2005年3月から7月末までの5ヵ月間、フィリピン人権委員会の調査を行うため、ルソン島北東部、イロコス地方と首都マニラを行き来しながら過ごす機会を与えられた。10代、20代の頃と異なり、四十路を過ぎると、体力もそれなり、元気もそれなりである。病気もすれば、「乾季」ばてもする。「10~20代の東南アジア」とは、また異なる視点から、途上国の暮らしを見直すことになった。
路上にあふれる「白衣の天使」たち
私が数ヵ月の間居候をした、ラウニオン州サンフェルナンド市にある地方人権委員会の事務所から道を隔てた向こう側には、人口約420万人のこのリジョンI(北イロコス州、南イロコス州、ラウニオン州、パンガシナン州からなる)をカバーする中核病院があり、遠くからも多くの人が診療に訪れる。そして昼頃ともなると、白衣を着た相当数の看護師(圧倒的多数が女性)が周辺の食堂に溢れる。その多さたるや「壮観」で、到着したての頃の筆者は、病気をしたら、ずいぶんと手厚い看護を受けられるのだと期待し、安心したものである。
だがしかし、である。数ヶ月後、友人の隣家の女性がこの病院で出産による失血死をしてしまった。出血が止まらないと何度か医師に訴えたが、そのうち止まると言われたまま数時間がたち、家族が血液バンクから「血を買ってくるように」と医師に指示された時にはすでに手遅れであった。路上に溢れる相当数の看護師と矛盾する出来事に驚いた。その後、この「矛盾」がいかに深刻であるか、事実を知ってさらに驚いた。このリジョンでは、庶民が足を運ぶ公立病院で働く医師は158人、看護師は203人しかいない
[1]。私立病院の統計はないので、これらを含めればもっと多くの医師と看護師がいるはずだが、庶民がアクセスできるのは公立病院である。そうした病院にこれだけしか医師や看護師がいないとはどういうことか?と誰もが思うに違いない。
フィリピンでは看護師、そして最近では介護士が人気職種であるが、それは海外での就労可能性が高いからである。したがって、圧倒的多数の若者が看護や介護を将来の進路として選択する。もちろん看護師は高等教育機関で4年間の教育を受け、国家試験を受験するのに対し、介護士のほうは通常半年程度の職業教育を受けるので、難易度やかかる費用は相当に異なる。多くの若者が、まずは専門性が高く高給を得られる看護への進学を希望するが、毎年、いずこの大学でも学習の難しさ、学費捻出の難しさなどから、かなりの数が中途で断念する。また、希望者増加につれて国家試験の合格率も低下し、さらに、海外で就労するには渡航希望国が求める各種試験の受験も必要となる。したがって、学生の中には「看護師になれなかったら、介護に転換する」という声も多い。
しかし、看護の人気が高いのは高給のためだけではない。専門職として北米やヨーロッパに仕事を得られれば、多くの国で長期滞在や「移民」が認められ、やがて家族を呼び寄せることができるからである。近年、看護・介護職の「出稼ぎ」が増えるにつれ、「移住労働の女性化」などという言葉も流行っているが、そんな生易しいものではない。看護職の場合、女性の渡航は突破口に過ぎない。「一家総出の移民戦略」の布石なのである。
したがって、看護師は増加しても、移住労働者と移民の増加につながりこそすれ、国内の医療レベルのアップには貢献しない。フィリピンでは心臓病、肺炎、悪性腫瘍、結核に次いで死因のトップを占めるのは、依然として「下痢」「はしか」である
[2]。
マニラでは公立医療施設がショッピングモールに変わり、地方の保健センターは劣悪な設備と人員不足に悩まされている。筆者の見た、路上に溢れる「白衣の天使」たちは、資格取得に必要な実習のため、あるいは「出稼ぎ」の要件として求められる経験期間を満たすため、公立病院に通ってはいるが、そこで働き続けるわけではないのである。
携帯電話コネクション
さて、話は変わるがフィリピン七不思議のひとつは、携帯電話の驚くほどの普及の早さである。実際、携帯によるテキスト・メッセージ(日本で言うところの携帯メール)利用はフィリピン人が世界一らしい。PLDT社の経営するスマート、アヤラ財団のグローブ、そこに新規参入企業なども加わってサービスと値下げ競争が激化し、多くの人が「少し無理をすれば」携帯を持てるようになった。実際、どこでも携帯メールを打つ人びとを目にする。通話は一分10数円に対して、メールは2円程度なので、断然みんながメール派になるわけである。「なんでそんなにしょっちゅうメールするの?」とたずねたところ、「フィリピン人は人間関係が濃いからね。とくに家族とか親戚は」「海外にいる親戚とも連絡できるから」とのことである。そして驚くべきはそのカバー領域の広さである。山を越え、谷を越えた山奥の村でも、ルソン島最北端の町でも、携帯電話の電波が入る。マウンテン・プロビンスの先住民族の村から、海外に出稼ぎに出た子どもと電話で話す家族を見て、当初は驚いたものだが、それもそのはず、携帯電話のアンテナはどこにでもある。ルソン島最北端の町では、丘の上に駐車されたトラックの荷台に高だかと携帯電話のアンテナが立っていた。
