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国際人権ひろば No.75(2007年09月発行号)
『裁判官検察官弁護士のための国連人権マニュアル-司法運営における人権-』を読む10
「第14章 経済的・社会的・文化的権利の保護における裁判所の役割」および「第16章 緊急事態下における司法運営」について
中井 伊都子 (なかい いつこ) 甲南大学法学部教授
■「第14章 経済的・社会的・文化的権利の保護における裁判所の役割」について
「法曹は、経済的・社会的・文化的権利の保護を促進するうえできわめて重要な役割を果たす。その役割は、社会でもっとも権利侵害を受けやすい立場に置かれた集団にとってはとりわけ重要である。」と本章は述べる。
いわゆる社会権が自由権の後ろにまわされ、人権としての認知さえ危ぶまれる地位に置かれてきたことは日本をはじめ各国の実行が示すとおりである。世界人権宣言採択の直後から展開された国際人権規約の形式をめぐる議論では、自由権と社会権の一体性を強調して単一の規約を求める主張と、両者の性質の違いから二つの規約を求める主張が対立したが、結局一体性は重視しながらもそれぞれの権利の実施を最優先して、形式的には二つの規約を採択する道がとられた。採択時点で強調された社会権の「漸進的実施」が持つ「権利の完全な実現」との連関は、各国のその後の実行の中ではむしろ、経済・社会状況を見極めて実施する国家の広い裁量を意味するものと解釈されてきた。また実施措置に関しても、国家報告制度が認められるにとどまり、独自の実施機関を持てなかったことが、人権としての社会権を軽視する国家の姿勢に拍車をかけたことは否定できないであろう。
その一方で、1985年に独立の専門家からなる社会権規約委員会が設置されてからは、それぞれの社会権の内容とそれに対応する義務の精緻化が図られてきた。財政的限界による漸進的実施が強調される社会権であっても、何らかの措置をとる(行動をおこす)義務と無差別原則に関しては即時に実施する義務が国家には課せられていることを明らかにし、とるべき多面的な措置の中には立法・行政措置に加えて司法的救済が含まれることも強調されてきた。とくに裁判による救済になじむ権利として、男女平等、同一労働同一賃金、労働基本権、家族の保護における無差別などのカタログを示したことは重要である。さらに即時に行動をとる義務と並んで、結果についてはその手段の選択に国家の広い裁量を認め、また中核となる必要最低限のニーズ(食料、基礎医療、住居及び教育)を満たすことは財政的な正当化を許さない義務であることを明らかにしたのも社会権規約委員会の功績である。
2001年から国連人権委員会では、社会権規約の個人通報に関する選択議定書採択をめぐる議論が進行している。社会権に対応する明確な国家の義務を正確に立証することが困難である以上、個人通報制度は非現実的であるとする国家の意見に支配されて、まだその入り口すら見えない状況ではあるが、議論を通じて社会権の内容と位置付けを再考するよい機会が提供されているように思われる。実際自由権規約委員会は、自由権規約第26条の無差別原則を適用して、内容的には社会権分野の給付などに関わる差別についての個人通報を審査してきているので、「初めの一歩」を、即時実施が求められる社会権実現における無差別に置くなどの妥協点が探られていくであろう。
日本の裁判所における社会権の扱いは周知のとおり、ほとんど「切捨て」状態である。国際的な人権保障の分野で社会権規範の解釈がいかに進展し、諸外国における実施がどのようになされているかを、本章は精密かつ具体的に示してくれている。今後の社会権をめぐる裁判で積極的に活用されて、このマニュアルの改訂版が出されるときには日本の判例が社会権実現のリーディングケースとして紹介されていることを期待したい。
■「第16章 緊急事態下における司法運営」について
本章の目的は、逸脱という手段に訴える国家の権利に、国際人権条約が課しているさまざまな条件を説明することである。逸脱は、表現、結社、集会の自由などに課すことができる制限と異なり、特別措置の導入が必要とされる危機的状況を想定している。国際人権法は、国民の生存または国の独立もしくは安全を脅かすこのような状況に対応するための厳重な法的規定を用意している。そしてこのような困難な事態においてこそ人権を確保することが法曹に求められるのである。
自由権規約は起草の当初から、権利に不可侵の部分が存在することで一致しており、逸脱できる権利を規定するのではなく、できない権利を直接に定めるという形式を採用した。ただそのリストの作成に当たっては十分な慎重さがあったとは言い難く、今日まで続く議論と批判の的であることも事実である。これは時代背景の中で起草を急いだヨーロッパ人権条約にもいえることで、逸脱条項を入れるか入れないかに議論の中心があったため、逸脱できない個々の権利の妥当性にまで議論が及ぶことはなかった。一方、社会権規約は逸脱条項を持っておらず国家の義務は一般的に漸進的実施であるので、事態の緊急性によって逸脱しうると解するのが一般的であろうが、裁判になじむ権利のカタログや各権利に対応する中核的義務の内容が示されてきている現在でもこの見解が妥当するかどうかは疑問である。
逸脱の限界には、逸脱不可能な権利のほかに、均衡性、無差別、他の国際法上の義務との整合性、宣言・通知の要件が規定されている。国家の必要と、公の緊急事態においても個人の権利及び自由が効果的に保障されるべきであるという人権の考慮が比較衡量された結果である。さらに逸脱条項を持つ各条約の実施機関によって展開されてきたそれぞれの要件の具体的内容は、本章で詳細に紹介されているところである。
人権保障の拡大のためには逸脱できない権利のカタログをより充実させるべきであるとの議論が聞かれるが、これは思考の順序が転倒しており、また正当な国家緊急権を侵奪しかねないなどの批判がありえよう。また逸脱できない権利を強行規範と同一視してその質的強化を図ろうとする議論には、一般国際法上の強行規範概念を希薄なものにしてしまうとの批判が出されている。国家固有の基本権と人権の考慮の折り合いをどの点でつけていくのかという、ぎりぎりの選択は、今後の日本の憲法改正議論との関係でも、十分に見極めていかなければならない重要な問題である。