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国際人権ひろば No.73(2007年05月発行号)
『裁判官検察官弁護士のための国連人権マニュアル -司法運営における人権-』を読む8
「第11章 司法の運営における女性の権利」について
女性の人権問題、とりわけ、女性に対する差別の問題について最も直接に、かつ、包括的に扱っている法的な国際文書は、言うまでもなく、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(女性差別撤廃条約)である。日本における女性に対する差別、女性の人権問題についても、主要な問題は、同条約の報告制度の下で日本政府が提出した報告書に対する女性差別撤廃委員会(同条約の条約機関)による最終コメントにおいて取り上げられ、具体的な勧告がなされている。しかしながら、女性の人権や女性に対する差別の禁止に関連する国際人権条約は女性差別撤廃条約だけではない。市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)にも、性による差別の禁止、両性の平等は規定されており(各規約の2条、3条)、女性に対する差別の問題は、これらの規定を梃子として、両規約の報告書審査においても取り上げられ、両規約の条約機関から日本政府に対する勧告がなされてきた。その他、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約の条約機関である人種差別撤廃委員会も、また、子どもの権利に関する条約の条約機関である子どもの権利委員会も、それぞれの条約に関連する範囲で、女性の人権、女性に対する差別の問題に言及している。さらには、女性の人権問題として論じられることの多い人身売買の問題については、人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約はもちろん、女性差別撤廃条約や子どもの権利条約においても規定があるが、2000年に採択された国連越境的組織犯罪防止条約の人身売買に関する議定書は、人権保障を直接の目的とした条約ではないが、人身売買の問題に関する包括的かつ強力な国際文書である。その他、女性の権利を促進、確保するうえで、北京宣言及び行動綱領等の法的拘束力はないが重要な国際文書への目配りも欠かせない。
そうだとすると、日本国内における女性の人権問題への取組みに国際文書を活用するためには、日本における女性の人権問題のカテゴリー毎に、条約機関を有する国際人権条約のうち日本が締約国となっている6つの条約(自由権規約、社会権規約、女性差別撤廃条約、人種差別撤廃条約、子どもの権利条約、拷問等禁止条約)を始め、それ以外の日本が締約国となっている関連する国際条約、条約以外の重要な国際人権文書を横断的に検討し、当該人権問題に関連する具体的条文と、その問題について条約機関が日本政府に対し勧告をしたことがあればその内容、その問題に言及した条約機関の一般的意見、個人通報事件についての見解等を整理してまとめたものがあれば、ある問題について横断的に関連する条約その他の国際文書の具体的な規定と、条約機関の解釈を知ることができ、実務家にとって大変利用しやすい。本章は、このような作業を、グローバルなレベルで試みたものということができる。すなわち、本書は法的拘束力の有無を問わず、また、いわゆる人権文書と呼ばれるものに限定することなく、さらには普遍的な文書のみならず地域的な文書まで含めて、女性の人権問題に関連する国際文書に幅広く目配りし、それらを、法的人格、法の下の平等、生命・身体・精神の不可侵、奴隷制・奴隷取引・強制的・義務的労働・人身売買、婚姻における平等、民事上の法的能力、選挙を含む政治への参加、その他の人権、効果的救済措置の10のカテゴリーの問題領域毎に、関連する具体的な条文、条約機関の一般的意見、見解等を整理して示している。
本章で取り上げられている女性の人権問題の中には、日本における女性の人権問題に直接関連するものもある。例えば、第4・5回政府報告書に対する女性差別撤廃委員会の最終コメント(2003年)
[1]の「主要関心事項及び勧告」で取り上げられた問題のうち、ドメスティック・バイオレンスを含む女性に対する暴力の問題は、生命・身体・精神の不可侵の項目で(特に、「4.3.3 家庭およびコミュニティ一般での女性・女子に対する暴力」)、人身売買の問題は「5.1.3 人身取引」の項目で、婚姻生活に関する民法上の差別的規定である、婚姻最低年齢の問題は「6.1.2 婚姻適齢」の項目で、離婚後の女性の再婚禁止期間の問題は「6.1.4 再婚の制限」で、夫婦の氏の選択の問題は「6.3 名前に対する権利の平等」の項目で、それぞれ扱われている。他方、本章で扱われている問題の中には、これまで日本の政府報告書審査において具体的に取り上げられ政府に対し勧告がなされたことはないものの、日本の状況としても今後、取り上げる必要が出てくる可能性のあるものがある。