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国際人権ひろば No.72(2007年03月発行号)
肌で感じたアジア・太平洋
メコン河流域開発と人権-北タイ・フィールド調査の報告
前川 実 (まえがわ みのる) ヒューライツ大阪上席研究員
06年12月21日から28日まで、「メコン川流域開発と人権」フィールドワークを北タイを中心に実施しました。チェンライをスタート地点にメーサイ、チェンセーン、パヤオ、チェンマイ、メーホーンソーン、メーサリアン、ターク、メーソット、ピサヌロークへと約1,500kmの旅程でした。また07年3月2日から9日まで、「タイの人権問題と人権NGOの活動に学ぶ」スタディツアーを実施し、メーソットのミャンマー(ビルマ)難民キャンプの実情などを視察しました。今回の調査活動の目的は、(1)タイ?ラオス-ミャンマー?中国国境地域のメコン河流域開発の現地視察、(2)北タイ少数山岳民族の実情と持続可能な農業振興の実情視察、(3)タイにおけるミャンマー(ビルマ)難民の実情視察、でしたが、以下は、その中で感じた急激に変化するメコン河流域の北タイの実情報告です。
■10年ぶりのチェンライ・北タイ
06年12月21日午前、TG623便で関西空港からバンコクに出発。9月末に開港したスワンナブーム国際空港に午後3時半過ぎに到着。国内線に乗り換え、午後7時40分にチェンライに到着し、入国手続。空港からは宿泊先のホテルの専用車で移動し、午後9時過ぎにチェックインしました。10年ぶりのチェンライの町は道路も整備され、信号も多数設置され、町には車があふれ、大きなビルも建設され大都会に変身していて、見違えるばかりでした。あいにくタイ北部は大寒波に見舞われ、外気温は3℃で、大阪以上に寒い夜でした(1週間後には地震もありました)。翌朝の現地のテレビや新聞は、この寒波でメーホーソンの少数山岳民族の村で凍死者が出たことを伝えていました。
私は96年から97年に、SVAのスタッフ(当時)でモン族出身の青年スリヤさんの道案内で、チェンライからゴールデントライアングル、そしてパヤオ県のモン族の村を数回にわたり訪問しました。その後に訪問したパヤオ県の農村地帯は、相変わらず貧しく当時と変わらない様子でしたが、チェンライやメーサイなどの地方都市は、ずいぶん様変わりし、都市と農村の経済格差がますます拡大した印象を受けました。また、チェンライやチェンマイは前首相タクシンの支持基盤であるため、いまだに戒厳令が解除されていないところで、それゆえ街の主要施設や交差点には軍政への支援を呼びかける看板があちこちに設置され、警備の軍人も各所に散見され、軍政下にあることを再認識しました。
■メコン河開発の現場へ-メーサイからゴールデントライアングル、そしてチェンセーン
翌朝、知人の紹介でラオス人経営の旅行会社スタッフの案内で、国境の町メーサイからゴールデン・トライアングル、そしてチェンセーンへとメコン河開発の現場を訪問しました。これも10年ぶりの訪問でしたが、メーサイまでの道路がよくなったこと、町の人口が増大していること、軍政下にあるため軍の検問が強化されていることなど、その変容ぶりに驚かされました。チェンライから国道110号線を真北に70kmの国境の町メーサイには午前9時半に到着。国境ゲートにはロンジン(長スカート)をまとったミャンマー(ビルマ)系の人びと?モン族やラフ族、アカ族、カレン族、タイヤイ(シャン)族等の少数山岳民族の人々?が、出稼ぎのためミャンマーからタイに入国していました。ミャンマーへの入国は、中国製品の買付に行くタイ人と私たち外国人で、まずタイ側の国境検問所で出国手続きを行い、次にミャンマー側の国境検問所で500Bを支払いパスポートを預けて「1日ビザ」を交付してもらい、国境のメーコク川(メコン河の支流)に架かる50m程の橋を徒歩で渡ってミャンマー側の町タチレクに入りました。タチレクの町も10年前よりも人口が倍増し、観光客相手の市場も規模が大きくなり、中国製品であふれかえっていました。市場を抜けて国道沿いに出て2時間ほど散策しましたが、自動車部品販売店や美容室、携帯電話の公衆電話屋などさまざまな商店が軒を並べていました。さらに国境から2kmほど離れた高台にあるタチレク寺院(パゴタ)に移動し町周辺を鳥瞰しました。ミャンマーのタン・シュエ軍事政権の実像はなかなか見えませんが、観光客の集まる市場や寺院には公安関係者とおぼしき眼光の鋭い人びとが多数見受けられ、中国製のトラックや中国製品があふれており、ミャンマーと中国との結びつきの強さを実感しました。
