特集 移住女性の人権を考えた韓国スタディツアー Part5
私は韓国に行くのも、「スタディツアー」なるものも、初めてである。所属するセンターがヒューライツ大阪と日韓連続シンポジウムを共催することになり、それがきっかけで、スタディツアーに参加することができた。人見知りの激しい私は、行く前から120%ドキドキ。前夜はほとんど眠れないほどの緊張だった。しかし、ツアーが終わったあと、参加者は口をそろえて言っているはずだ-このツアーは、メンバーも内容も、濃くて面白くて、そして本当に深かったと。個別の訪問先については別の報告記事があるので、私はここでは全体的な印象について書いてみようと思う。
キーワードは、「言葉」である。さまざまな言葉の存在が、私を考え込ませた。
今回出会った韓国の多くの人々は、本当に一生懸命に話してくださった。シンポジウムをはじめとして、国家人権委員会、韓国移住女性人権センター、トゥレバンは、どれも移住女性たちの人権問題に取り組み、私たちに伝えたいことが山ほどあったと思う。だから、話してくださるときは、いつも予定時間をオーバーするが、彼女たちの熱意が本当にありがたかった。ほんの数語しか韓国語ができない私も、いろんな人たちとたくさん挨拶を交わした。言葉と、それで足らなければジェスチャーで、一人ひとりの生きている人間同士の関係がつくられるのだ。それを肌で実感するのが、異文化において異邦人となったときである。移住女性たちも、まさにその場に(もちろんもっと厳しく)直面しつつ日々を生きているのではないか、と思い当たる。
しかし、シンポジウムではハラハラした。一つの理由は、シンポジウムの場合、一人が時間オーバーすると、それは即、他の人々の話す時間を奪うことになるからだ。日常でも、会話というものはお互いに適当に発言の機会がないとひどく抑圧的になる。だから、人の時間を奪うべきではないという自己規制的な倫理観が私にはある。だが、理由はそれだけではない。私は時間を守ることに慣れきっていて、ときには規則の門番のような気持ちになり、時間厳守に美意識さえ感じるからである。この門番はつまり、主人が誰かは見えないけれど(きっといわゆる「日本文化」)、自分が主人になったような幻想にひたっている奴隷なのである。何のための規則なのか? 時間の奴隷は目覚めなければならない。いやしかし、仕事で締め切りを守らない人には耐えられない。いや、あれとこれとは話が別。と悩む私。いや、問題は時間ではなく、自己と他者への規制のあり方なのだ。言葉は思いを語るのに必須のもの。人々が共存していける言葉のあり方を探らなければならないのだ。
けれども、よく話される言葉でなく、反対に沈黙の重みを感じた場面があった。一つは、ソウル女性プラザの女性史展示館で、近代化がはじまるまでの女性史は伝えられていないと説明を受けたときと、女性たちの声がスピーカーから小さく流れているコーナーで「耳を傾けないと聞こえないようにしてあります」と説明されたときである。また、国家人権委員会のチョン・カンジャさんが、韓国では人権はまず国家・警察の暴力に対して闘われてきたとおっしゃっていたが、そのアニメコンテストで選ばれた作品のなかでも、妻は言葉をもたない。別の博物館では男性名だけの「族譜」があり、女性たちは歴史のつらなりから存在を抹消されていた。私は、それらから、女性たちの、公的にも私的にも声をかき消され沈黙を強いられてきた歴史の重みを感じる。韓国語を話していてもそうであったならば、まして周囲に理解してもらえない別の言語を話す女性たちは、いかほどまでに多くの言葉を飲み込んでいくのだろうか。韓国で聞いた多くの言葉のかげにひそむ抑圧的な沈黙を、生き延びさせてはならないと思う。
コミュニティの集会所の近くの公園(米軍およびその子どもたちの立入りを禁じている)
ところで、奇妙な場面にも遭遇した。トゥレバンを訪れて説明を受けたとき、村の集会所の隣に公園があった。上のほうには村の墓地が見えていて、人々にとって大切な場所であることが推測される。一番下の遊具のある一角に、立看板で「遊び場にすべての軍関係者は立入り禁止」「公園は村の子どものみ利用許可」と書かれていた。一人の参加者は、「兵士たちから村の子どもを守るため」と解釈した。別の人は、「軍関係の子どもたちを排除するものだ」と解釈した。墓地を含む村の大切な土地への禁止ともとれる。私はトゥレバンのパク・スミさんに真相を尋ねなかったので、立看板の意味は不明のままである。軍による性暴力の文脈とアメラジアン差別の文脈と、米軍への共同体の深い忌避の文脈。いずれも可能で、いずれにも心をえぐるような厳しさがある。まさにそのこと自体に、私は韓国の基地村が抱えている問題の複雑さを読む。一つの言葉が担いうることの、重さ、複雑さを推しはかる。
このツアーで、私は数え切れない多くのものを「スタディ」した。もちろん、言葉だけでなく、法的な人権保障やDV、米軍基地など別の角度から「スタディ」することも可能だったと思う。ただ、「言葉」をキーワードにして考えてみると、移住女性たちが韓国で生きることのさまざまな局面を垣間見るように感じられることがあった。「移住」してはいないが、私たちも一瞬、異邦人だったからだ。その意味で、心に深く残るすばらしいスタディツアーだった。