人権の潮流
東南アジアとの経済連携協定(EPA)により外国人看護師・介護福祉士候補者の受け入れが開始されて10年、少子高齢化と国内の労働力不足を背景に、介護分野の外国人の受け入れが加速化している。2016年、安部政権は介護分野への外国人労働者の参入を進めるいくつかの政策を導入した。第1に技能実習生制度の介護分野への拡大、第2に在留資格に介護ビザを新設し、介護養成校の留学生に介護福祉士として就労する道を開いた。そこでEPAの経験から、今後の外国人介護労働者の受け入れの課題について探る。
EPAは日本が初めて看護と介護の分野で外国人を受け入れたケースであり、2008年からの10年間にインドネシア、フィリピン、ベトナムから累計で看護師1,203名と介護士3,529名が来日している。彼ら・彼女らは日本語の研修を1年程度受けた後、全国の病院や施設で就労しながら看護師や介護福祉士の国家試験の合格をめざす。EPAが開始された当初、介護施設では留学生を招いての勉強会や、入居者や家族に対する説明会を開催したり、礼拝のための部屋の確保や住居の借り上げなど、受け入れのための様々な準備を行ってきた。EPA介護士は労基法の適用を受けて就労し、日本人と同一賃金が保障され、施設は日本語や国家試験対策のための勉強を支援してきた。
また、政府は外交関係に配慮して、国家試験対策のための予算を確保し、試験時間の延長や漢字へのルビ振り、滞在期間の延長などの措置を取ってきた。斡旋機関の国際厚生事業団(JICWELS)も、カリキュラムや教材の開発、模擬試験や集合研修を実施してきた他、全国各地でEPAを支援する日本語教師やボランティアによっても多くの知識と経験が蓄積され、合格率は上昇した1。EPAが開始されるまでは「日本人の介護は日本人にしかできない」という意見もあったが、EPA介護士による介護については患者・利用者のうち80%以上が「満足・概ね満足」と答えており、90%近くの施設が国家試験合格後も「当施設で働き続けて欲しい」と希望している(JICWELS、2016)。
一方で、政府間協定とはいえ通常の労働問題も発生しており、残業代未払い、労災隠し、パワハラ、強制帰国、研修を行わない(=従って国家試験に合格できない)、またムスリム女性のベールを認めないなどのケースが発生している。研修体制も施設によって異なり、4年間いてくれれば良いとして、研修を行わずに「使い捨て」にする介護施設も出てきている。合格の見込みがなかったり、合格しても帰国するケースも多く、西日本のある介護施設では合格5年後の定着率は20~30%である。それでも介護施設の中には、もうEPAなしでは施設運営が成り立たないというところもあり、介護職に占めるEPA介護士の割合が1/3から半数近いというところもある。
SNSで情報が瞬時に拡散される時代にあっては、働きやすい施設には優秀な人材が集まる。すでに日本人介護士の半数以上が研修でフィリピンに行った経験があるという施設や、合格したEPA介護士にEPAの新規採用を任せているという施設、EPAを管理職として登用している施設もある。EPA介護士の中からケアマネージャーも誕生し、国籍に関わらず活躍できる環境があることは、優秀な人材が定着するための必要条件であろう。また、家族を形成して定住化が進む中で、配偶者向けの日本語教育支援や子育てしやすい環境づくりに対する取り組みも開始されており、受け入れから10年が経過してEPAは新たな段階を迎えている。
しかし、この間変わらなかったのは政府の政策である。EPAによる受け入れの趣旨は「看護介護分野の労働力不足を補うためではなく(中略)経済活動の連携の強化の観点から実施する」(厚生労働省、N/A)とあるが、10年の間に介護現場の人手不足は深刻さを増し、2025年には約38万人の介護士が不足すると推計されている(厚生労働省、2015)。この政府の建前と現実の狭間でEPA介護士も介護現場も翻弄されてきた。EPA介護士の多くは看護師であり、事前の説明では「日本の高齢化を助けるため」と言われていたのに、日本に来てみたら「自分たちは本当に必要とされているのか」と疑問を投げかける。「日本は移民国家ではない」と繰り返す政府の方針は、日本社会の閉鎖性と排他性を際立たせ、EPAを含めた外国人の定着を妨げるだけでなく、地方自治体や人手不足に苦しむ業界が対策を講じることを困難にする。
