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国際人権ひろば No.70(2006年11月発行号)
『裁判官・検察官・弁護士のための国連人権マニュアル-司法運営における人権-』を読む5
第8章 自由を奪われた者の保護のための国際法上の基準
この章では、身柄を拘束された市民の権利について取り扱われる。身柄拘束の理由には刑事司法作用に基づく場合や、出入国管理に関する場合、医療上の要請に基づく場合などの諸形態があり得るが、「被拘禁者」とは、これら身柄拘束された市民全体を包括する概念である。
本章では、冒頭で「あらゆるカテゴリーの被拘禁者・受刑者の取扱いは、人間への尊重の全般的向上の分野における大きな課題である。」として、この分野の人権問題の重要性が指摘される。続けて、この分野の人権侵害が起きやすい背景と問題の深刻さについて次のように述べる。「被拘禁者・受刑者は事実上外の世界から切り離され、したがって権利侵害の取扱いを受けやすい立場に置かれる。これらの人々に対する拷問及び他の非人道的なまたは品位を傷つける取扱い・刑罰が依然として広く用いられており、苦痛のなかで助けを求めるその叫びが同じ被拘禁者以外の誰の耳にも届かないことは、人間の尊厳に対する容認しがたい侮辱である。」
まさしく、被拘禁者・受刑者は、「事実上外の世界から切り離され」た存在であり、しかもその多くは刑事司法の対象者であるという理由から、様々な権利制限を受けざるを得ない立場にある。一方、社会は「塀の中」のできごとについて、一般に無関心であり、ともすると犯罪を嫌悪するあまり、容易に被拘禁者・受刑者に対する権利侵害を承認しがちでもある。本章は、このような特性を有する、被拘禁者・受刑者の権利に関する重要な国際法上の基準を説明し、実際にその基準がどのように執行されているのかの具体例を欧州人権裁判所の裁判例などを引用しつつ説明し、これらの者のために裁判官・検察官・弁護士が採るべき方策を示している。
例えば、人権B規約7条の「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い若しくは刑罰を受けない」との規定は、包括的な権利であるがその認定基準は必ずしも条文からは明確ではない。本書では「非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い」の概念は,「当該取扱いの持続期間」及び方法、その身体的または精神的影響ならびに被害者の性,年齢及び健康状態といった、事件のあらゆる状況によって変わってくる」と規約人権委員会の先例(良心的兵役拒否に関するもの。A. Vuolannne v. Finland, Case No 265/1987)を引用しつつ、具体的な事例として、壁に身体を付けて立たせ、頭にフードをかぶせ、睡眠をとらせず、飲食物を与えないなどの取調方法が「品位を傷つける」と判定された欧州人権裁判所のケース(276頁)、被拘禁者の収容設備について、国連最低基準規則では夜間独居が原則とされていること(285頁)、ヨーロッパ拷問禁止委員会が毎日1時間の戸外運動の保障が守られていないことについてスイスに警告したことなど(293頁)、豊富な先例・実例に則して具体的な場面ごとの適用例を解説している。このように、人権B規約7条の生きた活用例の実際が様々な国の様々なケースを通じて、立体的に学べるように工夫されている。
折しも、わが国では、去る2006年(平成18年)6月2日、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律の一部を改正する法律案(以下、「未決処遇法案」という)が成立し、ここに1908年(明治41年)制定の旧監獄法の約100年ぶりの全面改正を終えた。これに先立つ、2005年(平成17年)5月18日には、旧監獄法のうち、既決の受刑者の処遇等に関して,「刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律」(以下、「受刑者処遇法」という)が成立しており、被逮捕者、被勾留者、死刑確定者についての改正が急がれていた。つまり、旧監獄法の改正は,既決を先行させ、未決者等を後から改正するという二段階での改正を経て、全面的に改正されることとなったのである(新たに成立した全面改正法は,「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」という。以下、「刑事被収容者処遇法」という)。
この旧監獄法の改正は、名古屋刑務所での受刑者の負傷・死亡事件を契機に「国民に理解され、支えられる刑務所」を目指して、民間有識者により構成される「行刑改革会議」が設置されたことに始まる。行刑改革会議の示した提言は、規律秩序重視の姿勢から改善更生重視への転換や、外部交通の拡大、刑事施設視察委員会の創設などの画期的内容を含んでいる。しかし、作業賞与金の賃金化や医療の厚生労働省への移管などの抜本的改革、あるいは1日1時間の運動や単独室原則の法定化、不服審査のための独立機関の法制化などが見送られた他、期間制限のない独居処遇と保護室の存続、非人間的内容の懲罰の存続、弁護士との外部交通の不徹底など、国際水準に合致しない部分も多く残された。
一方、未決の被拘禁者については、最大の問題は代用監獄の存続問題にあり、そのため、日弁連などの強い反対にあって、これまで監獄法の改正が行われてこなかったという経緯がある。行刑改革会議での議論も、代用監獄の存否には立ち入っておらず、将来の課題として積み残された。そして、新たに設置された未決拘禁者の処遇等に関する有識者会議は,2006年(平成18年)2月、「未決拘禁者の処遇等に関する提言」を発表したが、ここでも代用監獄の存否は招来の課題として先送りされ、「今回の法整備に当たっては、代用刑事施設制度を存続させることと前提としつつ」生起する様々な問題を回避し、国際的に要求される水準を実質的に充たした被疑者の処遇がより確実に行われるような具体的な仕組みを考えるべきであるとされて、代用監獄の存否は、またしても将来的な課題として積み残された。
しかし、国連の規約人権委員会は、過去二度にわたり代用監獄の廃止や、死刑囚の処遇の改善を強く求めており、このような国際的な人権水準から見た場合には、今回の全面改正でも積み残された課題は代用監獄問題以外にもまだまだ多い。留置場・刑事施設における医療水準や、外部交通の拡充が不徹底である点などは、わが国の未決処遇の後進性を示すものであると同時に、その改善はわが国が国際社会で名誉ある地位を占めるために不可欠の課題であるはずである。
本書が示す国際準則は、規約人権委員会や欧州人権委員会の先例などによって積み重ねられてきた準則であり、広範かつ詳細である。例えば、医療については、各拘禁場所には資格のある医務官1名が配置されている必要があり、専門医の治療を必要とするときは専門施設または民間病院に移送されるとか、女性の施設には必要なあらゆる産前産後のケア及び処置のための特別な設備がなければならないなど(487頁)、具体的な先例とともに示されている。警察に収容された者は、自ら選択する医師の診察を受けることができるとの欧州委員会の勧告は(493頁)、わが国の現状と比較したとき、雲泥の差を感じる。
本書の示す準則は、裁判官によって具体的な紛争の際に援用されるだけではなく、受刑者処遇法により新たに設置された刑事施設視察委員会や未決処遇法に盛り込まれた留置施設視察委員会が各施設を視察し、様々な改善意見を述べる際にも、依るべき国際水準として活用されることが望まれる。
行刑改革会議での提言でも、圧倒的な支配服従の関係に陥りがちな拘禁施設の職員に対する効果的な人権研修の必要性が指摘されていたが、本書は刑務官用のテキスト「国際準則から見た刑務所管理ハンドブック」(アンドリュー・コイル著・財団法人矯正協会)と併せて、国際標準としての処遇実務の研修教材としても活用されることが望まれる。無論、本書は被拘禁者・受刑者の処遇問題にかかわる全ての弁護士・裁判官・検察官にとっても必携の執務資料である。
(注)本稿は、先に刊行された『裁判官、検察官、弁護士のための国連人権マニュアル』所収(第3編)の筆者の原稿に加筆修正を加えている。