肌で感じたアジア・太平洋
2016年4月~11月、大学生に日本語を教える日本語教師として、首都ハノイに赴いた。最初のベトナム訪問から10年以上が経っていた。その時は、観光のため数日だけの滞在だったが、空港から市内への風景は、10年前とはすっかり違って見えた。民族衣装であるアオザイを着ている学生の姿は少なく感じられた一方、道路は整備されている印象だ。8か月のほんの短い間であったが、日本語を学ぶハノイの学生事情をお話ししたい。
日本語を学ぶ人の多くが日本へ行くことをめざしているが、日本へ行くにも技能実習生※注、留学、エンジニアとして就職等のさまざまな形がある。日本語を学ぶ場所も、大学の正規授業や大学の言語センターを利用したもの、留学を斡旋するセンターなどさまざまある。私は、ハノイ工科大学とハノイ土木大学で、日本の企業(主に建築関連)と日本語学校が主体となったプロジェクトで、日本で働くことを希望する学生に日本語を教えた。学生たちの多くが建築関連のコンピューターソフトを勉強しているため、技術者や専門職として日本での就職をめざしていた。授業は二部制で、昼クラス(4時間)は半年コースで、3,4回生または卒業生が約30名学び、夜クラス(2時間)は一年コースで、40名近い学生は社会人が大半を占めていた。
ベトナムでは、日本語で日本語を教える“直説法”を採る学校が多く、文法を教えるのはベトナム人教師、会話を担当するのは日本人教師と分けることが多いと聞く。もしベトナム人教師がベトナム語で教えるとなると、昼クラスの学生は、最大で2時間しか授業で日本語を聞くことがなくなる。夜クラスの学生にいたっては、毎日たったの1時間となる。それよりは、ベトナム人教師も日本語を用いる直接法の方が、最大限日本語を聞いて勉強するので効果的だろう。
とはいえ、習得したい言語で文法まで学ぶのは易しいことではない。教科書はベトナム語の翻訳が付いたものを使い、絵を用いたり、時にはベトナム語や英語を使いながら、どのような場面でその言葉を使えばよいのかを理解させていく。そうすると学生は、次第に日本語で日本語を学ぶことに慣れていった。文法以外で苦戦していたのは、カタカナだった。始めのうちは、ひらがなと形が似ていることに慣れない(「き」と「キ」、「か」と「カ」等)。勉強が進んでいくと外来語にはカタカナを使うと教えるが、「radio」、「table」等は、元の英語の音とカタカナの音(「ラジオ」、「テーブル」)が違うので、一つ一つ覚えていくことが難しい。他にも、「スーパーマーケット」は、ベトナム人は「スパマーケッ」のように発音するので、母語が及ぼす影響もある。またどういう場合にカタカナを使えばいいか判断するのが難しいようだ。この学校では、受講前にひらがな・カタカナの読み書きを既に自分で勉強していることが前提だったが、カタカナを使いこなすことは、外国人にとって難しいものだと感じた。
ハノイ工科大学での授業風景 |
技能実習生が日本への派遣前に学ぶ学校で日本語を教えている教師は、語学を学ぶ努力以前の学力の低さを嘆いていた。単純な比較は避けたいが、知り合いの教師の実感として、大学を修了していない実習生が多いため、語学の習得が遅いそうだ。もっとも、3か月日本語を学んだだけで日本へ送られていくベトナム人実習生の方にも言い分はあるだろう。彼らがベトナムでの日本語の勉強にかける時間はとても短い。
「日本語を勉強する=日本への興味=高収入」かどうかは個人差があるとして、技能実習生や日本での就職をめざして勉強する学生は、家族の借金返済のためにという理由が多いようだ。私の学校では、学生に日本語を学ぶ理由を聞いても、言えなかった学生もいるかもしれないが、借金返済のためとの答えはほとんど聞かれなかった。地方から首都ハノイの大学で学ぶために、借金をした学生もいただろう。様々な理由から借金を抱え、技能実習生として日本に行くため、業者に払う費用を更に借金する人もいる。
