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国際人権ひろば No.137(2018年01月発行号)

特集 70周年を迎える世界人権宣言

人が大切にされる世界を目指して~世界の現実と世界人権宣言という理想~

白石 理(しらいし おさむ)
ヒューライツ大阪会長

 世界の現状

 2017年11月の国連の旧ユーゴスラビア戦争犯罪法廷は、セルビア人で構成されたスルプスカ共和国軍司令官であったラトコ・ムラディッチに対してジェノサイド(集団虐殺)、戦争犯罪そして人道に対する罪で終身刑の判決を下した。「スレブレニツァの虐殺」から実に20年以上がたっていた。1995年7月、旧ユーゴスラビアのボスニア・ヘルツェコヴィナのスレブレニツァで国連軍が警備している安全地帯から8,000人以上がスルプスカ軍に連れ去られた。その後次々と虐殺が明らかになる。1992年から1995年までのいわゆる「ボスニア戦争」での数多く起こった虐殺事例のひとつ、「スレブレニツァの虐殺」である。

 政治の、そして軍の責任者たちの深刻な人権侵害容疑に対して国際司法による訴追、裁判そして有罪判決が下されることは決して多くはない。この裁判は画期的な出来事であった。

 歴史上、大量虐殺は、戦争や武力紛争では常に起こってきた。そして、今でも起き続けている。最近「イスラム国」と称する集団が支配していたイラク・シリア地域のあちらこちらから窪地に投げ込まれたおびただしい数の屍体が見つかっている。

 もうひとつの出来事。2017年11月のリビアである。アフリカからヨーロッパに渡ろうとする若者であふれる「収容所」で、運び屋に要求される金を払えない者の中から壮健な男子を選んで競りにかけて売り飛ばす様子が報道された。まさに奴隷市場である。

 これらはほんの例示に過ぎない。世界の現実は厳しい。武力紛争、難民流出、行き場のない大勢の移民、集団虐殺、暗殺、拷問、強制失踪、人種主義、排外主義、様々な理由による差別、政治的自由の制限、思想表現の自由の侵害,信教信条の自由の侵害、恣意的逮捕拘禁、公正な裁判と法の支配の不在、貧困、教育を受ける権利の侵害、不健康な環境と劣悪な公衆衛生、安全な飲料水の不備、環境破壊、女性の地位の問題、児童労働、強制労働、虐待、働く人の権利の侵害、企業活動による人権侵害など。人が人として大切にされる世界という理想とはあまりにもかけ離れた現実である。

 人の尊厳と人権を守ることをその目的にする国連

 1948年12月10日、世界人権宣言が国連総会で採択された。2018年で70年を迎える。第二次世界大戦の惨害が未だに生々しく残る世界で新たにできた国際組織である国連。国連は、その憲章前文で、「基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し」、「人種、性、言語または宗教による差別なく、すべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」(第1条3)を目的のひとつに置いた。

 1946年に経済社会理事会の下に設置された人権委員会は当初、国連憲章で述べられた「人権」を明らかにし、履行制度を備えた人権章典の起草を目指した。既に始まっていた東西対立、冷戦という国際状況では、人権宣言と条約を分けざるを得ず、まず、世界人権宣言が作られたのである。人権条約についてはそれから実に18年後の1966年、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」(社会権規約)と「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(自由権規約)という二つの条約という形で実現する。これら三つを合わせて「国際人権章典」と呼ぶ。

 世界人権宣言は、その前文で、国連加盟国が、「国際連合と協力して、人権及び基本的自由の普遍的な尊重及び遵守の促進を達成することを誓約した」と述べ、この人権宣言はそのための「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」であるとした。1948年の宣言採択の時に国連加盟国であった国はもちろん、その後の加盟国すべてが受け入れたはずの世界人権宣言である。もう決して人が人を差別したり、傷つけたり、搾取することを許さない世界という国際社会が掲げた理想である。

 人でいえば古希(70才)を迎える世界人権宣言は、時代遅れの遺物なのか。役に立たない夢物語なのか。国連創設時から主要な地位を占めてきた安全保障理事会の5つの常任理事国を含めて、多くの国連加盟国が国の内外で「人権及び基本的自由を尊重する」という制約を破り続ける現実。この現実にどう向き合えば良いのか。

