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国際人権ひろば No.74(2007年07月発行号)

特集 ジェンダーを考える-セクシュアル・マイノリティの現状から Part2

性別自認と国際人権

谷口 洋幸 (たにぐちひろゆき) 日本学術振興会特別研究員

■ 「性同一性障害」と特例法


  この世に生まれおちたその瞬間から、人には「男」「女」のいずれかの性別が割りあてられる。日本では出生証明書に男女の別を選択する欄があり、その記載にもとづいて出生届に父母との続柄が記入され、戸籍に転記される。この続柄にもとづいて住民票やパスポート、保険証などさまざまな公文書に性別が記載され、人々はその性別にもとづいて社会生活を営んでいる。
  この事実をとりたてて気にすることなく生きられる場合もあれば、成長するにつれて、学校生活、就職、社会生活、家庭生活などのさまざまな場面で、この事実に一方ならぬ生きづらさを感じる場合もある。自らの性別に持続的な違和感をおぼえ、自身が一貫して認知する性別に身体の性別を適合させたいと望む「性同一性障害」という医療の診断分類が、後者の典型例である。日常的に生じる苦難の解決を目指して、性別に違和感をかかえる人々からは、これまでたびたび戸籍の続柄欄の訂正が申し立てられてきた。ところが長い間いずれの審判においても訂正は認められず、裁判所も、立法府による解決が唯一の手段であることを明言するようになっていった。
  こうして2003年7月、「性同一性障害」にかんする社会的認知の高まりに後押しされ、「性同一性障害者の性別の取扱の特例に関する法律」(以下、特例法)が全会一致で可決・成立した。この法律は、性別に違和感をかかえる人のうち、「性同一性障害」の診断を2人以上の医師からうけることができた人が、次の5つの条件を満たす場合に、性別の変更を可能とするものである。その条件とは(1)20歳以上、(2)現に婚姻していない、(3)現に子がいない、(4)生殖腺またはその機能を完全に喪失している、(5)外性器の外観が近似している、以上の5つである。同法の施行直後から全国の家庭裁判所に性別変更の申し立てがなされ、「gid.jp(性同一性障害をかかえる人々が、普通にくらせる社会をめざす会)」の集計によると、施行から昨年まで3年間のうちに573件(2004年97件、2005年229件、2006年247件)の性別変更の申立が認められている。

■ 特例法がかかえる問題点


  この法律は、所定の条件を満たす人々の性別変更を可能とするとともに、性別に違和感をかかえる人々の存在を広く社会に認識させることにも役だつこととなった。「性同一性障害」に関連する情報は世代を問わず行き渡りつつあり、このテーマをとりあつかう書籍や創作物はおしなべて増加している。この点において、同法が制定された事実は高く評価されている。
  ところがその内容については、成立当初からさまざまな疑問が投げかけられてきた。同法の制定によって救われる人々は性別違和をかかえる人々のごく一部にすぎない、というのがその疑問の根幹にある。具体的な疑問や批判の多くは、同法に規定されている厳格な条件に向けられていれる。とくに(3)「現に子がいない」という条件への批判が強く、条項の削除にむけた活動も盛んである。この条件は、子どもや家族秩序への影響や混乱を防ぐためにもうけられたと説明されている。対して、たとえば「GID特例法『現に子がいないこと』要件削除全国連絡会」は、親が性別を変更しても子どもは混乱しないばかりか、むしろ性別変更を行なわないことによって就労や日常生活に困難をきたしている現状の方がかえって子どもにとって著しい不利益となることを、実例とともに主張している。また、子どもがいるかいないかは申立時に変更不可能な事実であって、子どもが「逆さ仏」にならない限り自身の性別が変更できない現状は、当事者の幸福追求権や平等権に反するとも考えられている。
  他の条件にもさまざま疑問がよせられる。(2)「現に婚姻していない」という条件は、性別変更によって法律上、同性同士の婚姻となることを防ぐためにもうけられている。この条件については、とくに同性カップルへの法的保障をもとめる立場や、国が離婚を強制することを疑問視する立場から批判が寄せられている。また、(4)「生殖機能の欠如」はリプロダクティブ・ライツの基本理念に反しており、断種法や優生思想を想起させる点からも疑問視される。(5)「外性器の近似性」については、国民健康保険適用外の高額な医療費や施術可能な医療機関の限定性という苛酷な現状、あるいは、この条件を課すことによって得られる社会一般の利益と当事者の不利益のバランスが明らかに不均衡である点などから削除が求められている。最も多くの症例を手がけてきた医療機関が今年に入って施術を中止したこともあり、(5)の条件を満たすためのインフラは絶望的な不足状態にある。ほかにも同法には、20歳という年齢設定の基準や、「性同一性障害」の診断を条件とすること自体への疑問も提起されている。
  ちなみに特例法は附則第2項において施行後3年を目途に再検討することを規定している。まさに今年が施行後3年目にあたるが、果たしていかなる検討が加えられるのか。規定内容をみれば明らかなように、同法は人があらゆるレベルで「男」あるいは「女」であるべきこと、また、家族は「法律婚をした父母とその間の子ども」であるべきことを、執拗なまでに要求する。同法の条件だけでなく、その根底にある規範意識を問うことも忘れてはならない。

