人権の潮流
私は、大学の国際法学研究会というサークルに所属し、国際法模擬裁判大会に4回ほど参加してきました。サークルでは国際法の基礎知識を学び、夏と冬の2つの大会に参加しています。私が最後に出場した2015年度の冬大会の内容を紹介します。
国際司法裁判所の判事の名前を冠したジェサップと呼ばれる冬大会は世界80ヵ国の大学生・大学院生が参加する世界最大の国際法模擬裁判大会です。答の出ていない論点をはらんだ架空の国家間紛争を題材に、学生が原告・被告の代理人として法議論を戦わせるゲームで、国際司法裁判所を舞台に、申述書(メモリアル)と口頭弁論の二分野で得点を競います。使用言語は英語です。主張内容を学生が自ら考えなければならず、入念な準備が必要となります。日本からは国内予選を勝ち抜いた1校が米国のワシントンDCで開催される国際大会に出場できます。
ここで大会前に公表された問題文の概要を紹介します。
隣接するA国(原告)とR国(被告)の殺虫剤使用政策に反対する組織が、両国政府機関へ脅迫し、A国内工場への放火(両国民に数名の死傷者)、A国からR国へ輸出される蜂蜜への毒物混入未遂事件などを起こします。R国はテロ警報を発令し、テロ対策法により、テロ関係者と疑われる外国人を540日まで抑留できる権限を当局に与えました。それにより元A国第三党党首で反殺虫剤政策を打ち出していたK氏がR国滞在中、安全上の理由により抑留されます。R国はA国の解放要求に応じませんでした。
K氏に関する情報は全て非公開とされ、抑留についてのR国安全保障裁判所の非公開審理ではR国が選出した弁護人のみ出席が許可されますが、K氏との情報共有も相談も許されませんでした。審理により、K氏の抑留は延長されます。
後日、リークされたR国の機密情報からK氏がテロ組織との繋がりを強く疑われていたこと、反殺虫剤の過激な主張にネット上で賛同していたことが発覚します。R国は「K氏とテロ組織上層部の直接の繋がりを示す資料がある」とだけ述べました。
両国は協議の末、事件を国際司法裁判所に付託し、K氏抑留の国際法上の適法性の判断を仰ぎました。両国は「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)の締約国です。
申述書は各紛争当事国の主張を書面にしたもので、各大学が原告・被告双方の分を作成します。これは口頭弁論で話す内容の基盤になります。語数制限があるため簡潔に、それでいて説得的に議論を展開しなければなりません。
その作成にあたり、自由権規約の条文解釈が争点になると考え、まずは注釈書(コメンタリー)や自由権規約委員会の一般的意見などを読みました。続いて、ネットや図書館の資料、欧州人権裁判所の判例などから、原告・被告それぞれに有利な記述を探していく作業を進めました。集めた資料を基に主張を書き、先輩からアドバイスを受け、仲間と議論を交わし、足りない部分をまたリサーチし…というサイクルが約4ヵ月半続きました。終盤は学校の合宿所に泊まり込んで作業していました。
申述書提出後は、1か月後の口頭弁論に向けての練習・追加リサーチを続けました。弁論練習では先輩方を相手に2時間以上立ちっぱなしで質問に答えていくということも珍しくありませんでした。
国内大会で実際に展開した議論を3点に分けて大まかに紹介します。
① 安全上の抑留の適法性
自由権規約9条1項は身体の自由の権利を規定し、「恣意的な抑留」を禁止しており、まずR国の安全上の抑留の恣意性が問題となります。
自由権規約委員会は、安全上の抑留は通常恣意的な抑留にあたるとした上で、「最も例外的な状況下で、現在の直接的かつ緊急の脅威が、その脅威を生じさせたと考えられる者の抑留を正当化する程度に生じ」、「代替措置では対処できない」場合の許容性は否定していません。
しかし、同委員会が過去に審査したケースを参照しても、テロリストとして活動していることが明らかな者の抑留は許容されると考えられるものの、個人の「脅威」の基準は明らかにされておらず、本件のようなテロ組織上層部との繋がり、過激発言への賛同程度で最大540日の抑留が正当化されるのかについては疑問が残ります。結局、原告・被告それぞれの立場からK氏の脅威の有無を主張しました。
② 人権の逸脱
