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国際人権ひろば No.66(2006年03月発行号)

特集 ミレニアム開発目標と日本の課題 Part1

「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンのめざすもの

今田 克司 (いまた かつじ) 「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーン事務局統括担当

■貧困と闘うグローバルなキャンペーン


  2005年7月に販売開始されたとたんに火がつき、12月末までに国内で450万本を売り上げたホワイトバンド。これは、「世界の貧困をなくそう」という思いを表すものであり、2005年に世界で展開された市民社会組織による「貧困と闘うグローバルなキャンペーン(Global Call to Action against Poverty, G-CAP)」の運動のシンボルである。全世界では、1,500万本が出回ったと言われる。
  2000年のいわゆるミレニアムサミットにおいて、国連加盟国は、新たな千年期の到来を記念して、平和・安全および軍縮、開発および貧困撲滅、共有の環境の保護、人権・民主主義および良い統治、弱者の保護、アフリカの特別なニーズへの対応、国連の強化の各分野における国際社会のコミットメントを確認する、ミレニアム宣言を採択した。特に貧困撲滅においては、「社会正義と公平性」の原則のもとに「より平和で繁栄した公正な世界」を作り出すことを目的とし、貧困に苦しむ世界の人々が欠乏から解放されることに国際社会がコミットすることを約束した。同時に2015年までに貧困を半減することなど、8つの目標について具体的指標で成否を評価するミレニアム開発目標が定められた。
  ところが、2001年の「9.11」以降、国際社会は「テロとの戦い」に関心を大きくシフトさせてしまう。貧困がテロとの関連のみにおいて語られるようになり、置き去りにされる約束。この事態に危機感を感じたNGO(非政府組織)、特に途上国のNGOが中心となって、国際社会に約束を守らせるためにスタートしたのがG-CAPである。訴えられたのは貧困を生み出す政策の変更だ。特に先進諸国に対しては、援助の量の拡大と質の改善、債務の免除、貿易ルールの公正化が三本柱として要求された。
  2005年に英国でのG8サミット、国連サミット、WTO閣僚会合と、貧困問題に対し国際社会のスポットライトがあたる機会があることに注目し、この年がキャンペーンの年と位置づけられた。2004年9月に、運動を世界に広めようと南アフリカに集まった国際NGO、途上国のNGOや運動体、労働組合、宗教者団体等のG-CAP関係者が、連帯のシンボルをホワイトバンドに決定した。ゆるやかな連携を主眼に、キャンペーンのやり方はそれぞれの国に任されたが、3回のホワイトバンド・デーに世界同時アクションを起こすことで、「世界の貧困をなくそう」という声を世界的に結集させることになった。

■日本の「ほっとけない 世界のまずしさ」


  G-CAPの日本キャンペーンである「ほっとけない 世界のまずしさ」は、国際協力NGOのメンバーを中心とした実行委員会が、2005年5月に東京で250人を集めた立ち上げの集いを開催して始動した。6月にはホワイトバンドの製作・流通、キャンペーンのPR面で協力している企業の連合体であるホワイトバンド・プロジェクトが結成された。その後、60を越えるNGO/NPOが賛同団体として加わっている。
  今回のキャンペーンの特徴は、アーティスト、タレント、スポーツ選手などの著名人がホワイトバンドを広める役を果たしたことだ。英国のMake Poverty History(貧困を過去のものに)、米国の The ONE Campaign などにならい、日本においても、著名人が出演するクリッキング・フィルム(3秒にひとりずつ指を鳴らして、3秒にひとり世界のどこかで子どもが貧困のために命を落としていることを表すもの)が制作された。これが7月にリリースされると、テレビや雑誌でひんぱんに取り上げられるようになり、ホワイトバンドが急速に広まった。
  その結果、全国でキャンペーンに賛同する個人が賛同グループを自然発生的に組織し、ホワイトバンド・デーを中心にしたイベントを実施するなど、活発な動きを見せた。賛同団体とあわせて、9月のホワイトバンド・デーでは全国で30ヵ所以上、12月は40ヵ所以上でホワイトバンド関連のイベントが開催され、ホワイトバンドの認知度の高さを示すとともに、「世界の貧困をなくそう」というストレートなメッセージをストレートに表現する様子が全国各地で見られることとなった。
  ホワイトバンドが国内で450万本売れたからといって、すべての人々がキャンペーンの趣旨をしっかりわかっているわけではない。けれど、9月や12月に全国各地でイベントを組織した中心人物の多くは、ホワイトバンドのファッション性にひかれ、けれどもそれを自分にとっての一過性のブームで終わらせずに、世界の貧困やそれを生み出すしくみについて理解しようとした。それぞれの地域で仲間を見つけ、まわりに協力をあおぎ、イベントをつくりあげていったのだ。

