特集 ジェンダーを考える-セクシュアル・マイノリティの現状から Part3
あなたの身の回りに、同性をパートナーとして暮らしている人はいるだろうか? 同性愛者等であることを自己受容し、周囲に伝えていく(カミングアウトする)ことさえ困難な日本社会の中で、同性パートナーの抱える生活上の問題は非常に見えにくくなっている。しかし、実際には、様々な問題が起きている。
社会制度そのものが、いわゆる異性愛の男女とその子どもたちを標準的な「家族」と想定して設計されているので、それ以外の形の「家族」を営む人々は何かと不自由な思いを強いられている。まず、住居の問題がある。同性同士だと法律上の親族ではないので、賃貸住宅の家族向け物件に入居できないことがある。公営住宅にはそもそも申し込みもできないし(大阪府では2005年、私の質問によって、都道府県で初めて大阪府住宅供給公社のハウスシェアリング制度導入が実現した)、自宅を購入する時にローンを共同名義にすることも銀行等で断られてしまう。一緒の家で生活を始めても、親族や地域の人に同居人をパートナーとして紹介していないことがある。一人の名義で契約した賃貸住宅に、居候のような形でもう一人が住んでいる、というのもよく聞く話である。これは厳密には、契約違反として退去を迫られる恐れがある。
住居の他には、もしものときの不安が大きな問題である。パートナーに万が一のことがあったときに病院で面会や看護はできるのか、一緒に築いた財産は相続できるのか(遺言により相続人として同性パートナーを指定することができるが、親族の遺留分は確保される。養子縁組により同性パートナーを法定相続人とすることもできるが、実際に相続の際には、親族等の第三者から養子縁組の無効を申し立てられる怖れがある)、葬儀に出席できるのか...。パートナーが法律上の異性であれば、事実婚(内縁関係)としてある程度の権利が保障されているが、パートナーが同性の場合については、法律上の規定は何もない。
現実にどんな問題が起きているのか、当事者のニーズはどこにあるのかを考えるために、2006年2月から4月にかけて、私の呼びかけで、全国4都市、5箇所で「Rainbow Talk 2006 同性パートナーの法的保障を考える全国リレーシンポジウム」が行われた(各地の当事者団体等の企画で、合計で約700人が参加した)。何人かの当事者が体験談を語ってくれたが、特に切実だったのは、大阪と香川のシンポジウムで登壇した30代の男性の話だった。彼は、長年のパートナーであった40代の男性と同居して、パートナーの実家の家業を手伝っていたが、そのパートナーがある日、発作を起こして突然死してしまう。その方は一人で車の運転をしていて、すぐに身元が分からなかったため、救急隊員はパートナーが持っていた携帯電話の着信履歴を見て、彼に電話してきた。「この携帯電話の持ち主のご家族の方ですか?」「いいえ、同居人です」「ご家族の連絡先を教えて下さい」「どうしたんですか?」「意識不明なのですが、詳しい病状はご家族の方にしか教えられません」。彼は仕方なくパートナーの実家の連絡先を教えて電話を切り、しばらくしてから再度実家に電話し、搬送された病院を聞いて駆けつけたが、すでにパートナーは息を引き取っていた。彼とパートナーとの関係は周囲にあまり公にしていなかったため、葬儀には従業員として出席した。マンションの名義はパートナーだったので、彼はほとんどの家財道具を置いてマンションから退去した。預金もほとんどがパートナーの名義になっていたので、二人で協力して築いた財産も彼のものとは見なされなかった。パートナーの生命保険は、もちろんすべて彼の親族に。彼のいない彼の実家で働き続けることもできず、仕事も辞めることに。彼は結局、パートナーの死によって、大切なパートナーだけでなく、住む場所も仕事も財産も失ってしまったのだ。彼の経験は、同性をパートナーとする人にとって、決して他人事ではない。
また、パートナーが日本国籍ではない場合、ビザ(査証)の問題が切実だ。私の友人の場合、現在はパートナーの母国・英国に居住しているが、英国では2005年にパートナーシップ法が施行されたので、同性パートナー用の滞在許可を得ることができる。彼女は、将来的には日本でパートナーと一緒に暮らしたいと望んでいるのだが、日本の法務省は同性パートナーに家族としての滞在許可を出していない。彼女は、パートナーと一緒に日本に帰って来ることができないのだ。
