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国際人権ひろば No.62(2005年07月発行号)
肌で感じたアジア・太平洋
パキスタンに暮らして~チャーエで感じるパキスタン
小田 尚也 (おだ ひさや) アジア経済研究所 在ラホール海外調査員
ラホールという街
農村からの出稼ぎ労働に関する調査研究のため、2004年6月よりパキスタンのラホールにあるLahore University of Management Sciencesに客員研究員としてお世話になっている。パキスタン第1の商業都市カラチや首都イスラマバードに比べると、やや知名度の低いラホールであるが、インド国境近くに位置する人口700万人を超すパキスタン第2の都市である。パキスタン経済の屋台骨であるパンジャーブ州の州都であるとともに、ラホール・フォートやシャリマール庭園といったユネスコ世界遺産に登録されているムガル時代の遺跡が残る古都でもある。「ナポリを見て死ね」、「日光を見ずして結構と言うな」に似た「ラホールを見ていないものは、まだ生まれていない」という諺を持つ、喧騒の中に、近代と中世が行き交うエネルギッシュで魅力的な街だ。
チャーエで客人歓待
日本では、パキスタンというと、核実験やテロ事件といったネガティブな部分ばかりが強調され、あまり良い印象を持って見られていない。確かに治安は良いとは言えないし、また日常生活においてイライラさせられることが多いなど問題はあるが、パキスタンを訪れた人は、パキスタン人のホスピタリティー(歓待)に触れ、滞在を楽しんで帰国する場合がほとんどである。
そのホスピタリティーの一例が、訪問先で振舞われるチャーエ(チャイ)と呼ばれる紅茶にミルク、砂糖を入れた甘いミルクティーである。友人宅や仕事先を訪ねると、「まあ、チャーエでもいかが?」ということになる。別に友人宅や仕事先でなくても、様々なところでチャーエのお誘いを受ける。私自身、これまで銀行、携帯電話屋、旅行代理店、洋服屋、コピー屋等々でチャーエを頂いたことがある。つい先日も電卓を購入した文房具屋の店先でチャーエを頂戴した。外国人ということで特に振舞われる機会が多いのであろう。訪問先での滞在が長引き、食事の時間帯になってしまうと、「まあ、ご飯でも食べていきなさい」ということになる。
一日に何軒か訪問すると、お腹がいっぱいになることもある。チャーエとともにクッキーやケーキなどの茶菓子も一緒に出されることがあり、菓子をつまみながらチャーエを飲んでいるうちにお腹は結構、膨らんでしまうのだ。チャーエの申し出を断ることは、場所により、礼を失することになるが、それなりの理由をつけて断ると、そこはあきらめないパキスタン人、「コーヒーはどうか?何か冷たいものは?コーラはどうだ?」となる。客人に対して、チャーエ等の振舞いをしないことは失礼であると考えられているようだ。
客人歓待に関しては、パキスタンの北西辺境州からアフガニスタンにかけて住むパシュトゥーン人(パタン人)が有名である。その物的証拠(?)に、イスラマバードから道路でペシャワル(北西辺境州の州都)方面に向うと、北西辺境州に入ったところに、「Welcome to Land of Hospitality」と道路沿いの岩壁に書かれている。事実、パシュトゥーン人は、パシュトゥーン・ワライと呼ばれる掟を持ち、その掟の一つに、「客人を歓待すること」が設けられているのである。ラホールでは、チャーエにクッキー程度の歓待も、ペシャワル辺りでは、お茶のあてに、ケーキ丸ごと、チキンの丸焼きが出されたりする(たった一人で訪問しているのに!)。さて北西辺境州では、チャーエの他に、グリーンティーに砂糖、カルダモン等を入れたカフワと呼ばれるお茶もよく飲まれている。グリーンティーに砂糖という日本人には受け入れられにくい組み合わせであるが、これが結構、おいしい。
最高のチャーエを飲む
