じんけん玉手箱
2016年12月9日、参議院本会議において、「部落差別の解消の推進に関する法律」(部落差別解消推進法)が、与野党賛成多数で可決され、翌週16日に施行されました。本法は、「部落差別」を法の名称に冠した初めての法律であると同時に、時限のない「恒久法」です。また、2016年6月3日に公布・施行された「ヘイトスピーチ解消法」に次いで、同年、差別解消を目的とする二つ目の「個別法」となりました。
本法が第一条において、「現在もなお部落差別が存在するとともに、情報化の進展に伴って部落差別に関する状況の変化が生じている」と述べているとおり、立法の背景には、インターネット上での差別的な言説、差別を助長・誘発する情報の拡散がありました。2016年には、戦前の調査報告書『全国部落調査』がネット上にアップされ、その復刻版の出版が予告されるという事件が起こりました注。
この報告書は、1936(昭和11)年に政府の外郭団体が、融和事業を進めるための資料として作成したもので、もちろん一般公開を目的としない内部文書です。そこには全国5,000以上の被差別部落の地名、戸数、人口、職業、生活程度が記載され、1975年に存在が発覚した『部落地名総鑑』の原本になったと言われています。それゆえ、これを出版したりインターネット上で公開することは、差別を助長・誘発するとして、部落解放同盟は出版・販売の差し止め、インターネット上のデータ削除を求める仮処分の申し立てを行い、裁判所もこれを認める決定を出しました。しかし、『復刻・全国部落調査』の出版が差し止められると、これを計画した出版社は、同じデータを載せた書籍に異なるタイトルをつけネット上で販売したり、ネット上の情報を削除対象となったサイトとは別のサイトに移すなどしました。この出版社とその代表・取締役に対して、2016年4月、部落解放同盟と200人を越える個人が出版禁止・掲載禁止・損害賠償を求める裁判を起こしています。
部落の地名一覧を手にすれば、ある人が被差別部落の出身者か、住民かどうかを容易に調べることができるようになります。こうした一覧をもとに、採用人事や結婚などにおいて、部落出身者を排除していることが発覚したのが「部落地名総鑑事件」(1975)でした。
今回のようにネットを使えば、差別資料へのアクセシビリティと拡散の度合いは一気に高まるため、被害の範囲は、かつての何倍も大きく、しかし、外部から「見えにくく」なることが危惧されます。しかしながら、こうした訴えに対して出版社側は、地名じたいは特定の個人と結びつくわけではないので、地名の特定を行ってもプライバシーの侵害にはあたらない、とか、地名の公開は「人」の権利侵害にあたらない、などと主張しています。
このことは、人権教育・啓発に関わる者に対して重大な問題を提起しています。というのも、部落地名総鑑事件を踏まえて、少なくとも「部落の所在を特定しようとする行為は、差別・排除につながる不適切な行為である」ことが社会的合意事項となり、それに基づき私たちは人権教育・啓発に取り組み、差別につながる身元調査を規制する自治体条例の制定などを求めてきたからです。2016年の出来事は、こうした合意を踏みにじるものといえるでしょう。また、被差別部落の場所を特定することが、なぜ差別につながるのかを理解するには、歴史の基本的な知識―封建時代には身分と職能によって居住地の制約があったことなど―も必要です。部落問題について、学び、伝え続けなければ、裁判の問題点を理解することも難しくなってしまいます。
今回成立した法は、部落差別は許されないものであるという理念を示し、国・自治体に相談体制の充実や教育・啓発の実施、国には差別に係る実態調査の実施を求めています。しかし、差別行為に対する罰則等は設けられていません。部落差別の解消は、教育・啓発にゆだねられています。それならばなおのこと、部落差別につながる行為とは何か、これまでの社会的合意を伝え続け、さらにその基準を高めていくことが必要です。教育・啓発こそが、人権にかかる社会的合意を強化し発展させ、差別を包囲する力になるからです。
注:本誌No.129(2016年9月号)の「差別とインターネット」参照