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国際人権ひろば No.68(2006年07月発行号)

特集 フォトジャーナリストがみた現実世界 Part1

ビルマの「変わらぬ現実」~正論」伝わってますか?

宇田 有三 (うだ ゆうぞう) フォトジャーナリスト

  軍事政権国家ビルマは、キンニュン首相失脚(2004年10月)以後、タンシュエ上級大将の支配下のもと、以前にも増して強権政治が進行している。アセアン首脳会議議長国辞退、「国境なき医師団(MSF)」の活動停止、突然の「首都(機能)」移転、アウンサンスーチー氏の自宅軟禁延長、「赤十字国際委員会(ICRC)」への圧力、ビルマは出口の見えない政治状況に追い込まれている。
  私はここで、現在のビルマ軍事政権の「悪行」を、これでもかと並べ立てるのを(それはそれで必要だが)目的としているのではない。国連やアセアン(東南アジア諸国連合)の説得には応じようとせず、民主化への萌芽さえ期待できないビルマの今は、メディアやNGOの報告書でその詳細は伝えられている通りである。以下、私がビルマに直接関わることで感じることを記してみたい。

■ ビルマの「変わらぬ現実」


  ビルマ軍事政権の政策下において、現地の人びとの暮らしは向上してきたとはいえない。過去14年間(計17回)のビルマ訪問はそう体験づける。相も変わらず頻繁に発生する停電。町中の電気が突然消え、目の前が真っ暗になると、「ああ、またか」という深い落胆を感じる。実際、停電に慣れているはずの現地の人も、電気が消えた瞬間、声にならない「ああ」というやるせなさを身体から放つ。隣国タイを経由してビルマを訪問すると、タイ社会の変貌ぶりに比べ、いつまでも変わらないビルマ社会がそこにある。
  だがその「何も変わらない」という印象は、訪問者の見る視点であって、そこに住む人にとっては、変わらないということは、毎年、毎日、いや1秒刻みでさえ、状況は悪くなっている、ともいえる。最近、やっとそのことに気づき始めた。
  状況が悪い、というのは、経済的に生活が苦しいということだけではない。ビルマの「何も変わらない」現実は、社会生活や若い世代の活力を奪い続けている。
  つまり、その何も変わらないということで、彼らは日々、苦しみ続けている。「もしかしたら、明日変わるかも知れない」という夢や希望が、その瞬間ごとに潰されてきている。外部の人にはうかがい知れない何世代も続く閉塞感は、想像出来ないほどの苦しみをビルマの人びとに与え続ける。
  誰が言ったのか忘れたが、「『共感』とは、自分の経験や価値観で相手の気持ちを推し量るのではなく、自分がこの人の立場だったら、世の中はどういう風に見えるだろうか」と考えることである。
  いろいろな取材現場を渡り歩き、取材慣れしてくると、ついつい、「どこも同じ状況だ、悲惨な状況はどこも変わらない」と思ってしまう。だが、違うのだ。「変わらない」とうことは、ビルマの場合特に、さらに悪くなっていると同じことなのだ。
  そう気づいたものの、ビルマに入る度に感じるのは、それでもその変わらない状況を撮り続けることに意味があるのか、ということである。

  「西欧型の民主主義よりも、まず喰うために社会生活の向上を目指さなければならない」-ビルマ軍事政権は、自らの正しいと信じる論理(正義)と武力行動を人々に押しつけてくる。その結果、インド・中国・タイ国境の辺境地域に暮らす人びとはとりわけ、暮らしの向上よりも、今日をいかにして生き延びるのかという最悪の状況に直面している。
  たとえば、ビルマ東部カレン州内では、いまだに世界で一番古い内戦が続く。内戦や国軍の迫害の余波は、ビルマ全体では60万人を超える「国内避難民」の発生の原因となっている。また、主に戦闘から逃れるためにタイ領に逃れた避難民は、カレン人で約14万人、シャン人で20万人と推測される。さらに、統計には表れないHIV陽性の人口に占める割合は2.2%(推定)を超え、将来的に大きな問題となると危惧されている。

■ 「正論」伝わってますか?


  「日本で報道されているように、ミャンマーは危ない国ではなかった。町の中は平和だったし、人びとは優しかったですよ」。観光客や視察から帰ってきた者の多くは、そう感想を語る。だが、軍事政権の銃口は、あくまでも自国民に向いているのであって、外国人に向いているのではない。そのことを理解されないのも悲しい現実である。
  ビルマを語るときに問題となるのは、そこが軍事政権であるため、厳しい情報統制が敷かれ、信頼できる情報を得ることが極めて難しいことだ。さらに人びとの本当の暮らしを記録するのは極めて難しい。諸問題がどのように絡み合っているのか、その実態はなかなか掴むことができない。私自身フォトジャーナリストとして長期間の継続取材によって、通常の訪問では接触できない人びとに会ったり、個人の外国人が立ち入ることの出来ない地域(西部チン州)に入ってきた。それゆえ、多くのことを見聞してきている。
  現地取材を終えて日本に戻り、自分の見てきた実態を報告し続けている。だが、そこで、必ずしも期待していた反応が返ってくるわけではない。
  報告会には、勉強熱心で、現地の生の情報を求めて真摯な姿勢で参加してくれる人が多い。だが、それがなかなか受け手の血と肉となっていないように感じるのだ。単なる「お勉強会」に終わっていると感じることもある。それはどうしてなのだろうか。日本で、途上国に関わろうとする人の多くには実際、情報や知識はある。だが、その知的な資産を活用する方法が閉ざされているのだ。
  つまりこういうことだ。「人権侵害は悪いことだ、不公平・不正義な社会は許しておくべきではない」。人権思想が世界に広がった特に第2次大戦以降、そういう正しさの主張は60年以上も続けられた。なのに現実は、変わらない。取材とその報告会では、現地のひどさの再確認の作業ばかりが続く。単に人権や民主主義を謳うだけでは現実は動かない。
  フォトジャーナリストは、現場の「正論」、被害の状況や不正義や不公平の現実だけを伝えることだけに力を注ぎ、そうすることが唯一正しいことだと信じて疑わない人種である(おそらくは私の場合だけかもしれないが)。その現場の正論が、日本において伝えられるべき人びとにキチンと伝えられているか、ということまでには余り注意が払われていないようである。取材者は、現場の緊急的な空気を知っているだけに、唯我独尊的になりがちなのである。
  私は思う。もう「正論」だけを述べるのはよいのではないか、と。正しさの内容の主張に力点を置くよりも、正しい内容をどの様に伝えるのか、そちらの方に力点を置いた方がいいのでは、と。
  もちろん正しいことを訴え続けるのはとても重要である。だが、それが有効的に受け入れられるかどうかは、別問題である。伝える内容が知識のレベルで留まっているとしたら、異なった方法や表現を試してみるのも大切ではなかろうか。
  私は、写真を撮り続け、その映像を元に報告や発表を続けている。それは、知識として現地の実状を伝えるよりも、写真を見て心を動かしてもらえることで人の内面に訴え、現実を一刻も早く変えることができると信じているからである。

(※編集注:筆者による写真は、プリント版の本誌にのみ掲載しています。)