しかし、便利を痛感したのも束の間、不便もある。携帯電話のあまりの普及で、地上の固定電話がない。人権委員会が地方の市町へ職員研修に出かけようにも、役所に電話がない。「講師の到着が1時間程度遅れる」場合も、担当者の携帯電話に電話をするしかない。担当者の電話の充電が切れていたり、プリペイド度数が切れかけていたら終わりである。実際、人権委員会がある市役所での講義に遅れて到着した際には、研修の受講者はすっかり解散してしまっていた。そして回線がないから町にはインターネットがない。情報格差がさらに広まることは避けられまい。
規制緩和と自由化・民営化はいまや世界的な潮流だが、いかんせんその影響は発展途上国ではドラスティックである。フィリピンの固定長距離電話サービスを提供しているPLDT社は民間会社だが、通信事業というのは、それでもいまだ公益性が高い。だから日本でも、携帯電話が普及したけれども駅前の公衆電話を残すか残さないか、などということが議論されるのである。規制緩和によってサービスが多様化するだけでなく、基本的サービスがどう維持されるべきか、という視点が重要である。しかし、フィリピンでは採算がとれないから、地上電話が町から消える。経済的困難を抱える国では、わずかの採算を理由にインフラが消えてしまうのである。
「政府のアカウンタビリティ」と人権
看護師の海外移住と携帯電話の普及、この二つは一見無縁に見えるが、実は共通する問題をあぶりだしている。それは「健康で文化的な生活への権利」を人々に保障するため、政府(や地方自治体など)はどのような責任を負うのか、という問題である。「健康で文化的な生活」が権利である、といくら繰り返しても、それを実現する一義的責任を負う政府、公的機関の働きが得られなければ、それらは絵に描いた餅に過ぎない。
貧困や失業、インフラ後退といった問題の解決に対して、政府のアカウンタビリティ(説明責任)が高まらなければ、人びとは「自力救済」するしかない。「おカミはアテにならないから、自分の身は身分で守る」のである。固定電話が通じないのなら、自分で携帯を購入して通信手段を確保するしかない。国内政策に頼っていても仕事はないのだから、家族の誰かを海外に送り出して収入を確保するしかない。「政府のアカウンタビリティ」という問題が、今日のフィリピン社会で起こっている現象を説明する一つの重要な要素であるように、私には思えるのである。
ここ数年、こうした流れの中で、フィリピンでは「開発・発展における、権利に根ざしたアプローチ」(Rights based approach to development:RBA)が支持を得るようになり、フィリピン人権委員会でもその普及に力を入れるようになっている。これは国連改革によって提唱されるようになった考え方であるが、開発政策や計画の立案、その実施の際、国際人権基準との関わりを明確にさせ、政策や計画がどのような権利の実現に寄与するのか、また、権利を実現する義務を持つ政府や公的機関(デューティー・ホルダー)の責任を明確化させようとするものである。
もちろん、政策決定や実施の過程において、人びとの参加やエンパワメントが重視されていることは言うまでもない。ピープルパワー後のフィリピンは、人権委員会の設置などによって、市民的・政治的権利に関わる問題の解決のシステムを徐々に築きあげてきた。これに対して貧困や失業、人びとの健康の問題などの経済的・社会的問題をどう解決し、フィリピン社会を発展に向けて方向付けていくのかが今日の大きな課題である。
しかしそのためには、政府や公的機関のアカウンタビリティを高めることが不可欠である。RBAによって、フィリピン社会がどう変化していくのか、「政府のアカウンタビリティ」が高まることによって、人びとのライフスタイルがどう変化するのか、今後の長い変化を見守り続けていきたいと思うこのごろである。
1. Number of Government Doctors, Nurses, Dentists and Midwives by Region 1996 to 2002,'2004 Philippine Statistical Yearbook'(National Statistical Coordination Board)
2. Notifiable diseases and deaths by cause 1988 to 1998, ibid.