特集 「誰一人取り残さない社会は可能か」-持続可能な開発目標(SDGs)実現への取り組み
私が運営に関わっているさっぽろ自由学校「遊」(以下、「遊」)は、札幌市の中心部に拠点を置く市民がつくる市民の学びの場である。人権、平和、開発、環境、ジェンダー、多文化共生などの社会課題や、文化・技能を学びあう場として、年間を通して講座や学習会を開講している(注1。
「遊」で「持続可能な開発」というテーマと向き合うようになったきっかけは、国連・持続可能な開発のための教育(ESD)の10年(2005~2014年)であった。ESDは、私たちが取り組んできた市民学習のスタンスと重なるものであったため、「遊」ではESDを意識した取り組みを継続してきた。ESDを掲げるにあたっては、北海道の地域性に根ざした実践的な学びを特に意識した。
「ESDの10年」は2014年に最終年を迎えたが、この10年を振り返る中で、私自身が感じていた課題のひとつは、国内で取り組まれているESD全般において「権利」の視点が薄いことであった。また、ESDが目指す「持続可能な開発」とは何なのか、その捉え方もバラバラであるように思えた。
もうひとつは、ESDのような国連が打ち出す取り組みが、国内へ、国から自治体へと下りてくるに従い、既存の施策をかき集めたような魂の抜けたものになってしまうことであった。ESDは、自分たちが地域に根ざした学びを進めていくうえでよい手がかりとなったが、一方で行政施策とのギャップは埋まらず、市民によるアドボカシー活動の必要性を感じるところとなった。
「ESDの10年」が最終年を迎える頃、国連におけるミレニアム開発目標(MDGs)の後継目標の策定に向けた動きについても学ぶ機会をもった。このポストMDGs策定の動きは、最終的に2015年9月の国連総会において採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中で、持続可能な開発目標(SDGs)として17の目標と169のターゲットにまとめられた。
この頃私たちは、「ESDの10年」以後の地域におけるESD推進のプラットフォームとして、北海道道央圏におけるESD-RCE(国連大学が認定しているESDの地域拠点)の設立準備をすすめていたが、そこではSDGsの達成を目的として掲げることを決めていた。そして、このプラットフォームの設立に関わっていた「遊」では、ESD-RCEとの協働プロジェクトとして、SDGsをベースとした北海道における地域目標づくりに取り組むことにした。
具体的には、2015年12月にキックオフ的な集いを行った後、2016年1月から12月にかけて、一年間で計10回の目標づくりの市民ワークショップを開催した。ワークショップでは、SDGsを参照しつつ北海道の地域性も加味した9つのテーマを設定、各回テーマに関わる実践者や研究者をリソースパーソンとして招き、その発題を参考にしながら各々の参加者が自分の考える北海道の地域目標を出し合った。選定した9つのテーマは、① 貧困と格差、② ジェンダー/マイノリティ、③ 労働と雇用/消費と生産、④ エネルギー、⑤ 気候変動/海洋資源、⑥ 北海道と先住民族、⑦ 生物多様性、⑧ 国際協力と平和、⑨ 質の高い教育/ESD、である。この一連のワークショップの成果は、冊子『SDGs北海道の地域目標をつくろう』(A5判48ページ、2017年3月発行)にまとめ、各関係団体などに配布した(注2。
SDGs北海道の地域目標づくりワークショップの様子
ところで、「遊」で日常的に行っている講座のテーマは、国連が提唱するSDGsと重なり合うものが多いものの、より具体的な、地域における個別の社会課題を主に取り上げている。とりわけ、アイヌ民族をめぐるテーマは、北海道に暮らす私たちにとっての重要なテーマとして毎年欠かさず連続講座を組むようにしてきた。それゆえ、北海道で「持続可能な開発」を進めていく上で、先住民族の視点と参画は欠かすことができないというのが、私の基本スタンスである。しかし、一般に日本の中では、「持続可能な開発」を論じる際に先住民族をめぐる課題が視野に入ることは少なく、北海道ですらもそうであるのが現状であった。
