特集 「誰一人取り残さない社会は可能か」-持続可能な開発目標(SDGs)実現への取り組み
2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)は、今や世界の共通言語となった。そして同時に、世界中の企業の関心事項ともなっている。先進国でも途上国でも、包摂的で持続可能な未来社会を目指して、商品・サービスや事業プロセスにSDGsを組み込み、本業を通じて取り組む企業が増えてきている。企業は将来にわたって適正な利潤を確保するためにも、経済成長のエンジンとなると同時に社会的課題に本業を通じた解決策を提供する必要がある、という考え方が広まっている。
2018年7月にニューヨーク国連本部で開催されたSDGsビジネスフォーラムに、筆者は2017年に引き続き参加した。企業の取り組みへの関心の高まりは顕著で、2017年の同フォーラムの約3倍、4,000人もの参加希望者があった。2016年の第1回フォーラムと比べれば、何と10倍以上の増加ぶりだ。今年は会場の都合で、実際に参加できたのは600人とごく一部だった。
2018年SDGsビジネスフォーラムに参加した筆者
今回のSDGsビジネスフォーラムでは、経団連ミッションを組んで全体会議で日本産業界のイニシアチフ゛について二宮企業行動・CSR委員長がプレゼンを行い、世界に向けて発信した。幸い、各国企業はもちろん、政府、国連、国際機関、シンクタンクなど幅広い参加者の間で大きな反響を得ることができた。
プレゼンしたのは、経団連としてのSDGs戦略だ。2017年11月に経団連は、会員企業の申し合わせ事項である企業行動憲章とその実行の手引きを大幅に改定した。7年ぶりとなる今回の改定では、「ビジネスと人権に関する指導原則」、「パリ協定」、「SDGs」といった国際合意を行動規範として取り込むことが主眼であった。なかでも前文で「企業は持続可能な社会の実現を牽引する」とうたい、SDGsの達成に人間中心の超スマート社会、「society5.0」(注の実現を通じて産業界として貢献することを強調している。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが人権に関する条文の新設である。「企業と人権」の分野でのバイブルとなった、2011年の国連「ビジネスと人権に関する指導原則」に則り、すべての人々の人権を尊重する、とうたっている。そしてより具体的なアクションとして、① 国際行動規範としての人権を理解する、② 人権侵害未然防止のための体制を構築する、③ 包摂的な社会づくりへの貢献を通じて人権を増進する、の3項目を推奨している。
SDGsビジネスフォーラムで、人権は重要な討議テーマであった。WBCSD(持続可能な開発のための世界経済人会議)が、このビジネスフォーラムに合わせてShift(「ビジネスと人権に関する指導原則」の普及団体)と共同で発行した報告書”The Human Rights Opportunity”は、興味深い内容だ。SDGsの文脈で人権尊重を本業ビジネスに組み込んでいる先進企業の事例を解説している。サプライチェーンにおける児童労働や人身取引をなくすことももちろん大切だが、企業が取り組むべき人権のテーマやアプローチは多様だ。その点で、SDGsに資する人権尊重の取り組みとは何か、報告書で紹介された15の事例は豊かなインスピレーションを与えてくれる。
多くの日本企業も積極的にSDGsを事業戦略に組み込んでいる。たとえば、損保ジャパン日本興亜では、保険会社としての強みを生かして、より強靭で包摂的な社会をつくるために、途上国での小規模農家のための干ばつに備える天候インデックス保険や、世銀とのパートナーシップで開発した脆弱な途上国における自然災害・パンデミック(感染爆発)に備える保険など、新たな分野の保険を開発・提供している。また国内でも、デジタル技術を活用した交通事故抑止のための各種サービス、高齢化社会対応としてのヘルスケアや介護などグループ事業に力を入れるとともに、日本NPOセンターおよび各地の環境NPO・市民の皆さんとともに取り組む、生物多様性の保全活動SAVE JAPANプロジェクトなどを実施している。
企業の人権尊重の事例を解説した報告書“The Human Rights Opportunity”
SDGsは17の目標からなるが、それはバラバラな目標の寄せ集めではない。SDGsの国連採択文書全文を通読すればよくわかるが、どの目標にも共通する根本思想は人権の尊重であり、人間中心の考え方である。理念として掲げられた「誰一人取り残さない」もそのことをよく表している。
しかし、「企業と人権」は比較的新しい概念だ。世界の企業の間で、環境問題は早くからCSRの取り組みの中心だった。環境マネジメントのISO14001が発表されたのは1996年。今や日本を含む世界の企業においてすでに手法は確立され広く普及している。しかし、人権についての状況は全く異なり、どうやって取り組んだらよいかわからないという企業は多い。本来は、環境と同じように、基本方針を確立し、リスクを特定し、その発現を防ぐ仕組みを社内に定着させ、定期的にフォローアップして、進捗状況を公開する、というPDCAサイクルをまわすべきなのだが、そう理解して実践している企業はまだごくわずかだ。ようやくここ2、3年で、世界の先進企業が独立の人権報告書を発行して、そうした取り組みの情報開示をするようになってきた。ネスレ、ユニリーバ、M&Sなどである。日本企業としては、ANAホールディングスが初めてこの6月に「人権報告書」を発行した。
環境に比べて、企業の取り組みの歴史の浅い人権。しかし、これからすべての企業が人権尊重を経営に組み込んでいくことが求められる。その際に、SDGsの17目標や169のターゲットは、取り組みの切り口のヒントを提供してくれる、活用すべき役に立つドキュメントだ。
企業だけではなく、国内では様々なステークホルダーの人権問題の認識も、国際水準からみるとまだ不十分である。そのギャップを埋める良い機会が、2020年とあと2年後に迫った東京オリンピック・パラリンピックである。
日本の組織委員会は、「持続可能性に配慮した運営計画(第2版)」を2018年6月に発表した。東京大会をSDGsオリンピック・パラリンピックにする、という、画期的な宣言だ。メガスポーツイベントを持続可能なものにするのに役立つ国際規格、ISO20121の認証も取得する予定だ。運営計画の内容は環境配慮や人権・労働への配慮、参加と協働の推進など、多岐にわたる。
なかでも注目すべきは、オリンピック史上、初の「ビジネスと人権に関する指導原則」に則った大会にすると宣言したことだ。次回2024年のパリ大会からは、それが開催国の義務となる。したがって、東京大会ではまだ義務づけられていないが、自主的に宣言した。紙、木材、農産物、水産物、パーム油に関する調達基準を新たにつくったことにも注目してほしい。そこには環境への配慮とともに、先住民の権利、移民労働者の権利、など人権・労働に関する配慮事項が盛り込まれている。
残念ながら、この運営計画への国内メディアの関心は薄い。この計画発表を取り上げるマスコミは少なく、扱いも「エコの大会に」といった具合に環境配慮に言及するのみであった。海外ではメガスポーツの持続可能性は大きな関心事になっているし、今回の発表も人権・労働配慮への言及も含めてバランスよく取り上げられていた。国内外での意識の違いが鮮明だ。
だからこそ、世界から注目される東京大会は、人権問題への認識を高めるために極めて貴重なチャンスである。東京大会を、SDGsや人権を日本社会で主流化するためのよいきっかけにしたいものである。
注:狩猟社会、農耕社会、工業社会、情報社会に続く、日本政府が提唱する5番目の社会像。近未来の、人間中心の超スマート社会を指す。