人権の潮流
「お客さま、こんにちは。どうぞよろしくお願いします」。教室の中に入るなり、作業用の制服をまとった20数人の若い男女が一斉に起立し、そろった声と深々としたお辞儀で迎えてくれた。ベトナムのハノイ郊外にある「日本語訓練センター」を訪ねたときのことだ。このセンターは、日本に技能実習生を送り出す会社(以下、A社)が運営している。4階建てのビルまるごとがセンターの施設である。
外国人技能実習制度は、企業などが、開発途上国の人たちを期間限定で受け入れ、OJTを通じて技能移転を図るための制度として1993年に国が始めたものだ。2017年11月1日の「技能実習の適正な実施と技能実習生の保護」を目的とした技能実習法の施行を機に、従来の3年から最長5年間の受け入れへと延長された。農業、漁業、建設、食品製造、繊維・衣服、機械・金属など77職種で雇用することができる。
しかし、途上国の「人づくり」に貢献するという制度の表向きの趣旨とは裏腹に、実際は人手不足にあえぐ中小企業のために労働者確保のシステムとして機能してきたのである。
実習生の人数は増加の一途をたどっており、法務省統計によると、2010年末時点で約10万人だったのが、2017年末には約27万人の在留数となった。出身国別では、長年にわたり中国が大半を占めていたが、近年ベトナムが急増しており、2016年末は約8万8,000人、2017年末は12万4,000人に達した。増加の一方で、実習生の労働時間や賃金、安全基準、宿舎の問題をはじめさまざまな人権侵害事案も拡大してきたのである。
筆者は送り出す側のベトナムの実情を見ようと、2018年2月末から3月上旬にかけてハノイとホーチミンを訪ねた。
案内された教室は、日本語学習を始めて3ヵ月のクラスであった。ベトナム人の日本語指導員のもと、19歳から30歳までの若者が学んでいた。それぞれの机の上にはたくさんの教材が積まれている。このクラスの全員が日本での就労先が決まっているという。日本語で尋ねてみると、福岡で農業、富山で段ボール工場、香川で水産加工、長野で塗装の仕事など、業種も行先も多岐・多方面にわたる。日本へのビザの発給を待つ数か月のあいだ勉強に励んでいる。
来日目的は、「お金を貯める」「送金」など言わずもがなの返答であったが、「日本でいろんな経験をしてみたい」、「日本各地を旅行したい」と日本への関心も旺盛だ。
帰国後にどこで働きたいかと聞けば、「日本語の先生」「日本の自動車メーカー」「レストランを開きたい」など。これから日本で習得予定の技能とはおよそかけ離れた仕事が次々に飛び出してきたのである。その屈託のない反応に思わず苦笑しつつ、通訳者の手助けを借りながら、日本語学習の初心者とはいえ、何とか日本語で会話しようとする姿勢に微笑ましく感じた。
この「日本語訓練センター」は全寮制である。一日のスケジュール表を見てみると、確かに「訓練」というにふさわしいほど、細分化された時間割が詰まっている。始まりは、午前5時45分から校庭で行われるラジオ体操・体力訓練だ。そして、朝食、掃除、朝礼と続く。8時30分から夕方までクラスに分かれて日本語学習が課され、夜は自習時間が組まれている。午後11時の消灯まで実に16項目ものプログラムが詰まっているのである。外泊が許可されるのは、土曜日の午後から日曜日にかけてのみで、ほとんど缶詰状態の日々を過ごすことになる。
センターの管理者によると、日本語教育と並行して態度を養う教育に力を入れているという。挨拶やお辞儀の仕方、はきはきとした態度、笑顔での返事、自然に謝る姿勢、疲れていても緊張感をもつようになど、厳しい指導を行っている。実習生を採用する日本の企業から数々の要請やクレームをもとに、そのような方針に行きついたという。教育や管理に関わるスタッフは、元留学生や元技能実習生など日本を知る人材で固めている。日本人スタッフも1~2名いる。
普通に暮らしていた若者が、入寮するとマニキュアやアクセサリー、髪染めの禁止といった規則によってがらりと生活が一変し、厳しく管理された環境に放り込まれることになる。センター側は、ストレスがたまることは承知のうえだが、日本で直面するさまざまな困難に備えた「我慢の訓練」を、来日までのあいだに積ませるというのである。ここへの入寮は、「入隊」といっても過言ではない。一方、ベトナムでの低賃金の仕事に甘んじるのではなく、日本で積む経験や我慢こそが明るい将来への通行証であるかのような夢を訓練の所々にまぶすことも忘れないという。
ハノイの「日本語訓練センター」で深々とお辞儀する
技能実習生の候補者たち(筆者撮影)
ハノイ郊外にある技能実習生の送り出し会社の
「職業訓練センター」(筆者撮影)
ハノイの中心部にあるA社の事務所を訪ね、社長の話を聞くことができた。A社は、以前は韓国や台湾にも労働者を送り出していたが、数年前から日本への送り出しに特化したという。理由は、日本における外国人労働者、とりわけベトナム人への期待が高まっているからだという。また、韓国や台湾よりも日本のほうが労働条件はよく、帰国後も日本企業などへの就労に有利だと受け止めているという。
