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国際人権ひろば No.66(2006年03月発行号)
現代国際人権考
新たな「部落地名総鑑」の発覚と今後の課題
北口 末広 (きたぐち すえひろ) 近畿大学教授・ヒューライツ大阪評議員
■第九、第十の新たな「部落地名総鑑」
昨年(2005年)12月、大阪市内の調査業者から新たな「第九」の「部落地名総鑑」(以下、「地名総鑑」)が、そして今年1月、「第十」の「地名総鑑」のコピーとこれまで発覚している第八の「地名総鑑」のコピーが回収された。
新たな二種類とあわせて三種類の「地名総鑑」が回収されたことになる。昨年回収された第九の「地名総鑑」は全てが手書きで、全国の被差別部落の所在地だけではなく、特に大阪の被差別部落については、一つ一つの被差別部落の所在地や環境、その地区の多い姓に関する記述が書き込まれるなど、より詳細なもので記述内容からして1965年の「内閣同和対策審議会」答申が出される以前に調査業者によって作成されたと考えられる。
1975年に発覚した「地名総鑑」差別事件は、新たな「地名総鑑」が発覚したことによって、今日においても未だ終結していないことが明らかになった。また30年の歳月を経てもなお「地名総鑑」が調査業者によって所持・利用されていたという事実は、今日の部落差別の根深さを顕著に示したといえ、多くの部落問題に関わる意識調査結果で明らかになっている根強い部落差別意識とも一致する。
結婚時における部落差別意識は容易に部落差別の身元調査と結びつく。その結果が今解明が進められている2005年4月に発覚した行政書士らによる大量の戸籍不正入手事件であり、調査業者による「地名総鑑」の所持である。業界関係者は今も多くの調査業者が「地名総鑑」を所持していると証言している。
■「被差別部落の調べ方」まで掲載
法務省は1989年に部落解放運動や関係者の反対があったにもかかわらず「地名総鑑事件」の終結宣言を出した。その判断の甘さと誤りが今回の発覚でより一層明確になった。
第九の「地名総鑑」の冒頭には「大阪府下に於ける特殊部落に就いて」とテーマのようなものが記され、それに続いて「尚、本件内容に関しては過去数ヶ月間に亘り当社々員が実地に府下一円を踏査した資料結果に基づき詳述したものである」と解説が付け加えられており、販売目的で作成されたと考えられる。
冒頭に「特殊部落」という表現がストレートに使われており、極めて差別的な作成調査業者の体質が分かる。今回、再び回収された第八の「地名総鑑」の「被差別部落の調べ方」を読めば、調査業者の差別的な体質が鮮明に見えてくる。
この「被差別部落の調べ方」は部落差別を助長する可能性があり、一切公表していないが、まず強烈な差別的「まえがき」があり、その最後に「それでは、これらの人をどうして調べ出すか、基本的な点について説明する」とした上で、七項目を設定し、「被差別部落の調べ方」を詳述している。
これらの「地名総鑑」が利用されて今日においても部落差別身元調査が横行しているのである。それでも結婚差別身元調査が明らかになることはほとんどない。なぜなら部落差別身元調査の証拠が残らないように巧妙な手法が取られているからである。
調査業者が証言しているように身元調査項目の中でも部落差別報告の部分は全て口頭報告であり、調査業者と依頼者の間で行われる口頭報告を記録することは事実上できない。つまり実際に行われている結婚差別身元調査のほぼ全ては発覚しないのである。これらの現実を厳しくふまえた取り組みが求められている。
■電子版「地名総鑑」も存在する
今回の回収で第一にこれまで判明してきた八種類の「地名総鑑」よりも10年程前に調査業者によって作成された「地名総鑑」がすでに存在していたということ。第二に「地名総鑑」作成のために実地に調査業者が大阪の被差別部落を踏査しているということ。第三に未だに調査業者によって所持されていたということ。第四に1989年法務省発表の8種類ではなく10種類の「地名総鑑」が存在していたことが少なくとも明らかになった。
今や多くの辞書や辞典が電子辞書になっているように、「地名総鑑」も分厚い図書ではなく小さなフロッピーやCD等になっているといわれており、全国五千数百の被差別部落の所在地が書き込まれていると多くの調査業者は証言している。これらは瞬時の内にコピー・転送でき、回収する意味すら薄れていることを示している。これらの状況に対抗できる唯一の方法は、被差別部落の一覧表があっても、それらが差別的に利用されることのない部落差別が完全撤廃された社会を創造することである。そのためにも電子版「地名総鑑」の回収を含めた「地名総鑑」差別事件の徹底した解明が求められている。