別に客人が来なくても、パキスタン人はチャーエをよく飲む。自宅、職場、友人宅、お茶屋等々、一日に少なくとも5~6杯は飲む。私が客員として所属する大学では午前11時と午後3時はお茶の時間である。いつもは時間に大幅に遅れがちなパキスタン人であるが、このお茶の時間だけは正確だ。時間になると、お茶係のおじさんが、「チャーエは?」と研究室にやってくる。
お茶屋では、紅茶にミルク、砂糖、カルダモン等を入れて煮出した濃厚なミルクティーを飲むことが出来るが、ホテルやレストランでは、ティー・パックにお湯、砂糖、ミルクパウダー(もしくは温めたミルク)のセットが出てくるので実にがっかりする。
私がこれまでに飲んだチャーエの中で最も美味しく、そして感動したのが、パンジャーブ州北部チャクワル県での農村調査の時に頂いたチャーエである。「チャーエでもいかが?」とインタビュー先の農家のご主人からお誘いがあった。失礼ながら決して裕福な家計ではなさそうであり、ご迷惑をおかけしてはと、一旦は丁重にお断りした。
しかし遠路はるばるやってきてくださったお礼に是非とも一杯と勧められ、「それではありがたく頂戴します」ということになった。
場所は、畑のど真ん中にある農作業小屋。どうやって作るのか興味深く見ていると、ご主人がおもむろに飼っている雌牛から乳を搾り、それを簡易コンロで沸騰させ、お茶葉、砂糖を入れてハイ完成。お礼をすべきは、こちらのほうであるのに、是非、お礼にと勧められた一杯。濃厚でまろやかなチャーエは、これまでに飲んだ中で最高のものであった。
インタビュー後、ご主人から、庭先につないでいる子ロバをお土産に差し上げたいとの申し出があったが、さすがにこちらは丁重にお断りした。するとご主人、畑で寝転ぶ犬を指して、「では犬はいかが?」。
こんな状況でもチャーエ
さてパキスタンにいると、移動手段としてパキスタン航空(略称PIA)を利用することが多い。出発・到着が遅れたり、使用機体の古さから、PIAはPerhaps It Arrives(たぶん、到着するはずだろう)の略であると言われたりする。パキスタン航空の名誉のため、そして私の経験から言うと、これらの悪いイメージはかなり誇張されてはいるが、私も一度、被害を被ったことがある。
イスラマバードからラホールへのPIAフライトが突然キャンセルとなり、同日のラホールからニューデリーまでの国際線を逃してしまったのだ。その便を逃すと次のデリー直行便は2日後の午後までない。2日後の午前中に面会約束のあった私は、焦りと怒りで空港のPIA事務所に駆け込んだ。そこには、漫才の"いとしこいし"に似た二人の職員がいた。一通り、私の用件を聞いてくれたが、フライトキャンセルの事実を知らなかった彼らは、あまりピンと来ていないようで、「まあチャーエでも飲むかね?」と尋ねてきた。チャーエどころでない私は、ぶっきらぼうに断り、なんとか翌日中にデリーまでたどり着く飛行機の手配を依頼したが、二人は、2日後のデリー便を勧めるだけで全く埒が明かない。イライラした私は、その場を離れ、別の職員と交渉を始めた。しかしこの職員はもっと埒が明かず、結局、再び"いとしこいし"の事務所に戻らざるを得なくなってしまった。
先ほど、失礼な態度を取ってしまったので、戻るのは気まずかったのであるが、"いとしこいし"が私の姿を見るや、「私の友達よ。ウエルカム・バック。どうした?」。「どうやら、あんた達のお世話になるしかないようだ」と伝えると、快く「そうかそうか。了解!」との返事が返ってきた。早速、何らかのアクションを取ってくれることを期待したその時、"いとしこいし"が一言、「まあ、昼飯でもいかがかね?」。ちょうど昼食時間帯。"いとしこいし"は、デスクの上で、昼飯を食べている最中であった。この言葉を聞いたとき、思わずズッコケそうになり、怒りも焦りも消えてなくなってしまった。結局、昼飯をご馳走になり、"いとしこいし"お勧めの2日後のデリー便に乗った。