日本への送り出しは、2015年に300人だったのが、2016年は530人、2017年は940人と実績を伸ばしている。ベトナムで200社を超える日本への送り出し会社のトップ10に入っているそうだ。さらに、2018年は2,000人を目標にしている。新たにもう1か所の「日本語訓練センター」のオープンを間近に控えていた。
社長は、安い労働力を日本に送り込むことに注力しているわけではないという。送り出す先の企業の大半が最低賃金レベルであるという現状に不満を抱いている。たとえば、建設の仕事は危険が伴う業務であることから、できる限り高い賃金を支給してほしいという。縫製も熟練が必要な職種であるにもかかわらず、労働条件が悪いうえ、賃金不払いが多発していることを問題視している。劣悪な労働条件の会社へは送り出したくないと語った。
2017年11月の技能実習法の施行にあわせ、技能実習制度の対象職種に介護職種が追加された。介護の追加にあたり、受け入れの要件が設定されたのである。とりわけ、介護は言葉によるコミュニケーションが必要な仕事であることから、技能実習制度では初めての日本語能力要件が定められた。入国時には日本語能力検定試験N4程度(日常的に使われる日本語をある程度理解できる)で、2年目にはN3程度(基本的な日本語を理解できる)に達することが求められる。試験に合格しなければ帰国しなければならない。
2018年3月現在、ベトナム政府による介護技能実習生の送り出し要件が整備されていないため、解禁にはしばらく日数を要する見通しだが、送り出しと受け入れの準備は進行している。ホーチミン市にある送り出し会社(B社)を訪問してみると、ちょうどその日、富山県の監理団体と介護施設の職員が採用面接のために来ていた。B社は、ハノイに本社がある大手のひとつだ。
B社ホーチミン事務所は、市内周辺の数校の看護学校と提携し、日本語教育を行うなど、介護の実習生の送り出しの態勢を整えているところだ。面接に来ていたのも提携校の看護学生たちであった。
4人に1人が75歳以上の後期高齢者となる「2025年問題」を間近に控え、日本の介護施設の外国人介護労働者への期待が高まっている。一方、日本語能力要件がハードルとなり、ベトナムから送り出す側は慎重姿勢である。
A社の社長は案じる。「介護分野は日本での需要とベトナムからの供給にギャップがある。働きながら日本語能力試験N3に合格するのは難しく、たった1年で帰国させられる前に失踪者が続出するかもしれない。ベトナム政府から失踪の責任を我々の会社が問われることになってしまう」。
そうしたなか、厚生労働省をはじめ日本政府は、「外国人介護人材の受け入れは、人材確保を目的とするのではなく、技能移転という制度趣旨に沿って対応するもの」と建前を虚空に放ち続けている。名目上の実習生としてではなく、正面から労働者を受け入れるという議論を頑なに避けているのである。
今回のベトナム訪問で知りたかったことのひとつは、「手数料」についてであった。実習生が来日を果たすためには、送り出し会社に手数料や保証金として日本円換算で100万円を超える金額を支払わなければならないという報道や報告が多く存在する。国際的な批判などを受け、ベトナム政府は、日本への送り出し会社の手数料の法定上限を3,600ドルと設定し、保証金の徴収を禁じるようになった。2017年6月に日本とベトナムで合意した「技能実習制度に関する協力覚書」でも保証金の徴収の禁止を明記しており、問題点が改善に向かっているかの印象がある。
A社の場合、手数料は法定上限を超える約5,000ドルだが、保証金は課していないという。保証金は日本での失踪防止目的の預かり金なのだが、A社は本人や家族への相談などへのサポートをすることで、失踪を防ぐように努めているという。
しかし、同時期に別の送り出し会社を訪ねた日本の知人は、保証金はいまだに徴収されているという情報を得ている。手数料と保証金に関して旧態依然とした事態が続いているようだ。
さらに、送り出し会社と受け入れ企業の仲介役を担う日本の監理団体が、送り出し会社に対して利益の見返り(キックバック)を求めてくるという調査報道もある。そのような「報酬」は技能実習法で禁じられている。しかし、一部の監理会社のあいだで、社員がベトナムに出張する際、飛行機代やホテル代、さらには遊興費の支払いを送り出し会社に求めてくるといった「慣行」があると聞いた。送り出し会社としては、得意先の要求だけに断りにくい。その分のツケは技能実習生に押し付けられていくのである。
技能実習制度に関わる業界は上げ潮ムードである。だが、管理と搾取に覆われたこの制度が、日本で就労しようとする若者の期待をいつまでつなぎ留めておくことができるのだろうか。今回のベトナム訪問を通じて、そんな疑問がさらに募ってきた。