外国人を労働者と見なさない態度は、今回の技能実習生と留学生の受け入れにも引き継がれており、労働問題の解決と定住のための施策を遅らせ、外国人による貢献を見えなくさせる。しかも、EPA、技能実習生、留学生という3つの制度は場当たり的に導入され、制度間の整合性もない。4年生大学や看護学校卒で政府による無償の日本語教育を1年間受け、介護福祉士の国家試験合格を目指しながら就労するEPA介護士と、日本語能力検定N4程度で来日し、最長でも5年間しか就労できない技能実習生2と、介護養成校に通いながら学費の支払いと生活に追われ介護施設でアルバイトをする留学生が同じ施設で就労することを想像してみて欲しい。さらに、筆者がベトナムの技能実習生の送り出し機関で行った調査によれば、介護分野で働く技能実習生として来日を予定していた人たちは、EPA介護士たちと出身も学歴も同じであった。つまり、外国人介護労働者たちは本人の能力とは無関係に乱立する制度の中に放り込まれ、介護施設は日本語能力も研修も在留資格も異なる外国人を雇用することになるのである。これでは長期的な介護の人材確保戦略を立てることも、外国人が介護士としてキャリア形成を行うのも難しいのではないだろうか。
介護施設が運営するEPA介護士の配偶者のための日本語教室(筆者撮影)
今回、技能実習に介護分野が追加されたが、日本で働く技能実習生は単に労働力を提供するだけでなく、送り出し国の研修所では、日本の職場慣行に適応することが強く求められてきた。ベトナムのある送り出し機関の研修所では、元留学生や元技能実習生たちが来日予定のベトナム人に対して、日本の製造業で使われてきた生産管理の手法である5S(整理・整頓・清潔・清掃・躾)を徹底的に叩き込んでいた。東京の有名私大を卒業した元留学生のベトナム人教員によれば、日本語の研修は3~4割の比重しかなく、日本人に気に入られるように5Sを徹底させることに多くの時間を費やしているという。また、日本人の好みに合うように「疲れていてもびしっと緊張感を持つ」あるいは「常に生き生きとした表情で、笑顔で返事をする」ことを教えており、謝る場合にも真剣な顔で深く頭を下げ「すみませんでした。今度から気をつけます」と言わせている、という。
このベトナム人教員によれば5Sは一日に何度も唱和し、その実践を怠ればトイレ掃除一週間や校庭100週などの罰則が待っている。植民地時代の身体管理を髣髴とさせる研修は、イノベーションが重視される時代にあまりにも時代錯誤に思われたが、これは日本の雇用主の要望なのである。このような訓練は職場の安全性や衛生を確保し、生産性の向上に貢献するかもしれないが、上意下達の刷り込みと軍隊式の規律化は労働者としての権利保障が侵害された場合の交渉には役に立たない上に、コミュニケーションを基本とする介護にはそぐわないように思われた。介護は人間の尊厳に根ざした行為であり、介護士が労働者として尊重されなければ、要介護者の命と生活を支えることはできない。
介護の現場が日本人にも外国人にも労働条件を保障し、多様な背景を持つ人々を包摂した多文化空間となるのか、外国人を労働者として認めずに規律化し、低賃金で働かせることによってしか成立しない搾取の空間となるのか、私たちはその重大な分岐点に立たされている。
ベトナムの送り出し機関の研修所に掲示されていたポスター(筆者撮影)
1:2011年度のEPA全体の合格率は37.9%であったが、2017年度は50.7%である(厚生労働省、2018)。
2:技能実習を終えた外国人がさらに最長5年間就労できる改正案が2018年秋に提出される予定である。
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