MENU

ヒューライツ大阪は
国際人権情報の
交流ハブをめざします

  1. TOP
  2. 資料館
  3. 国際人権ひろば
  4. 国際人権ひろば No.63(2005年09月発行号)
  5. 対立・誤解・偏見から解きはなたれることをめざして 日本の大学生との対話から得たもの

国際人権ひろば サイト内検索

 

Powered by Google


国際人権ひろば Archives


国際人権ひろば No.63(2005年09月発行号)

肌で感じたアジア・太平洋

対立・誤解・偏見から解きはなたれることをめざして 日本の大学生との対話から得たもの

クォン・スンジョン (ハンシン大学大学院教育研究科生)

  ヒューライツ大阪では、韓国ハンシン大学教育大学院(京畿道烏山市)で平和教育講座を担当している姜淳媛教授の講座生4名の大阪での人権・平和教育研修プログラムに協力し、2005年6月20日から24日の日程で、フィールドワークや日本の大学院生との対話などをコーディネートした。参加者の一人であるクォン・スンジョンさんから、二つの大学の院生たちとの対話を終えて、次のような感想を寄せていただいた。

  日本と韓国は近いけれども、近くなるにはあまりにも遠いもの同士である。お互いをしてお互いを見る目が違いすぎる。共有部分の歴史を分析する観点が大きく異なっていて、今に至るまで多くの葛藤が起きている。そんな中、違うけれどもある面では似すぎている日本の大学生と対話の場を持った。そこで同じ出来事について見方が違うことを確認したのだが、立場の違いや相手の立場を理解することは容易ではなくても、それがいかに大事なことであるかを経験した。

6月21日 大阪大学大学院 国際公共政策研究科にて


  ここでは、日本の教育の現場や社会問題になっている様々なテーマに関して話合いをした。最初にとりあげられた問題は、教育現場で起きている人権にかかわる話題であった。日本の学生が自らの経験に照らして説明をしてくれた。私たちはその話を聞いて、私たちの学校の現場とそう違わないとすぐに思った。それは「入試第一」の教育である。日本や私の国の学校では学生の人権が尊重されていない。そして、いい大学に入ることが成功への道であるという信念が両国のどちらにもある。日本の学生の歴史認識が私たちより不足していることや、私たちが日本に対し矛盾した立場をとっているのは、すべてこうした教育制度や両国の複雑な利害関係を理解する手立てがなかったからだと考えるようになった。両国の学生は教育における被害者かもしれないと思い、自分たちの人権が守られないような教育を受けてきたという点で嬉しくない共通点を見つけたのである。
  話題が変わって歴史教科書の歪曲問題や「君が代」問題について話をした。「君が代」について日本の3人の学生がそれぞれ違う考えを述べた。私たちの日本に対するイメージは、日本というのは自分たちが無条件に正しいとするものであったが、君が代についてもそれぞれに考えが違っている姿を見ながら、自分たちが日本の否定的な面だけを見ていたのではないかという反省をした。ある学生は君が代はいいものだと受けとめていると言った。それは東アジアへの侵略とは無関係に、純粋に民族に対する自負心とつなげて見ていたのである。こうした姿を見ると、日本に対して被害者の立場で、ある社会問題に個人的理解でアプローチする時、自分たちと違っている部分については自分たちが非常に閉じた姿勢を持っていたのだと気づくことができた。終わりに、大阪大学の先生が「日本に対し言いたいことをいってください」とおっしゃったので、私たちは、日本と韓国の関係は被害者と加害者の立場であることは避けられないということを忘れずに、加害者である日本がまず韓国に歩みよってくれるように求めた。あわせて私たちの文化にかかわる話としてキムチの話をした。私たちの固有の文化であるキムチを、日本が日本のものとして外国に広めていることはいい気持ちがしないと言ったら、驚いたことに日本では日本製キムチがヨーロッパなど世界のマーケットで大々的に売られているという認識があまりないことを知った。話合いの最後になって、軽い話題になり、その話がまたおもしろかった。盛り上がったころに終わらなければならなかったのが大変残念である。
  大阪大学の学生との対話は、自然に重いテーマから軽いテーマに移っていき、違いに対する認識や私たちが持っていた誤解、そして日本という「国家」ではなく、学生対学生という個人をもって社会問題をどういう観点で見ているかをわかった良い時間であった。
  また私たちが日本人の学生に持っていた偏見や錯覚-例えば、日本の学生は皆ノートを持って図書館で必死に勉強している-ようなイメージを捨てることができ、自分たちと同じような姿の学生たちと出会うことができたのである。

