ヒューライツ大阪は
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国際人権ひろば No.71(2007年01月発行号)
人権さまざま
新たな年、新たな日
白石 理 (しらいし おさむ) ヒューライツ大阪所長
新たな年を迎えました。年の初めにあたり皆様のご多幸をお祈り申しあげます。
新しい年を迎えるときには、新しいカレンダーを掛け、今度こそはと、いろいろな抱負に胸を膨らませるものです。旧年中の出来事を振り返り、反省すること、残念に思うことを乗り越えて、少しでもより良い一年にしたいと思います。私は、大晦日にこんな気分にとらわれ、決意めいたことを心ひそかに誓うことがありました。真っ新の帳面に何を書こうかと考えながらペンを持つ気分です。
数十年前に留学したとき、慣れない外国生活で、失敗をしたり、思うようにことが運ばず、落ち込んだことがありました。そんなあるとき、親しくなった学生が、「今日は、君の人生の残りの最初の日だよ。汚れていない、真っ白な、新しい日なんだよ」。失望しないで、前を向いて、気持ちを一新してやろうという励ましでした。不思議に、「そうだ、新しい日だ」と力が出たのを憶えています。
まだ少年のころ、慌しく新年の準備に追われる人たちを横目にみて、「なにが明けましておめでとうだ。一日かわるだけじゃあないか」などとひねくれていたこともありましたが、人生の時々の節目は意味のあることなのです。その時々に立ち止まり、省み、考え、そして心を新たに踏み出す。新たな目標があり、それに向かう力が出る。大切なことであり、よいことです。こんなふうに新たな年、新たな日を迎えるのはおめでたいことなのです。
さて、昨年2006年の11月にヒューライツ大阪は、ある会議を主催しました。ヒューライツ大阪にとって、これは節目ともいえる催しでした。題して、「人権教育国際会議2006-アジアと大阪との対話」。「人権教育のための国連10年」(1995年-2004年)の成果をふりかえり、これまでの経験を分かち合い、問題や課題を出し合って、これからの新たな努力のために役立てよう、国際的な視野も取り入れて学び合おうというものでした。この10年間にアジア・太平洋地域で、また日本国内で、人権教育に関わるいろいろな企画や促進活動があり、ヒューライツ大阪も人権教育プロジェクトを実施してきたのです。2005年からは、国連とユネスコが提唱して始まった「人権教育世界プログラム」が、はじめの3年間を学校教育、特に初等・中等教育における人権教育ということに焦点を当てると決めたこともあり、この会議では、学校での人権教育のための教材開発、教科の組み方、教員の養成、そして学校と地域社会とのパートナーシップを中心に話し合いができるよう工夫をしました。
参加してくださったのは、大阪地域の学校で人権教育に携わっている教員、行政関係者、教材開発担当者、そのほか人権教育に関心のある方々とアジアの国々から招いた12名の人権教育の専門家でした。アジアの国々から来た人の中には政府の行政政策担当者、人権団体の人、人権機関の委員などがいました。
このように多様な参加者が互いに対話し分かち合うことができるように、準備をするにあたっていろいろ知恵を絞りました。会議が、壇上で話をする人から聴衆へという話の一方通行ではなく、真の対話、分かち合いの場にしたいと考えました。アジアの国々からの参加者には、会議の前に大阪の教育の現状を少しでも知ってもらおうと地域訪問、学校訪問に一日を取りました。またグループ討論のための準備には、司会をお願いした人たちに加わっていただいて議論を重ねました。どうすれば、それぞれの経験や意見から学びあうことができるかを考えました。
今年最初の「国際人権ひろば」71号はこの会議の特集を組んでいます。この会議では、期待したような対話と分かち合いが十分できたとはいえません。むしろ、できなかったことのほうが多かったかもしれません。時間の制約があり、通訳を介しての議論には限界を感じることがあったのですが、それでも多くの人が集まり話し合いに参加してくださったということがひとつの成果でした。人権教育という一見難しいテーマで積極的に話に加わる参加者の熱意を感じたのは、私だけではありませんでした。アジアの国々からの参加者は、この会議をそれなりに評価してくれ、「これをきっかけにして、次は、人権教育のアジア・フォーラムを」と言う人までおりました。ただ、この会議が成功だったかどうかは、ヒューライツ大阪のこれからの企画と活動を見るべきでしょう。対話し、分かち合うことから何を学んだか、そして、それがこれからの事業にどう反映されるかにかかっています。また、参加してくださった方々の今後の仕事と活動にこの会議で得られたことがどう生かされるかということにもかかっています。
大阪では、日本の他の地域に先駆けて早くから人権教育が取り上げられるようになったそうです。今回の会議での議論を聞いていても大阪の経験と実績が感じとれました。今、その大阪で、人権教育が成果を挙げている一方で、いじめとそれが原因といわれる自殺に教育の現場が苦悩しています。人権教育は、人権の知識を授けるばかりではなく、学校を人権の実践の場にすることを目指しています。教員と生徒、生徒と生徒、教員と教員、どの関係でも人権を尊ぶことが大切です。いじめという現象をきっかけに人権教育を見直すことが大切であると思います。問題の根源まで掘り下げて取り組み、いずれはよい解決方法を見出す底力が日本の学校教育にあることを祈ります。