 現実を変える理想の力

 人は生きるために「拠って立つもの」、「目指すもの」が必要である。理想とはそういうものである。社会にも世界にも同じように必要な理想。いかに現実がひどいものであっても目指すべき理想に向かって歩む。望みを諦めない。世界人権宣言とはそのようなものである。しかしそれだけではない。70年の間に、「宣言は、条約のように国に法的義務を課するものではない」とされていたものが、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」として確立し、もはや誰もが無視できないまでの力を持つようになっている。圧倒的、普遍的なモラルパワーと言われ、実質的な規範、ソフトローとも言われる所以である。今では、人権を無視する行為は、それが国であれ、個人や集団であれ、厳しい批判にさらされる。70年の歩みである。

 「人権の普遍的宣言」と呼ばれるにふさわしい世界人権宣言の中身

 世界人権宣言は、第1条と第2条で人権の本質的原則を掲げる。第1条は、一人の例外もない、すべての人の尊厳、すなわち、一人ひとりが人である故にかけがえのない、尊い存在であること、そして人権の普遍性と平等性、すなわち、人権は、いつでも、どこでも、だれにも、同じように備わっているとする。第2条では、ひとはいかなる理由による「差別をも受けること」はないとする。

 この二つの条文を基礎として、それに続く28の条文が組み立てられている。第3条から第21条までは生存、個人の自由、身体の安全の保障、市民生活や政治参加における権利などを定め、第22条から第27条では経済的、社会的、文化的権利を定めている。第28条、第29条、第30条は人権と社会秩序の関係、人権行使に伴う社会に対する責務、人権行使の制限に言及する。

 世界人権宣言の人権とは、道徳や倫理とは一線を画すべきもので、法で守られるもの。人権を守り、守らせる責任は第一に国にある。合理的で必要最小限の制約のほかは、人権を曲げてはならない。法律によっても人権を奪うことはできない。人権が侵害された人は、裁判に訴えて救済を受けることができる。

 世界人権宣言を具体化する人権条約

 世界人権宣言に続いて、1966年に二つの国際人権規約ができた。この三つの文書に沿って、国際社会はその後50年の間に様々な個別の課題に関する人権条約を制定してきた。国際的な人権体制としては目を見張る進展である。中でも、いくつかの条約はその履行制度が機能して実績を積んできた。

 人権宣言や条約で人権を掲げることだけでは「絵に描いた餅」-これは、1948年の時点ですでに意識されていた。人権保障は効果的な履行手段が備わってはじめて実現する。現在の国際社会では、人権を守らせ、侵害を処罰する強制力は部分的でしかない。問題を公にし、説得と勧告をし、世論に訴えることで当事者を動かすほかはないという場合が多い。理想と現実の隔たりを思い知らされる。

 エレノア・ルーズベルト

 それでも、そこで諦めては終わりである。1946年から1950年まで国連人権委員会の議長として、世界人権宣言の起草に打ち込んだエレノア・ルーズベルトは、採択に至るまで幾度となく絶望的な困難に遭遇したが、諦めることはなかったという。宣言が公布されてから後に、国連人権委員会に次のような言葉を送っている。

 「…自分が生活するところとその周辺、自分が通う学校、工場、農場、あるいは自分が働く事務所。そんなところで、一人ひとりが、男も女も、そして子どもも、差別されることなく、同じように約束される正義、機会の平等そして人として同じように尊ばれることを求めるのです。人権がそんな場所で意味をもたないならば、もうどこでも、意味を持つことはないでしょう。自分のうちの近くで人権を大切にするために市民が手を携えて行動をおこすことがなければ、もっと大きい世界で進歩を求めようとしても失敗に終わるでしょう。」

 人権は大切な宝

 人権は、誰にとっても大切な宝である。人権は、自分を守り、自分が成長するための力となる。人権は、社会をより公平・公正にするために役立つ。そして人権は社会で弱い立場に置かれている人にとっては最後の拠り所となる。世界人権宣言はこれまで変わることなく、そのような人権を伝えてきた。一人の例外もなく、すべての人が大切にされる世界の実現を目指して。

 

注:「エレノア・ルーズベルトと世界人権宣言」(英語)
http://womenshistory.about.com/od/1stladyroosevelte/a/human_rights.htm