6月23日 大阪市立大学大学院 創造都市研究科にて


  ここでは、歴史教科書や独島(竹島)問題などについて話合った。私たちのゼミの姜淳媛先生が参加できなかったが、大阪市立大学大学院の先生が進行を務めてくださった。そして日本の学生側の話を聞くことから始まった。学生の中に、現職の中学校の教頭先生がおられて、直接、日本の歴史教科書を持ってきて、問題となっている点を指摘していただいた。その教科書を見ていく中で、私たちが「トンヘ(東海)」と呼んでいる海を「日本海」と呼んでいることについて少し議論をした。お互いの理解が違っていたことや、日本では「日本海」で慣れ親しんできたのでそれを別にどうも思わなかったという話に対し、私たちは少し失望も感じ、怒りの気持ちもあった。独島問題については、日本の学生がもっと多くのことを学んだようだ。独島がどこにあるのか知らなかったが、ある日、島根県が「竹島の日」の条例を制定したことを契機に知ったという。しかし私たちにとっては、独島は当然自分たちの土地だと思っていたので、日本がこうした日を制定したのはとんでもないことだと思っている気持ちを出した。率直なところ、大阪大学での話とは違ってあまりいい気分がしないことも結構あった。
  この日の午前中、私たちは大阪市内にある民族学校を訪問したが、大阪市立大学の学生の中にも在日3世がいた。その人から、韓国政府に対する韓国の若者について自分たちが抱いた色めがねをはずすことができたという話があった。日本の学生は、当時の「ノサモ」(ノ大統領候補を慕っている)現象を見て、韓国の若い学生はノ大統領の言葉なら何でも従うと考えていたと彼女は言ったが、私たちは、ノ大統領に対する自分たちの立場をはっきりとこの場で伝えた。大阪市立大学での対話は、このように互いが知らなかったことを知ることで偏見を拭いさるのだということと、重要なことはやはり対話をする時の姿勢だということを感じることができた。
  少し気分が上向きになったのは、私たちが、現在、対立を続けている過去の清算、歴史教科書、独島問題などにあって、お互いの理解の観点が違うということを認識し、違う理解の中でもお互いが譲歩すべきところは譲歩し、大阪大学の学生との対話の時と同様に、加害者がまず手をさしのべ頭を下げるときに被害者が心の扉をもっと開くことができるということを確信したからだ。
  討論が終わって、大阪市立大学の院生と「懇親食事会」をしたが、そこでは、やはり同じ学生同士だと思えるようになり、ファッション、恋愛、容姿の話にはじまり、会議の場では分かち合えなかった話が行き来した。平和や人権が遠いところにあるのではなく、交流を通じて対話をしながら誤解を解いていき、知らなかった事実を知って偏見を捨てることからはじまるという考えをもつようになった。

  あまりにも遠いのにあまりにも近く、離れたくてもそうはできない国、日本。だからより一層対立が生じているのかもしれない。今回の大阪での大学院生との出会いは、私たちが今、直面している多様な問題を見る観点を整理してくれた。政治、経済、歴史、すべての問題がもつれているのは事実だ。けれども、私たちが個人で出会った時に解くことができた誤解のように、誤解や自己中心的なものを一歩づつ後ろに押しやれば、今まで続いてきた対立が少しづつ減っていくのだという希望を慎重にではあるが持ちつつある。
  大阪大学では、別れを惜しみ、立ったまま話を続けた私たち。大阪市立大学では懇親食事会 が進むほどに笑って語りあい、コップにビールをつぎあった。私たちが捨てた偏見や誤解の分だけでも、また私たちとの出会いを通じて、韓国に対しより理解を増した大阪大学、大阪市立大学の学生の分だけでも、たとえ少しづつであってもそれが継続していくことができればと思う。
(訳・ヒューライツ大阪 朴 君愛)