地域目標づくりワークショップの成果をまとめた冊子が好評だったこともあり、翌年にその続編をつくることを考えていたが、どのようなものにするのかは決めかねていた。本来であれば、ワークショップの成果をさらに整理・分析してまとめるのが筋ではあったが、ワークショップ自体が実験的な試みでもあり、無理に完成形にまとめるよりも別のアプローチを試みたいと考え作成したのが、冊子『SDGs北海道の地域目標をつくろう2「SDGs×先住民族」』(A5判60ページ、2018年3月発行)である(注3。
この冊子は、SDGsの17目標すべてに沿った形で、日本の先住民族であるアイヌ民族の歴史や現状、課題や目標を紹介したものである。冊子を作成してみて改めて感じたことは、先住民族が抱えている課題がSDGsのあらゆる目標と無理なく結びつくということであった。また、「誰一人取り残さない」という基本理念のもと、SDGsでは「脆弱な人々」に特に焦点が当てられているが、先住民族の視点からはその「脆弱さ」には歴史的・構造的な原因があることがよく分かり、SDGsに取り組む上で、こうした背景に踏み込むことの重要性が確認できる成果物になったと思う。
SDGsは、企業や自治体にも一定の広がりを見せており、異なるセクター間をつなぐ共通言語となりつつある。しかし、それは必ずしもSDGsの捉え方や課題解決へのスタンスが共有できているということではなく、むしろ同床異夢であることのほうが多い。最後に、私なりに考える市民社会の一員としてのSDGsとの向き合い方を紹介したい。
NGO/NPOによる地道な課題解決の取り組みは、もともとSDGsを含む2030アジェンダが掲げているビジョンや目標と親和性が高い。国連が提唱する世界共通の普遍的な目標として行政や企業にも受け入れられやすいSDGsを後ろ盾にしつつ、具体的かつ切実な社会課題に行政や企業が目を向けるよう促し、課題解決の動きを促進させたい。
SDGsでは、17の目標や169のターゲットに注目が集まりやすいが、私が日本社会で何より採り入れてもらいたいのは、2030アジェンダの宣言部分に書かれているような脆弱な立場に置かれている人々の権利を第一に考える基本姿勢である。SDGsを取り上げる際には、何よりもまず人権、人間の尊厳という基本精神の反映を旨としたい。
SDGsでは未来のあるべき姿から現在をみつめ直すバックキャスティングのアプローチが前提になっている。しかし、同時に忘れてはならないと思うのは、未来を描く際に、過去ときちんと向き合うということである。北海道ではいま、北海道命名150年ということで様々な記念事業が催されているが、明治期の開拓・殖民政策から戦後の開発政策に至るまでの北海道の「開発」の歴史を反省的に検証することなくして、北海道の「持続可能な開発」の姿を描くことはできないだろう。
SDGsにおいては、様々なセクター間のパートナーシップや協働が強調されている。しかし、心しておきたいのは、政府や企業と市民の関係にしろ、主流社会とマイノリティとの関係にしろ、非対称な力関係のもとにあり、そもそもが対等な立場ではないということである。とりわけ、全体の調和や場の空気が重んじられ、異なる意見に対する寛容度の低い日本社会においては、そうした非対称な力関係の自覚が重要であるように思う。SDGsへの注目の一方で、メディアや教育現場を含めて、自由な表現行為に対する規制や圧力はむしろ強まっている。私たちにとってまず必要なのは、市民一人ひとりが個人として自由に意見を交わし合えるスペースを拡充し、市民社会の力を強くしていくことであろう。そのことが実は、SDGs達成に向けての一番の課題なのではないかと思う。
注1:さっぽろ自由学校「遊」(ウェブサイトhttp://www.sapporoyu.org/)
注2:さっぽろ自由学校「遊」のサイトの「発行物紹介」のページからダウンロード可能
https://drive.google.com/file/d/0BzBkodx0Gg_nYVhqLVRkU3JaVlU/view
注3:さっぽろ自由学校「遊」のサイトの「発行物紹介」のページからダウンロード可能
https://drive.google.com/file/d/1fsTF7F5lxweTY-mUinEYZ7RMaYLO19Je/view