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国際人権ひろば No.65(2006年01月発行号)
アジア・太平洋の窓
日本へのベトナム女性の人身売買
香川 孝三 (かがわ こうぞう) 神戸大学大学院国際協力研究科教授
■ベトナムでの人身売買の実態
ベトナムでは人身売買によって女性や児童を送り出す国になっており、送り出さないためにはなにをすべきか、もし送り出される場合には女性や児童をいかに保護していくべきかが課題となっています。
ベトナムから、とりわけ中国、台湾、カンボジア、タイ、マレーシア、シンガポール、マカオへの人身売買が問題となっています。そこから、さらにアメリカやヨーロッパに売られる事例も出てきています。女性だけでなく、男女の児童も対象となっています。女性の取引は結婚や仕事に就けることを理由に、だまされて海外に連れていかれ、売春を強制される場合が多く、児童の取引は養子縁組を利用して、売春や児童ポルノの対象とされたり、臓器移植のために利用されています。
人身売買の対象とされた女性や子どもの数についての公式統計はありません。そもそも統計の取りにくい問題です。国連開発計画の報告書では、1990年代はじめから、少なくとも10,000人の女性と、14,000人の児童が売られたとしています。1990年代の統計が示されているのは、1986年のドイモイ政策採用後に、人身売買が大きな問題となってきたからです。ベトナムはそれまでの主に社会主義国との交流から、ドイモイ政策採用後、さらに多くの国々との交流ができるようになったこと、海外での豊かな生活へのあこがれが強まり、そのすきをつかれて人身売買が広がったと思われます。ドイモイ政策によって外資を導入して、年7%を超える経済発展を遂げていますが、人身売買はドイモイ政策のマイナスの側面を示しています。
さらに、人身売買は海外に売られる場合だけでなく、ベトナム国内でも見られます。農村から都会へ人口の移動がありますが、その時人身売買に該当する事例が見られます。ドイモイ政策によって、人の移動の機会が多くなって、貧しい地域から豊かな地域への移動が増加していますが、その中に人身売買の事例があるということです。これもドイモイ政策の負の側面を示しています。これが都市部での「売春」を増加させています。
■人身売買対策
人身売買への対策を見てみましょう。1999年制定の刑法によって、人身売買に刑罰を科しています。さらに2000年制定の婚姻・家族法で人身売買を目的とする婚姻を禁止し、罰則と損害賠償請求権を規定しています。1995年の労働法典でも18歳未満の者の風俗関係での就業を禁止しています。2004年に改正された児童保護・教育法でも児童の人身売買を禁止しています。
近年、このように法律が整備されてきていますが、それらがきちんと履行されるかが問題です。担当する役所の腐敗によって、違反行為が見逃され、効果をあげていないからです。
政府は人身売買撲滅のために行動計画を立てています。広報・啓発活動、犠牲となった女性や児童のケア、法制度実施を確保すること、防止のための国際協力を促進することなどを計画にあげています。ベトナム女性同盟、海外のNGO、地域の人民委員会が共同で、保護施設を設置して、犠牲となった女性や児童のケアを実施しています。
国際協力の面では、カンボジアとの間に、二国間の条約を締結して、両国の警察が協力して人身売買の摘発に乗り出しています。中国との間でも覚書が締結されて、情報や経験を交流させて、共同で人身売買の摘発に乗り出しています。
日本は国連の「人間の安全保障基金」や国際移住機関(IOM)を通じて資金を提供しています。それは間接的な支援であり、もっと直接的な支援がなされてもいいのではないかと思われます。日本のNGOも、まだベトナムで活動するケースが多くなく、人身売買の問題に取り組んでいる日本のNGOは存在していません。
■日本への警鐘
人身売買によってベトナムから日本に送り出されるケースはこれまで多くありませんでした。フィリピンとは異なり、「興行」の在留資格で日本に滞在するベトナム人はきわめて少ないからです。「人身取引」