■アドボカシーとしての「ほっとけない」


  G-CAPは広範な市民の参加によって、貧困を生み出す政策の変更を訴えるアドボカシー・キャンペーンであるが、日本においてはこれがさまざまな波紋を呼んだ。「ほっとけない」では、「貧困は人災です」、「貧困を生み出すしくみをみんなの関心と行動で変えよう」と呼びかける。
  これは、政策変更すなわち世界の貧困をつくり出す構造の改変なくしては、貧困は削減できないし、ミレニアム開発目標も達成されないという認識にもとづくものだが、日本においては、これが誤解を生み、さまざまな批判へとつながっていった。もちろん、批判のなかにはまっとうなものも多く、会計報告でホワイトバンドの売り上げの使途をつまびらかにしていくなど、私たち関係者は襟を正して今後とも説明責任の確保に努めていくつもりだ。
  しかし、ホワイトバンドの売り上げが直接途上国での食糧や物資になる募金として使われないということが批判を浴びたことは、日本においてアドボカシーが理解されていないということを如実に示すこととなった。私たちは、アドボカシーには政策づくり(調査研究、政策提言)の側面と、人に伝えてその結果としてたくさんの人が行動を起こす(ほかにいいことばがないので啓発活動と呼んでいる)側面の、両方が含まれていると意識している。アドボカシーについて理解してもらうためにも、全国でホワイトバンドをつけて意思表示をした人々の思いを大切にし、そのひとりひとりの思いが政策変更までしっかり一本の線としてつながっていることを示すことが私たちにとってとても重要なことになっている。
  例えば、9月の国連サミット直前の時点で、「200万人が見ています」というメッセージで、新聞に投稿したり、Eメール・アクションをおこして、小泉首相が国連サミットに出席することを促した。8月の時点で、総選挙直後という日程のため小泉首相は国連サミットに出席しないという発表があったのだ。私たちのアクションの甲斐もあって、小泉首相は0泊2日の強行日程でニューヨークに飛び、国連総会の場で、「貧困に苦しむ人々を支援するために日本を含む先進国が約束を果たし行動することがよりよい世界を作る基礎となる」という演説をした。こういった発言を具体的な政策変更につなげていくためのフォローアップが欠かせなくなっているが、それでも、ホワイトバンドをつけた人々がいたからこそ、小泉首相がニューヨークまで飛んだということの意味は大きい。
  また、2005年、日本政府は援助増額や債務免除への貢献など、国際社会の歩調にあわせた発表をいくつかしているが、こういった国際的な動きをつくったのはG-CAPの成果である。

■そして今後


  ホワイトバンドに対する誤解も払拭されているわけではなく、私たちの課題はまだまだ大きい。2005年になんらかのきっかけでホワイトバンドに注目した多くの人々が、今後も「自由に、自発的に、楽しく」キャンペーンとつながっていられるように、そしてそれをバックに、洗練された政策提言をNGOや研究者が出していくことができるように、「ほっとけない」は日本がG8サミットの開催国となる2008年を次なる目標として、活動を続けていく。