特集 不寛容化する社会・グローバルな視点
差別のない社会を実現するためには、マジョリティ(社会的に強者の立場にいる人たち。多数派という意味合いもあるが、この文脈では社会的に「ふつう」とみなされている人を意味する)側の人々の力添えが不可欠だ。しかし、大部分のマジョリティは差別に対して無関心である。差別問題は他人事で、自分自身の問題であるという認識がない。差別をする人は「悪い人」であり、差別をしない人が「いい人」だと教わる以上、「自分はいい人」だと思っており、「差別などしていない」と信じている。かつての私も「自分は差別なんかしていない」と思っていた。
アメリカで教育を受け、そのままアメリカで大学教員となった私は、文化心理学という授業の中で、日本人とアメリカ人の心理学的な違いについて教えていた。そのとき、「先生、日米の違いは確かに面白いけれど、人種や人種差別について私たちの日常に役立つようなことをもっと取り上げてほしい」とアメリカ人の学生に言われたことがあった。
それまで人種差別の問題は自分の手には負えないと必死で避けてきたテーマだった。自分自身がアメリカで受けた差別について思い出すのも嫌だったし、「差別のことを掘り下げても辛くなるだけで、何も生まれない」と本気で思っていた。しかしその学生の言葉は、差別の問題と向き合うきっかけを作ってくれたのである。そして学生に差別について説得力をもって教えるには、まず懐疑的であった自分自身を説得する必要があった。
幸い、アメリカでの大学院時代に「白人特権」という概念を学んでいたため、「白人特権」を出発点に授業の中で少しずつ差別の問題を取り上げるようになった。そこで得たのは、人種差別については、最初に差別されている側ではなく白人(強者側)の特権の問題として教えることがいかに重要か、ということである。大多数が白人のアメリカ人学生に、白人特権や他の特権への気づきを促すと、彼ら自身が差別を自分の問題として捉えるようになり、変化が見られるようになった。その結果、「特権の自覚を促す以外にマジョリティの変革はありえない」と思うようになった。
白人特権の概念を広めた白人女性のペギー・マッキントッシュが「白人である私は、人種差別は他者を不利な立場にするということは教えられてきたが、その裏返しである自分を有利な立場にするということについては教わらなかった」と述べた通り、特権と抑圧は表裏一体である。これまで社会科学の分野では、差別や抑圧の構造については研究されてきたが、その裏返しである「特権」の構造にはほとんど触れてこなかった。この点こそが、特権に気づきにくい構造に加担しているのである。
特権は「ある社会集団に属することで労なくして得られる優位性・権力」と定義される。マッキントッシュはさらに、「私は白人特権というものが、日々無意識にあてにしている労せずに得た目に見えない財産であることに気づいた。白人特権とは、特別な食糧、地図、パスポート、コードブック(暗号書)、ビザ(査証)、衣服、道具、小切手帳の入った目に見えない重さのないナップサックのようなものである」と語った。彼女のエッセイは、学生に最初に読ませる課題となった。「白人として私は、社会の中で『部外者』として見られることなく、自国の政府や、その政策や措置に対して堂々と批判することができる」「テレビをつけると自分と同じ白人が出ており、歪められたイメージではない」など、エッセイにあげられた白人特権を知ることで、白人である彼らは自分の特権に初めて気づくことができたのである。
こうした「白人特権」の概念は日本におけるマジョリティ特権に応用できるのではないか。現在、上智大学で「立場の心理学:マジョリティの特権を考える」という半期の授業をすでに3回教えて手応えを感じている。ここでは前半で日本人特権(人種・民族的マジョリティ)、経済的特権、男性特権、異性愛者特権の4つの特権を学生に示し、後半でマイノリティのゲストスピーカーに語りをお願いしている。
この順序にしている理由は、特権にまず気づかないと、マイノリティ側の語りを歪んだ形で聴いてしまう可能性が高いからである。つまり「可哀そう」という上から目線か、「世の中は良い方向に変わってきているのに、文句ばかり言って自己利益を追求している」とネガティブに捉えるかのどちらかであることが多い。やはり、特権に自覚的になることで、初めて自分が他のマイノリティと比べて優遇されている、より容易に暮らせている、ということがわかるのだ。気づき始めた自分自身の特権をより明確にするために、マイノリティの鏡は不可欠である。
特権集団の特徴としては、文化的・制度的支配(マスメディア、法律、教育、政治、など)、正常性、優越性などがあげられ、特権集団の個人の特徴には、特権があるという認識の欠如、社会的抑圧の否定・回避、優越感と権利意識、自分に特権があるという認識に抵抗を示す、などがあげられる(グッドマン, 2011)。
特権の気づきを促すために欠かせないのが、白人人種的アイデンティティ発達理論である(ヘルムズ,1990)。この発達理論は白人が自分の白人性と折り合いをつける心理的段階を6つに分けている。
最初の接触(Contact)は、制度的人種差別や自分自身の持つ特権に対して無自覚である段階で、「私はいい人で差別なんてしていない」と考えている。
2つ目は、分裂(Disintegration)で、徐々に自分の特権に気づき、罪悪感や怒りを感じるようになる。その状態は居心地が悪いため、比較的早く3つ目の再統合(Reintegration)に進む。ここでは揺り戻しが起き、マジョリティの中に戻り、マイノリティを避けるようになる。ここまでが特権に対して向き合わない段階である。次の3段階は自身の特権を見つめ、より深く学ぶ段階となる。
4つ目の疑似独立(Pseudo-Independent)は、現状について疑問を感じ、マイノリティの人々について正確な情報を知りたいと学び始める段階である。自分の特権についても振り返る。
5つ目の没頭(Immersion)は、アメリカ社会において白人である、ということはどういうことかを掘り下げる段階である。白人のロールモデルを求めたりする。最後の自主性(Autonomy)は、白人として新たなアイデンティティを築く段階で、人種差別に立ち向かい、抑圧のない社会を目指すために行動を起こすようになっている。マイノリティと連帯ができる段階である。
授業では今自分がどの段階にいるのか、次の段階に進むにはどうすればよいかを考えてもらう。学生はこの発達理論を好意的に受け止め、真摯に向き合ってくれる。自分が今どこに位置し、さらにどこを目指せばいいか、わかりやすい点が好評である。一方で、自分をいきなり5つ目の段階にいる、と書いてくる学生もいるので、最近では、「この授業で初めて特権という概念について知った人は3段階以下だと思いますよ」と伝えるようになった。
最後に、マジョリティ側に特権を気づかせるのは誰の役割かという点だが、これは、マジョリティ側のメンバーであると考える。被差別の当事者が教育することにはリスクが伴う上、その教育の責任をマイノリティに押し付けるのは間違っている。マジョリティ側が語ると「中立」や「好意的」と見なされやすく、マジョリティ側に聞き入れてもらいやすいといった特権がある。
特権に気づくことで、学生からも「差別のことを考えたことはあったが、差別をする側の特権について考えたことはなかったので、新鮮だった。特権を持つ人が何をすべきかがよくわかった」「元々差別問題に興味があったが、新たな視点の発見や意見を知り、ますます関心が湧いた」などの感想が寄せられた。
もちろん、これは最初のきっかけを作ったにすぎず、学生の特権への気づきを行動へとつないでいくための授業をさらに開発する予定である。しかし、特権への気づきのアプローチが効果的であり、マジョリティの無関心を関心に変える一つの方法として参考にしていただければ幸いである。
参考図書:『真のダイバーシティをめざして:特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』(ダイアン・J.グッドマン 著 / 出口 真紀子 監訳 / 田辺 希久子 訳、上智大学出版, 2017)