メーサイから車で30分ほどで、次の目的地のゴールデン・トライアングルに到着。ここはメコン河がメーコク川と分岐する地点で、ミャンマー、ラオス、タイの3カ国の国境が隣接する地点で、中国雲南省の山々も遠望できる観光スポットです。ゴールデン・トライアングル周辺は、ケ シ畑から産出されるアヘン(オピウム;Opium)の産地としてその名を世界に知られていますが、歴史的はアヘン戦争(1841-42年)の時代にイギリスによって中国への輸出基地として栽培が奨励されて以来、この地域が世界的産地となりました。またベトナム戦争(1960-75年)の時期にタイを拠点とする米軍内でアヘンが大流行した結果、ゴールデン・トラ イアングルでの麻薬取り引きの需要が著しく高まったといわれています。今も世界中のアヘンの約50%がこの地域で生産・取引されているとわれています
[1]。
川沿いの食堂で昼食をとったのち、スピードボートでメコン川を約1時間ほどクルージングしました。川の真ん中が国境線ですが、軍人の姿はほとんどなく、川魚を取るタイやラオスの漁師の舟が点在するのどかな風景でした。この地域にはミャンマー領の中洲(島)とラオス領の中洲(ドンサオ島)があり、前者にはカジノが開設されていて、タイ人や中国人がよく利用するという。また後者のラオス領の中洲(ドンサオ島)には観光客の一時上陸が可能で、20バーツを支払って上陸してみました。島には政府所管の上陸料徴収所とラオスのお土産屋が20件程度立ち並び、観光客相手におみやげを売っていました。
メコン河は、中国から発し、ラオス、ミャンマー、タイ、カンボジアを経由してベトナムに通じる全長4,000kmの国際河川です。近年、中国とタイが資金を提供し中国とラオス、カンボジア、ベトナムのメコン川流域で20箇所以上のダム建設や流域開発を加速化させていて、環境保全や人権問題(少数民族の強制移住)への危惧が高まっています
[2]。また中国とタイは、ミャンマーのサルウィン川流域にも発電用ダムを多数建設するプロジェクトを進行中で、ミャンマー軍事政権による少数民族への弾圧政策で多数の国内避難民を生み出しています。そんなことをふと思いながら、ゴールデン・トライアングルから車で約30分で古都チェンセーンに到着。ここは、メコン河を利用した中国やラオスとの物流拠点で、中国の景洪(雲南省)との間に貨物船を定期的に運航しており、このときも500トン級程の中国貨物船がゆったりと中国方面へ航行していました。中国政府は、電源開発と水運確保のため今後も国際河川であるメコン河開発をタイやラオス政府と共同で推進し、将来的には1万トン級の船の航行ができるようにする計画を進行中です。急激に変容するこの地域の姿に、誰のための何のための「開発」なのかを自問自答せずにはいられませんでした。
■少数山岳民族の自立支援と持続可能な農業の定着をめざす谷口巳三郎さん
次の日、チェンライから車でパヤオ県の谷口21世紀農場にむかいました。ガイドと運転手役のラオス出身のニーさんは、少数民族の自立支援を進める谷口巳三郎さんを尊敬しており、谷口21世紀農場には何度となく訪問しているとのことで、1時間足らずで農場に到着。谷口さんは現在84歳で、熊本県職員を退職後に単身で訪タイされ、20年にわたりパヤオ県を拠点に少数山岳民族の自立支援と持続可能な農業をタイに普及させるため活動されている方
[3]で、10年ぶりの再会でした。
タイは、タイ族を中心とした多民族国家で、華僑(中国系)やマレー系、モン族・カレン族・ラフ族・アカ族・タイヤイ(シャン)族などの山岳少数民族等で構成されていますが、山岳少数民族は北タイに多く住み、貧しい生活を余儀なくされています
