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国際人権ひろば No.74(2007年07月発行号)
国連ウオッチ
先住民族権利宣言をめぐる最近の動向
藤岡 美恵子 (ふじおか みえこ) 法政大学非常勤講師
■ 「宣言」採択延期
1982年、国連として先住民族問題を討議する初めての機関である「先住民族作業部会」が設置されて以来、先住民族は、個々人ではなく集団としての先住民族に対する人権侵害と抑圧の問題を訴えてきた。そうした活動は、先住民族の自決の権利(自由に自らの政治的地位を決定し、経済、社会、文化などあらゆる分野で自己決定する権利)を含む、政治、経済、社会、文化など広範な分野における権利を定めた「国連先住民族の権利宣言」(以下「宣言」)草案の人権小委員会での採択(1994年)となって結実した。
この「宣言」が採択されれば、世界各地の先住民族にとって、差別撤廃や先住民族としてのアイデンティティ・固有の文化の維持・発展に効果を発揮することが期待できるばかりではない。たとえば、アジア各地でも数多く報告されている、同意を得ないままに進められるダム建設や鉱山開発などに対して「ノー」を突きつけるのにも強力なツールとなる可能性がある。「宣言」案第30条には、先住民族の領域での資源開発に関して、自由でかつ情報に基づく事前の合意(Free, Informed and Prior Consent: FPIC)を必須要件とするとの規定があるからだ。
2006年11月、「先住民族作業部会」での起草開始から20年以上を経て、「宣言」案はようやく国連総会に提出された。ついに採択か、と高まる期待に待ったをかけたのは、それまで「宣言」草案の審議にほとんど参加していなかったアフリカ諸国だった。即時採択の決議案を審議していた国連総会第三委員会でナミビアが中心となって採択延期動議を提出、これが可決されたのだ。
採択延期のニュースに「先住民族コーカス」(世界各地域の先住民族団体の連絡調整体)はただちに抗議声明を発表。そこには「ショックと怒り」「裏切り」「不正義」という強い言葉があった。驚きと落胆を表明する声明も各地の先住民族団体から相次いだ。この出来事は、先住民族の権利促進運動が直面する厳しい状況を改めて指し示すものだった。
■ 政府側の抵抗
「宣言」案が総会第三委員会に提出される以前の経緯を見れば、先住民族が求める権利のうちもっとも重要な自決権や土地、資源をめぐる権利の承認には、依然として極めて大きな壁が立ちはだかっていることが分かる。もっとも争点となったのは、自決権、および土地、資源に対する先住民族の権利を定めた条項だ。自決権は政治的地位を自由に決定することを含むため、各国政府は自決権を認めれば先住民族の独立に道を開くことになるのを恐れている。また、資源開発や土地利用に関してFPICを認めれば、企業や国による開発が思うようにできなくなることも懸念している。
人権委員会(人権小委員会の上部機関。2006年に廃止され、代わりに人権理事会が新設された)では、最終的に全体の80%の条文については合意を見たものの、残り20%については合意に達することができず、一時は草案がまとまるかどうかさえ危ぶまれていた。しかし、2006年2月、議長案のとりまとめに至り、これを先住民族側は原則として受け入れることを決めた。そして「宣言」案は新設の人権理事会に送られたのである。
ところで、「宣言」案に関する先住民族側の立場は決して一様ではない。たとえばラテンアメリカの場合は、国内で先住民族の存在を憲法で正式に認知したり、一定の権利整備を行ったりしている国が多いことから、ラテンアメリカの先住民族は現「宣言」案の基準を下回ることは一切認めないという姿勢を取ってきた。アジアの先住民族団体で作るアジア先住民族コーカスは、議長案を受け入れるとしながらも、自治権、土地権、武力紛争時の保護、他者の権利との兼ね合いにおける先住民族の権利行使の制限などについては不十分だと指摘していた。そして多くの先住民族が、「宣言」案はあくまでも「最低水準」を示すものだという見解を繰り返し強調しながらも、「宣言」採択が必要との認識で一致していた。
2006年6月、人権理事会は「宣言」案を提案どおりに総会に送ることを可決し(賛成30、反対2、棄権12。反対はカナダとロシア)、国連総会での採択に期待が高まった(日本は賛成したが、「宣言」案の「自治(autonomy)」は国家の領土保全に影響を与えないものと解釈する、また日本政府は集団的権利を認めない、という趣旨の発言をした)。ところが、前述のようにこの後の総会第三委員会で、アフリカ諸国が「草案検討に時間が必要」「各国憲法に抵触する条文がある」といった理由で採択延期の動議を提出、これが可決されるという予期しない展開となった(賛成82、反対67、棄権25。日本は棄権)。延期に賛成したのは主にアフリカ諸国やアジア諸国で、反対したのは中南米やヨーロッパ諸国、太平洋諸国の一部であった。
■ 先住民族の権利促進への「逆風」
反対陣営の背後には、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、米国の存在がある。これら4カ国(頭文字をとってCANZUSと呼ばれる)は、1998年頃から起草作業部会で修正案を出し始めるようになるが、その内容は先住民族を民族と認めず、集団的権利も認めないなど、先住民族にとっては全く受け入れることのできないものであった。2006年6月の人権理事会においても、カナダやオーストラリアは現「宣言」案は合意を欠いており、さらに審議が必要という反対論を展開した。しかし、20年にわたり議論を尽くし、しかも前述のように条文全体に完全な合意を得ることが不可能な状況での審議継続の主張は、実質的には「宣言」への反対と同義である。
CANZUS 4か国はこれまで、一般には先住民族の権利保護に理解があると見なされてきた。しかし近年、国際レベルにおいて先住民族の権利の促進にブレーキをかけるアクターに変化している。その一因として、オーストラリアやカナダでは保守政権の誕生による政策の変化が指摘されている。ニュージーランドでもここ数年、議会でのマオリ特別議席やマオリへの福祉政策、先住民族としてマオリに認められている土地・水域・資源に対する権利などを「人種分離主義的」と批判する動きが強まっている。オーストラリアでも、アボリジニーの土地に対する権原を認めた画期的な先住権原法が1993年に制定されたものの、それ以降は土地への権利を保障する枠組みは後退を余儀なくされている。こうした国内の政治や世論の動向が、国際舞台での政府の立場に影響を与えていると考えられる。
総会第三委員会の延期決議は「今期(第61会期)総会の終了まで(2007年9月まで)に草案審議を終える」と述べている。その後、アフリカ諸国が先住民族にとっては受け入れがたい内容の33項目におよぶ修正案を提出し、それが各国政府の間で議論されているという情報もある(2007年5月現在)。2007年5月、国連先住民族問題常設フォーラム第6会期の冒頭、議長でフィリピンの先住民族出身であるビクトリア・タウリ‐コープスは、「総会に提出される宣言案が原形をとどめないほど切り刻まれるのを許してはならない」と警鐘を鳴らした。先住民族団体の中には、先住民族に不利な宣言ができるぐらいならいっそのことないほうがまし、と考え始めているところもあるようだ。
「9・11」後、人権無視の「治安維持」政策と新自由主義的政策が世界を覆いつくさんばかりの状況にある。先住民族が求める諸権利の実現についても、これまで以上に困難な国際環境を迎えていると言わざるを得ない。だからこそ「宣言」の採択が必要であると同時に、「宣言」の採択の有無にかかわらず、いかにその中身を実質化していくことができるかが、今後はますます重要となってくるのではないだろうか。