その一例は、「4.3.1 自由を奪われた女性に対する暴力」の項目において、女性の被拘禁者や受刑者に対する刑務所職員や警察職員による性的その他の暴力や虐待、屈辱的な取扱い、品位を傷つける取扱いの問題である。これらの問題については、最近になって、ようやく条約機関が関心を向けるようになってきた。マニュアルの同項目においては、自由権規約委員会が、平等原則条項(3条)に関する一般的意見28(2000年)において、妊娠中に自由を奪われた女性に対する出産及び新生児のケアに関する人道的な取扱いの問題を含めて自由を奪われた女性の取扱いの問題について言及していること、拷問禁止委員会が、カナダ、米国、オランダの状況について懸念を表明していることが紹介されているが、これらの条約機関の関心や懸念は、日本の状況について検討する際に大いに参考になる
[2]。また、「4.3.2 不法な刑罰」の項目においては、拷問禁止委員会が、スウェーデンに対して、出身国に送還された場合、姦通を犯したとして笞打ち刑や投石刑を受けるおそれがある女性の出身国への送還について、拷問等禁止条約3条に基づき締約国が送還しない義務があると判断した例が紹介されている。これまで、日本では、同様の事例の報告は見当たらないものの、今後起こりうる可能性は否定できない。
もちろん、マニュアルは世界中の法曹を対象として作成されているから、本章が扱う女性の人権問題の中には、法的、政治的、社会的、経済的、文化的、宗教的な制度や状況の違いから、日本では問題とならないものもある。また、本章は、関連する国際文書として地域人権文書をも扱っており、それらが、直接、日本の状況に適用されるものでないことは言うまでもない。しかしながら、日本においては関連がないと思われるような問題、直接には適用されない地域人権文書も含めて、世界中でどのような女性の人権問題があり、その問題に国際文書の具体的な規定がどのように関連し、条約機関がどのような見解を示しているかを知ることは、まさに、本章の「学習の目的」に掲げられている、法曹が、女性が特に直面する人権問題についての知識・理解を高め、女性の権利を保護するために存在する国際法上の規則について習熟するということに役立つのである。特に、実務家にとっては、具体的な事例・問題に、国際人権条約その他の国際文書がどのように関連し適用されうるかというケース・スタディのアプローチで国際人権法を学ぶことができるという点で、本章は、日本の法曹にとって、女性の人権問題に関する国際人権法を身近なものにしてくれるであろう。
最後に、本章の「学習の目的」には、女性の権利の保護を向上させることについての法曹の役割についての意識を高めることが挙げられ、これについての項目「11. 女性の権利の保護を確保するうえで裁判官・検察官・弁護士が果たす役割」が設けられているが、この点は極めて重要である。法曹が自らの役割の重要性を認識し適切にその役割を果たしていくことは、女性の権利の実現に資する。逆に、法曹が女性の人権問題についての正しい知識や理解を欠く場合には、本章で女性の人権問題の10のカテゴリーの1つとして取り上げられている「10. 裁判所および法の適正手続にアクセスする権利を含む、効果的救済措置に対する女性の権利」の実現を阻害することになりかねない。最近、国連人権保護促進小委員会においても、2003年から、性暴力犯罪の有罪及び/または責任の立証の困難の問題についての研究が進められているが、女性の権利の実現のためには、女性の権利侵害に対する効果的救済、特に司法的救済が実際に適切に機能しているかまで検証していく必要がある。そして、法曹は、この司法的救済に直接そして深く関与するアクターである。日本においても、近年、司法における性差別の問題についての調査や研究がなされるようになり、司法においてもジェンダー・バイアスが存在し、司法作用の過程で発現したり、司法制度の中に存在したり、市民の司法へのアクセス障害という面で発現する問題が指摘されている
[3]。このうち、特に、司法作用の過程で発現するジェンダー・バイアスの問題は、法曹が女性の人権問題について知識や理解を欠き、または十分に持たないことから引き起こされる場合がある。本章では、司法制度の担い手として、効果的救済という局面において、女性の権利の実現について重要な役割を果たすことが期待され、またその責任を負う裁判官・検察官・弁護士に対し、その役割についての意識を高めることを目指しており、法曹にとっての貴重な手引書・実用書、教育書となっている。
1. UN Doc. A/50/38, paras. 627-636.
邦訳(日本政府仮訳)
2. 日本における女性の被拘禁者の取扱いにおける問題の概観については、拙稿「日本における拷問等禁止条約の実施における分野ごとの課題」(「女性?女性の被拘禁者の保護に関する措置」の項)、『自由と正義』52巻9号(日本弁護士連合会、2001年9月)を参照されたい。
3. 日本弁護士連合会両性の平等に関する委員会・2001年度シンポジウム実行委員会編『司法における性差別?司法改革にジェンダーの視点を』(明石書店、2002年)