉首相が「性教育の行き過ぎ」を非難し、ジェンダーフリー教育を攻撃していたのである。
  ブッシュ大統領のように正面から国連の権威を否定こそしないが、平等、人権、民主主義という根本的価値に対する尊重をまったく欠いていることでは、同じくらい悪質かもしれない。その日本が「慰安婦」制度の責任をとろうともせず、安保理常任理事国の席を求めているのだ。ブッシュ政権は今回の会議でも、戦争で女性たちを解放してやったと演説してひんしゅくを買っていた。アラブの女性たちにとって何が「解放」なのかを恣意的に定義することこそ暴力にほかならない。北京行動綱領は、「安全」について「正義」について、ようやく自分たちの言葉で話し始めた女性たちが手にした貴重な鍵だ。失ってはならないが、握り締めているだけでも、どこにも行けない。再評価し使い続けることで、北京行動綱領は道を切り開き前進するための有効な道具となるだろう。