人権の潮流
企業の広告やマーケティングが子どもに及ぼす影響について、日本ではこれまであまり議論されることはなかった。本稿では、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが2016年に発表した「子どもに影響のある広告およびマーケティングに関するガイドライン」の背景と概要を紹介し、子どもの権利と広告・マーケティングの関連性について意識を喚起したい。
ガイドラインの表紙
近年、企業の人権への影響に関する国際的な気運が高まり、企業が社会において果たすべき責任が注視されている。2000年にグローバル・コンパクトが発足し、2011年には「ビジネスと人権に関する指導原則」が国連で採択されたことを背景に、子どもの権利と企業の責任をつなげる枠組みの必要性が指摘されたことから、2012年3月に国連グローバル・コンパクト、セーブ・ザ・チルドレン、国連児童基金(ユニセフ)の3団体が「子どもの権利とビジネス原則」(全10原則)を発表した。これに続き、2014年5月、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、グローバル・コンパクト・ネットワーク・ジャパンと日本ユニセフ協会とともに、これらの原則を国内で発表した。
「子どもの権利とビジネス原則」は、企業が職場、市場、コミュニティ・環境で展開するあらゆる活動において、子どもの権利に負の影響を与えず、これらの権利を積極的に推進することを促すものである。これは、企業の多様な活動が子どもの生活や発達の過程に多くの影響を及ぼすという認識に基づいている。
「子どもの権利とビジネス原則」の原則6「子どもの権利を尊重し、推進するようなマーケティングや広告活動を行う」は、企業の製品やサービスのマーケティング・広告活動において、子どもに対して負の影響をもたらさないこと、そして子どもの権利への意識を向上し、子どもの肯定的な自尊心や健全な生活スタイル、非暴力の価値等を促進するようなマーケティング・広告活動を行うことを求めている。
少子化やインターネット普及による社会の情報化を背景に、家庭の中で子どもは「消費者」としてその発言力や影響力を増し、両親や祖父母など、家族の消費をけん引するまでになっている。一方で、デジタルコンテンツに関連した子どもの被害や相談は年々増加傾向にある1など、消費者としての子どもの脆弱性への配慮の欠落が問題につながるケースが見られる。
社会的責任の手引として国際標準化機構によって2010年に発行されたISO26000は、7つの中核主題の中に「人権」と「消費者課題」を掲げ、「消費者課題」において、広告およびマーケティングを行う際には児童を含む社会的弱者の最善の利益に留意すべき、としている。
子どもを含む消費者の欲求を刺激し、消費行動に影響を及ぼすため、多くの企業は子どもやその保護者に向けた広告やマーケティング活動を戦略的に展開している。そのような広告が子どもに与える影響を考える上で、子どもの発達特性を理解する必要がある。
アメリカ心理学会の調査(2004)によると、一般的に、4-5歳の子どもは番組と広告の区別がつかず、7-8歳の子どもは、購買意欲を刺激するという広告のねらいを理解できない。また、12歳以下の子どもは、見聞きした情報を信じやすく影響を受けやすい、という特性があることから、広告などの情報を信じやすく、広告やマーケティングの影響を大人よりも受けやすいとされている。
広告が子どもの嗜好や消費傾向、さらには自尊心や価値観にまで影響を及ぼすことは、様々な専門家2や世界保健機関の食品広告と子どもの肥満との関係性の研究などを通して、広く検証されている。
こうした状況に鑑み、海外では、子どもを対象とした広告やマーケティングに関する法律や規制、民間の広告自主規制機関・組織が存在する。その例として、EU不公正商取引指令では「子どもに対して直接的に広告対象商品を勧めるのは不当行為」と記載されている。また、スウェーデンやノルウェーでは12歳未満の子ども、カナダのケベック州では13歳未満の子どもに対するテレビ広告が禁止されていること、米国の子ども広告審査ユニット(CARU)が「子ども向け広告の自主規制プログラム」を実施していること、子どもの肥満という社会課題を背景に、多くの国が高脂肪・糖分・塩分食品・飲料のマーケティング規制を設けていることなどが挙げられる。
一方、日本では子どもに対する広告やマーケティングに関する法律や規制は存在しないのが現状である。子どもに対する広告表現上の配慮は、日本民間放送連盟の「児童向けコマーシャルに関する留意事項」をはじめ、業界ごとの自主規制を通じて行われているが、その規制力は限定的であり、子どもは、彼らへの影響に関する配慮が必ずしも十分に施されていない多くの広告に晒される環境に置かれている。
「子どもの権利とビジネス原則」を国内にて発表した後、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、関心のある企業や有識者を募り、原則の実践に向けた意見交換を行う場を設けた。その中で、原則6「子どもの権利を尊重し、推進するようなマーケティングや広告活動を行う」に関して国内で具体的な取り組みが必要ではないかとの提起がなされた。
これをきっかけに、2015年9月にNGO、企業、有識者、関連機関等から構成される「子どもの権利とマーケティング・広告検討委員会」(座長:松本恒雄 国民生活センター理事長)を発足させ、企業の広告とマーケティングにおける子どもの権利の保護、および子どもの健やかな成長への貢献を産業横断的に推進することを目的として、「子どもに影響のある広告およびマーケティングに関するガイドライン」の策定を開始した。子どもに配慮したマーケティング・広告に関するいくつかの国際的なガイドラインを参考に、約1年の協議を経てドラフトし、パブリックコメントにかけた後、2016年10月に完成した。
このガイドラインは、子どもを対象とした広告およびマーケティング、また子ども以外の者を対象とした広告やマーケティングにおいても、子どもがそれを見ることで影響が及ぶ可能性を考慮し、暴力や差別的な表現、広告と番組の区別がつかない手法、友人関係に取り込み購買をあおる戦略など、多岐に渡って配慮を求めている。
現在、日本国内において、広告における子どもへの負の影響について社会全般の関心は必ずしも高いとは言えない。一方で、広告やマーケティングにおいてその表現が差別的あるいは人権を侵害していると問題視され、発信元が対応を迫られる事例が増えている。以前にも増して情報の拡散力が高まっている状況や、2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは一連の企業活動の社会・環境への配慮に国際社会の注目が集まることも見据えると、人権を尊重し、国際基準にも則した広告表現への取り組みは、日本の企業にとって差し迫った課題とも言えるのではないか。
私たちは、「子どもに影響のある広告およびマーケティングに関するガイドライン」の普及活動を続ける中で、企業が子どもの健やかな成長や発達に対して持つ影響や役割の大きさについて、意識と取り組みを促していきたい。
ガイドライン策定のきっかけとなったワークショップ(2015年9月)
注1:2013年12月付の国民生活センターの報道発表資料によると、オンラインゲームに関する相談件数は2009年度以降年々増加しており、2012年度は2009年度と比較して約4倍にまで増加、2013年度も同水準の相談が寄せられている。その中で契約当事者が未成年者である相談は前年よりも大幅に増えており、件数は約2.5倍となっている。
注2:例として、ジュリエット・B・ショア著『子どもを狙え!キッズ・マーケットの危険な罠』、2005年など。