自由権規約4条は国民の生存を脅かす公の緊急事態において、国家が必要な限度で人権を逸脱する措置をとること(デロゲーション)ができると定めています。被告国として、仮にK氏の抑留が自由権規約に違反していたとしても、本条項により正当化できると主張しました。ここで争点となるのが「公の緊急事態」の基準です。
欧州人権裁判所の判例は欧州人権条約の解釈において、武装テロ集団により引き起こされた緊急事態におけるデロゲーションを認めていますが、その基準は明らかにしていません。但し同裁判所はしばしば、公の緊急事態の存在とそれに対する措置の決定は第一に国家の生存に責任を負っている各締約国がするべきであるという理論に基づき、国家に一定の裁量を認めています。しかし、自由権規約の解釈においてこの理論が用いられたことはなく、用いることができるのかも不明です。
原告はデロゲーションの認められた事件と比較して本件の事態は小規模であることを、被告は市民への潜在的脅威と国家の裁量を強調してそれぞれの論を展開しました。
③ 公正な裁判を受ける権利
自由権規約9条4項は裁判所により抑留の合法性審査を受ける権利を規定しています。ここでは同14条1項の公平な裁判を受ける権利が保障されなければなりません。
テロが絡む裁判などの場合、事件捜査に支障をきたす恐れがあるため、一定限度の人権制約は認められています。しかし「独立した法的助言を受けられること」と「最低でも決定の根拠となる証拠の重要部分が被抑留者に開示されること」は、国家により保障されなければなりません。そこでR国の選んだ弁護人と情報非公開の適法性が主に争われます。
まず弁護人に関し、欧州人権裁判所は「被抑留者が十分な情報を持ち、弁護人に効果的な指示ができない限り、弁護人はその役割を果たすことが出来ない」としており、原告はこの点を強調しました。但し、欧州人権裁判所はその違法性認定まではしておらず、被告は同制度が違法とまでは言えないと主張しました。
情報非公開に関しては、国家は抑留の根拠となった証拠そのものを開示する必要はありませんが、それにより個人が政府の申立てに対し効果的な反論ができる程度に証拠がどのようなものであるかを伝えなければなりません。この点、被告国は「K氏とテロ組織上層部との繋がりを示す資料がある」と述べていますが、原告はそれでは不十分、被告はそれで十分だと主張しました。
口頭弁論には各大学の原告・被告弁論者2人ずつと、弁論者の手助けをする補佐人の5人が参加します。私は被告の弁論者として予選の弁論に臨みました。持ち時間約20分の中で自らの主張を英語で裁判官に向かって話し、その中で飛んでくる質問に答えなければなりません。裁判官は国際法学者や実務家などが担当します。
「安全上の抑留に関する先例に照らして本件の抑留は妥当なのか」「公の緊急事態の基準はあるか」「K氏が反論するには情報が少なすぎるのではないか」といった鋭い質問に、答えていくのは大変でした。笑顔で頷いて下さる裁判官もいれば、首を傾げる方もおり、全員を説得するために様々な角度からの説明を試みました。また、被告は原告の弁論に対応させて自国の主張をしなければならないため、相手が想定外の主張を展開して来た時はその場で反論を考えなければなりませんでした。そのように苦戦を強いられましたが、何とか予選を突破することができました。
国内大会で弁論に臨む筆者
私の大学は結局、準決勝で敗退して出場7校中3位に終わり、国際大会出場は叶いませんでした。準決勝では、相手被告が前年に好成績を収めた弁論者を擁する強豪校だったのに対し、こちらの原告は2人とも1年生だったことから経験の差が出たのかもしれません。それでも、大阪大学から出場した4人のうち3人が個人弁論者賞を受賞するなど、健闘したという実感があります。
また、大会を通して、対テロ政策における人権保障の難しさについて強く考えさせられました。近年テロ事件が多発する中、国家は厳しいテロ対策措置をとる傾向にあります。もちろんテロは許されないものですが、それを口実にすればどのような人権侵害も許されるというはずはありません。効果的なテロ対策と人権保障のバランスを取るのは難しいことですが、議論を重ね、国家による過度の人権制約を防いでいく必要があります。
<参考>
・日本国際法学生協会(JILSA)http://jilsa.web.fc2.com/index.html
・International Law Students Association(ILSA)https://www.ilsa.org/