東京で開催した「Rainbow Talk 2006」 (筆者提供)
日本で同性同士の生活の法的保障を実現するためには、最終的には、法律、パートナー法をつくることになる(海外には同性婚を法制化している国もあるが、日本では、憲法24条が、婚姻は「両性の合意のみによって」成立するものと規定している。この「両性」は、現在一般的には男女と解釈されている。憲法を変えるためには、国会議員の三分の二と国民投票での過半数の賛成という、非常に高いハードルを越える必要があるので、私は、現時点では、パートナー法の方が実現可能性が高いと考えている)。法律をつくるのは、日本では国会だ。衆議院と参議院が賛成多数で法案を通過させると、法律になる。パートナー法の是非の最終判断は、国会議員の役割なのだ。では、法律をつくる国会議員たちはどうやって選出されているのかといえば、20歳以上の日本国籍を有する人の選挙での投票によって選ばれている。この政治のしくみを理解することがとても重要になる。国会議員たちにパートナー法に賛成してもらうにはどうしたらいいかというと、これには様々なやり方がある。しかし、何より大事なことは、同性を生活のパートナーとしている当事者自身が、パートナー法を心から望むことだ。日本にもこうした法律が必要なんだという熱意がなければ、誰も応援してくれない。大切な誰かと一緒に暮らしていくために、人間として平等な権利が欲しい、自分たちの権利を獲得するために立ち上がるんだ、そう信じる、あなたの力が必要だ。
では、具体的に国会議員を動かすために必要なのは何かというと、世論の喚起だ。議員の特性として、ある法案に賛成したら、自分が周囲にどういう評価をされるのかを気にする。その判断のために、世論を必死で読んでいる。逆に言うと、世論がパートナー法を必要と考えるなら、議員を動かすことができるのだ。その世論をつくっていくために、同性パートナーと暮らす人たちが、実は多くの人の身近に、すでに「いる」のだということを理解してもらわなくはいけない。同性愛者等はどんな社会にも数パーセントはいると言われている。この法律は、一握りの誰かではなく、家族や友人といった身近な人たちを幸せにするための法律なのだということを、多くの人に知ってもらうことが大事になる。あなたがもしカミングアウト(公表)できる状況にあるのなら、是非、あなたという存在を周囲に知らせて欲しい。同性パートナーがいるあなたのために、パートナー法が必要だと思う人がもっともっと増えたら、世論をつくることが出来る。
世論の喚起とは別に、一人ひとりがパートナーとの関係の実績を積み上げていくことも同じように重要だ。今からできることもたくさんある。例えば、公正証書を作成する、お互いを受取人に指定して生命保険に入る等、パートナーと生活上の契約を結んでいくこと。事実婚に認められる民間や行政の諸権利を、同性パートナーにも拡大していくよう求めること。
こうした流れを下支えするために、コミュニティ全体で利用できるサポートセンターのようなものも必要になってくるだろう。これは、フリーランスライターの永易至文さんのアイディアだが、個人の経験を聞き取ってコミュニティの経験として共有化する機能、LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)フレンドリーな弁護士、公証人、医師等の専門家の情報を収集する機能、そのネットワークづくりを支援する機能などが考えられる。
最後に、同性パートナーの法的保障を求める世界的な流れは、決して止まることがないと私は確信している。主要国会議(G8)の中で、国でも地方でもパートナー制度がない国は、すでに日本とロシアの二カ国だけになっているのだ。日本でも何十年も前からLGBTであることをカミングアウトして頑張ってきた人たちがいてくれたからこそ、確実に社会の受容度は上がってきている。私は、LGBTの「孤独と自己否定」を「連帯と自己肯定」に変えていきたいと心から願っている。一人ひとりの力は小さいかもしれないが、それを集めれば大きな力になるはずだ。自分を信じること、そして、自分たちの権利のために立ち上がること、声を上げること。私たちには、きっともうすでに、社会を変える力がある。
* 筆者は2005年8月の東京レズビアン&ゲイパレードで同性愛者であることを公表。
※参考:杉浦郁子編『パートナーシップ・生活と制度』(緑風出版)2007年