知り合いが教えていた技能実習生の学校への入学時期はまちまちで、入学後3か月で卒業して日本へ行く学生とは、いわゆる教師と生徒という関係性を築くことは難しいようだ。日本で“厳しい現実”が待ち受けている実習生が、「日本人=優しい」というイメージだけを持たないように、笑顔を向けないと聞いた。私のように学生たちに連れられて陶芸で有名な村に行ったり、深夜に開く花の市場に行ったり、ただ湖を眺めながらお茶をするという関係はないらしい。学外で学生との付き合いがあった私には、技能実習生の学校の教師の話は信じられないようなものだった。私は、学生とともに多くの体験をすることができて、とても幸運だったと心から思っている。
私も自分の学生には、日本での過労死・過労自殺の問題や、欧米人以外の外国人に対する差別の問題を折に触れて授業で話していた。“優しい人ばかりの夢の国”ではないことを知っていて欲しいからだ。だが私の学校では、日本へ行く希望に満ちて、居残ってまで熱心に勉強する彼らに、教師の方が差し入れをすることもあった。学校が違えばさまざまな状況は異なり、彼らが触れる“日本”や“日本的なもの”も、また異なる。
私が教えていた大学は、土木や工学技術の分野では高い水準で知られた大学のため、地方から来ている学生が多く、彼らは自炊で出費を抑えていた。私たち日本語教師がよく食べていた、おかずを3,4種類選べるお弁当は、野菜料理の種類も多いのでバランスは良いが30,000ドン(約150円)で、学生が毎日食べるには少し高いようだ。学食は学生の味方だが、大学の近くには一食10,000ドン(約50円)で買える屋台もある。ご飯にふりかけと玉子がかかった丼のような一皿や、バインミーと呼ばれるフランスパンのサンドイッチは、小腹を満たす以上のボリュームがある食事で、それを食べる学生をたくさん見かけた。
休憩時間のおやつにスナック菓子を持ってくる学生もいたが、果物の皮をむき出したのには驚いた。種類も豊富で新鮮な果物が安く手に入るベトナムならではのおやつかと思うが、もし日本であれば、果物は既に切り分けられたものを持参するだろう。10分の休憩時間に、教室でナイフを取り出しその作業は始まった。「先生、どうぞ」と手に載せてくれた果物は、授業前に手が汚れてしまったらどうしようという考えが頭をかすめたが、まず先生にと差し出してくれた学生の気持ちはありがたく、学生に混じって一緒に椅子に座り語らう休憩時間は、笑いながらあっという間に過ぎていった。
ベトナムでは持ち込みOKのところが多い。 スーパーで買ったアイスをお供にカフェにて(左から3番目が筆者)。 |
外国語学習は、ベトナム人にはとても馴染みのあることらしい。仕事を終えた社会人が受講できるよう、私の学校も夜クラス(18時~20時)を設けている。フランス語を学ぶ人は今やわずかで、最も多いのは英語、次に日本語で、今は中国語を学ぶ人が多いようだ。英語は話せて当然で、その上で何語が話せるのかが就職の強みとなるのは、どこの国も同じような状況である。私の学校は、日本での就職を希望する学生向けの授業だが、国内に多くある日系企業への就職をめざす人もいるだろう。中国語やフランス語を学ぶ人も、今の仕事より条件の良い仕事を求めて学ぶのが理由のようだ。
私の学校の昼クラスの学生は、大半が大学4回生か卒業後1年未満で、日本での就職が本当に決まるのか焦りを感じていた学生を多く見かけた。日本語を勉強してもなかなか就職先が見つからないと、諦めて辞めていく学生も3分の1程度いた。大学卒業と同時や、20代前半での結婚が多いベトナムで、仕事が決まらない焦燥感は何とも言えないものだろう。
日本で自分の専門をより深め、高度な技術を得て、いつか母国の発展へ貢献したいと願うベトナムの若者が、日本での生活でも心折れず、未来を拓いてもらいたいと願うばかりだ。
注:技能実習制度は、開発途上国への技術移転を目的として1990年代に日本政府が創設した制度。実際は労働者不足にあえぐ中小企業の受け皿となっている。