人権教育は今
1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾、無条件降伏で終戦を迎えた。しかし政府はなおも教育関係者に「国体護持ノ念」に徹し、「益々国体ノ護持ニ努ルコト」を求めた。教育改革は同年10月以降のGHQの「四大指令」を受けてやっと始まり、軍国主義的・国家主義的イデオロギー普及の禁止、軍国主義・極端な国家主義を鼓吹した神道と国家の分離、40年来学校教育の中核に置かれてきた「修身」授業の停止、などが実現した。しかし国家主義・軍国主義教育の基盤であった教育勅語は1948年6月の衆参両院での失効確認決議等により、やっと廃止された。
1947年11月3日に公布された日本国憲法は、主権在民、基本的人権の保障、恒久平和の追求を3大原則とする画期的な憲法である。前文に盛られた「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」との理念は、2016年の「平和への権利国連宣言」に結実している。
この憲法の理念の実現は「根本において教育の力にまつべきもの」とされ、1947年3月31日、日本憲政史上初めての教育関連法である教育基本法が制定された。その第1条は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行なわれなければならない」と謳っている。こうした資質と能力を身につけた自律的、能動的、かつ自由で責任能力ある市民=国民の育成が教育目的とされたのである。
1947年に始まった新学制では、新しい教科「社会科」が小・中・高等学校に設けられた。この社会科こそ、臣民とは全く異なる、民主的社会の主体的形成者=主権者としての国民の育成における中核的教科であった。こうした新体制のもとで、互いに尊厳を持つ対等な個々人として尊重しあい、平和的に共存できるための近代的市民道徳を身につけた国民を育成する教育が開始した。民主主義国家として新たな歩みを始めた日本はこの時点で、21世紀の今日の国際社会が共通課題として推進している人権教育・平和教育の理念をいち早く国民教育の基礎に据えたことになる。
しかし民主主義・平和・人権の実現の鍵となる社会科は、当時の国内外の政治状況の中で早くも危機に直面した。政府は「社会科の改善」の名のもとに「社会公共への奉仕」、「愛国心の育成」を重視する方向で実質的な社会科の弱体化を図りつつ、1958年には「道徳の時間」を小中学校の教科外領域の一つとして特設した。「基本的人権の尊重を中心とする民主的道徳」とは「民主的道徳の中心は人格の尊重、ひいては社会公共への奉仕にあるとの意味に理解すべきである」との詭弁により、「社会公共への奉仕」が強調されたのであった。
「道徳の時間」は、小・中学校で毎学年、毎週一時間以上設けられ、各教科、特別活動、等の他領域における道徳教育を「補充、深化、統合」し、組織的、発展的な計画のもとで指導を行うべきものとされた。こうして今日に至るまで、小・中学校では「道徳の時間」を中心とする道徳教育が進められてきた。しかし、「道徳の時間」の指導においては、往々にして道徳的心情の育成が強調され、いわゆる「心を揺さぶる授業」が広く実施され、概して道徳的知見や道徳的判断力、問題解決能力の深化・育成は軽視されがちであったといえる。
2015年3月、小・中学校に「道徳の時間」に代わる「特別の教科 道徳」(以下、「道徳科」と表記)を設置することが決定された。これは「道徳の時間」が、かつての「修身」のような、教育課程上の教科にされるという衝撃的な出来事である。教育界はじめ、各層から反対意見が依然として多い中、「道徳科」は2018年度から実施されることになった。
「道徳科」の目標については、ほぼ従来のものに似た記述がされているが、「道徳科」の指導については、次のような基本方針を教師が明確にして指導するよう求めている。
(1)道徳科の特質を理解すること、(2)信頼関係や温かい人間関係を基盤に置くこと、(3)生徒の内面的な自覚を促す指導方法を工夫すること、(4)生徒の発達や個に応じた指導方法を工夫すること、(5)問題解決的な学習,体験的な活動など多様な指導方法を工夫すること。
これらは概して常識的なものではあるが、(2)に関連しては、生徒間の信頼関係・人間関係だけでなく、教師と生徒たちとの信頼関係、人間関係が重要であることを忘れてはならないだろう。学校の教職員、事務関係職員、清掃係員、児童、生徒等々、すべての人びとが人間として尊重されるような学校(いわゆる「人権尊重学校」)における民主的で公正な雰囲気こそ、道徳教育をはじめ、あらゆる教育・学習活動の不可欠な基盤だからである。
また(5)で問題解決的な学習が強調されていることは評価できる。道徳的諸価値の対立や葛藤は人間社会では頻繁に起こるものであるが、その際に公正に、平和的に、双方にとって有益で、納得できる結果をもたらすような問題解決能力や技能の育成は極めて重要だからである。
他方で、「体験的な活動」については、従来も、職場体験活動、ボランティア活動、自然体験活動など、多種多様な体験活動を生かした指導の工夫は従来も広く行われてきたが、十分な成果を上げてはいない。ただ単に体験活動をふんだんに取り入れるだけでなく、教育方法原理における「経験(体験)」の持つ意義と実践の方法に留意しつつ、展開していく必要がある。ともかくも体験的学習の意義と必要性が肯定的に捉えられ、推奨されている点は評価できよう。
「道徳科」がかつての「修身」になりさがることを阻止するためには、主権者である個々人の目覚めと監視が必要である。それと同時に、「道徳科」の授業では単に教科書を使う方式ではなく、また、形式的、表層的な体験的学習や問題解決的学習ではなく、国連の人権教育推進事業等々で実践され、有効性が実証されてきている学習ユニットや指導法を積極的に活用することが推奨される。なぜなら、人権はすべての人が、いっさいの違いを超えて、いつでも、どこにいても、平等に保持している最も基本的で、普遍的な権利や自由からなるものであり、いかなる「道徳的価値」と呼ばれるものであれ、人権に反するようなものは価値とは認められないからである。
周知のように、国連は21世紀を「人権の世紀」にすることを目指し、「人権教育のための国連10年」(1995-2004年)を実施した。2005年からは「人権教育のための世界計画」を企画・実行し、現在もその第3段階の取り組みが継続中である。この間、2011年には国連総会で「人権教育および研修に関する国連宣言」が採択された。
日本国政府はこの国連事業の推進過程で、(少なくとも数年前までは)諸企画の共同提案国となるなどして積極的に貢献し、かつ国内における人権教育・啓発を強力に推し進めてきた。その過程で2003年に文科省に「人権教育の指導方法等に関する調査研究会議」が設置され、国際的に共有されている人権教育の理論的・実践的研究成果を踏まえた具体的な提案や資料開発等が行われてきた。特に「人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ](理論編及び実践編)(2008年)」は学校教育、社会教育における人権教育・研修において広く活用されてきているが、「実践編」に盛り込まれている内外における実践例や、多くの文献でも紹介されているアクティビティと呼ばれる人権教育のツールは、「道徳科」の授業でも積極的に活用されるべきであろう。
人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]は次のサイトで入手可能。
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/024/report/08041404.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/024/report/attach/1370730.htm