■ 国際人権の始動


  今後の検討にあたって、最後に、性別に違和感をかかえる人々の人権保障が、国際人権の分野でどのように議論されているか、まとめておきたい。性別自認をふくめた性的マイノリティの問題を国際人権の俎上にのせる試みは、これまで幾度となく妨害にあってきた。かつての国連人権委員会では数回にわたって「性的指向と人権」決議案が上程されたが、イスラーム諸国会議やバチカンの強硬な反対にあい、不採択におわっていた。また、1993年に性的マイノリティの人権NGOが国連の協議資格を認められたものの、翌年にはアメリカ右派などの反発によって資格が剥奪され、以来、協議資格申請は再三にわたり拒否されつづけてきた。
  この現状に一石を投じるべく、昨年7月にカナダ・モントリオールにおいて「LGBT人権国際会議」が開催された。この会議には100ヶ国以上から2000人近くの法律実務家やNGOの参加があり、基調講演をおこなったアルブール人権高等弁務官も国連での取り組みの必要性を明言するにいたった。この会議では成果文書として「モントリオール宣言」[1]が採択され、国際社会における性別自認や性的指向をめぐる人権侵害状況への取り組みが決議された。つづく昨年11月には国際人権の専門家19名によって「ジョグジャカルタ原則」[2]が採択された。同原則は、性的指向と性別自認にかんする問題を個別の人権カタログに対応させる形でまとめたものである。採択者の中にはロビンソン元国連人権高等弁務官やエヴァット元女性差別撤廃委員会委員をはじめ、複数の人権特別報告者(アルストン、エルトゥルク、ハント、コターリ、ムンタボーン、ノワック、シャイニン)など、国際人権の第一線の専門家が名を連ねている。
  この2つの文書をもとに、国連人権理事会の第3会期には、ノルウェーから「性的指向および性別自認にもとづく人権侵害にかんする非難声明」が発表された。この声明には理事国18ヶ国を含む54ヶ国が名を連ね、アジア地域からは韓国と東ティモールが賛同している。さらに、この流れに呼応して、2006年末には3つの性的マイノリティの人権NGOが協議資格をみとめられ、1994年以降続いてきた協議資格申請拒否の状況を脱し、ようやく国連人権理事会をはじめとするさまざまな現場へと直接的に参画することが可能となった。
  性別自認や性的指向にかかわる問題を人権問題として定式化した「ジョグジャカルタ原則」は、国際人権の議論におけるひとつの時代の転機である。性別自認や性的指向にかかわらず、すべての人が人間としての尊厳と尊重にもとづいて--慈悲や恩恵の対象としてではなく--生きられるよう、この原則が特例法の再検討を含めた性的マイノリティの人権保障へと有効に活用されることを願ってやまない。

1. http://www.declarationofmontreal.org/ を参照。
2. http://www.yogyakartaprinciples.org/ を参照。