※の防止のために日本側が作成したパンフレットには、ベトナム語で書かれたものはありませんが、これはベトナム女性が人身売買の対象となるケースがないか、あっても少ないという判断があるからです。ベトナムは社会主義国であり、国民の日常生活への監視が行き届いており、人身売買の対象とはなりにくいという先入観があるのかもしれません。しかし、これは事実と違うことは先に述べたとおりです。
研修や技能実習で日本に滞在中、途中で逃亡する割合はベトナム人がもっとも高く、2割近くに達します。これは、手引きをするベトナム人(日本に難民として入国しているが、日本社会になじめず、非合法活動をおこなうグループ)がいて、もっと稼ぎたいと思っているベトナム人が逃亡しています。その結果、彼らは「不法就労者」や「不法滞在者」となりますが、それらの者の中に売春を強制される事態に陥るケースがあります。また、日本にすでに住んでいるベトナム人と偽装結婚をして日本にやってきて、売春を強制されている事例がないとは言えません。
さらに、日本側が「人身取引」に対して法制度を整備し、厳しい政策を採用しはじめたために、フィリピンから興行の資格で日本に入国することが難しくなってきています。そこで、日本の暴力団がフィリピンに近いベトナムに目をつけ始め、すでにベトナムで動いているという情報があります。それにはベトナム政府の高官がお金のために、関係しているという話も漏れ聞いています。
日本の暴力団がベトナムに入り込む事情がベトナム側にもあります。ベトナムでは、最近、カラオケ、バー、マッサージ、サウナ、ディスコ・パーティー等々の風俗関係の現場で摘発がさかんに行われています。売春や麻薬の使用の疑いで、摘発がなされてます。麻薬の使用はHIV感染者を増加させる要因にもなっており、HIV感染を抑えるためにも必要な取締りとされています。また、このような風俗営業は公安(警察)にとって、小遣いを稼ぐ場にもなっています。公安の給与は低く抑えられているために、収入を確保する場として都合のよいのが風俗営業なのです。そこで摘発されるカラオケ、バー、マッサージ店などは、公安に鼻薬を充分に提供していないからだといわれていました。
最近では、公安と深いコネを持っていると思われていたカラオケ、バー、ディスコ・パーティー等々で摘発が実施されています。政府の売春、麻薬、HIV撲滅の政策実施に本気で取り組んでいる姿を見て取れます。
いずれにしても、それらの場所で働いていた女性が行き場を失って働けなくなってきています。摘発をしても、女性が将来どのようにして生活していけばいいかの政策はなんら立てられていません。一部の女性は郷里の田舎に帰る者もいますが、農村に帰っても職がないので、多くはそのまま都会にいます。以前よりもっと隠れた形で売春が行われています。そこにつけこんで、ベトナムの女性を日本に送り込むルートが設けられ始めています。女性側も、同じ売春をするのであれば、稼ぎのいい日本に出かけることに大きな抵抗はないのかもしれません。ベトナムで日本人相手に売春をしたこともあるだろうし、「お金持ちの日本」に行きたいと思っているのでしょう。
ベトナムから日本に行く場合、ビザが必要です。日本からベトナムに出かける場合、観光目的であれば2週間以内の滞在に限って、ビザは不必要です。ビザに関しては、日本とベトナムは対等にはなっていません。ベトナムから観光で出かける場合にも、興行の資格で日本に出かける場合にも、当然ビザが必要になります。ビザ発給にあたり、相当の注意をして審査をおこなう必要性があります。書類審査なので、きちんと書類が提出されていると、ビザ発給を断れないのかもしれませんが、その書類が、政府高官がからんで偽造されている場合もあり、注意深く審査されることを期待したいです。そこで食い止めるのが第一歩です。ベトナムをフィリピンの二の舞にしないための対策が望まれます。
※編集注:日本政府は、「人身売買」を「人身取引」と表記していますが、本誌では一般的に定着している「人身売買」と表現します。