[4]。谷口巳三郎さんは、彼らの自立支援のためには、農薬に頼らない持続可能な有機農業を普及させるしかない、との信念でがんばっておられます。谷口さんは、長年の北タイでの活動が評価され、1997年に外務大臣表彰を、1998年にはチェンマイのメージョ農科大学から名誉博士号を贈られ、2003年には毎日新聞社の毎日国際交流賞を授与されましたが、これまでに谷口農場で育った若者は2,000人以上にのぼるという。この中には、私の知人のモン族の青年スリヤ(元SVAスタッフ)も入っていました。
谷口農場には、地元の少数民族の青年達やパヤオ農業高校の生徒たちが宿泊研修中で、その他にミャンマーで有機農業を推進する人々(少数民族)とも交流し、指導しているということでした。標高100mほどの山の裾野に広がる「谷口21世紀農場」は、25ヘクタールの広さで果樹園8ha、水田5ha、畑地1.5ha、養魚池1.5ha、竹林0.5ha、自然林0.5haであり、その外に養豚場、養鶏場、研修センターが整備されていました。農場近くの道路にはチークの街路樹が整然と植樹されていて、見事な景観でした。住まいのそばの見事なチーク林のそのそばに谷口式堆肥づくり養豚施設「醗酵床豚舎」がありました。子豚6頭を2×3mの塀で囲んだ豚舎で飼育し、床にはコンクリートではなく籾殻と藁を敷き、豚の排泄物が一定程度たまると、その上に新たな藁と籾殻を敷いて重ね合わせる。一定の厚さまでたまると豚を別の豚舎に移動させ、そのまま2ヶ月ほど熟成させると見事な堆肥が出来上がるという循環型システム。「チークの枯葉も豚の排泄物もすばらしい天からの贈り物です。タイの農民がますます貧乏になるのは化学肥料に依存するからです
[5]。収益の多くが肥料代に消えてしまいます。化学肥料に頼ることなく収益を上げるには、天からの贈り物を生かした堆肥づくりこそ肝要です。これをメコン川流域諸国の農民に普及したい。」と、今後の抱負を熱っぽく語られました。
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谷口さんは現在84歳ですが、現在のタイの農業事情、日本を含む地球上の農業事情に強い危機感を表明し、「われわれ人類は人口の爆発的増大、食糧不足、環境汚染など生存の危機に直面しており、有機農法を基本とした持続可能な循環型の農業をアジアに定着させるることが緊急の課題だ。」とし、農村開発および教育(農業人材育成)にさらに力を入れ、「今後の谷口21世紀農場は、熱帯アジアで有機農法を定着させ持続可能な農業を確立させるため、タイだけではなくビルマやラオス、カンボジア、ベトナムの若者たちも集うような国際研修センターにしていきたい。」と熱く語っておられた。谷口さんの使命感と危機感に圧倒され、多いに刺激された訪問でした。
近年、日本のスーパーや食糧品店でタイ産のタマネギ、アスパラガスなどの野菜類が目に付くようになってきましたが、「タイでは農民が農薬を大量使用し、それゆえますます貧しくなっている」との谷口さんの話を思い出し、複雑な暗い気持ちになりました。
1. UNODC編『2006WORLD DRAG REPORT』(2006年6月)
2. 本誌70号の特集「持続可能な開発と人権-東南アジアの現実から考える?」参照。
3. 谷口巳三郎さんの次の著作を参照。『熱帯に生きる-在タイ20年、農村開発に命を捧ぐ国際ボランティア活動記〈2〉』(2004年)、『エイズ最前線 死の川のほとりからタイの若者を救え!』(2003年)。いずれも熊本日日新聞社刊。
4. 石井米雄他『もっと知りタイ』(弘文社、1995年)、綾部 恒雄他『タイを知るための60章 』(明石書店、2003年)参照。
5. タイの農業は、90%の農民がタイの財閥企業CP社製の化学肥料を大量に使用し、施肥量は1ha当たり100kgにものぼり、ベトナム(263kg/ha)についで多い。詳細は、
メコン河生態系長期モニタリングプロジェクト(MeREM)参照。