肌で感じた世界
ずっと前のことだが、就職した時、有給休暇というものがあることを知った。年間21日の休暇が規則で決められていたから、まずまずの制度である。ところがこの休暇がなかなかとれない。上司がいい顔をしないのだ。仕事がべらぼうに多く、誰かが休むと、他の人がその分を引き受けねばならない。先輩には、入社以来、休暇をとったことがないと自慢顔で言う人もいた。わたしの権利闘争は、まず有給休暇をとるという初歩的なところから始まった。
わたしはこの10年余り、夏をフランスで過ごすことにしているが、フランスで驚いたのは、夏休みが長いことだった。もともと仕事熱心でない人が多い、といえばそれまでだが、自分の権利をしっかり守り、他人の権利も尊重するという姿勢が徹底しているから、バカンスで休むといえば、フリーパスである。
2018年はフランスのリヨンで三軒長屋のひとつを借りたのだが、隣人は夏の間、ほとんど家を締めてバカンスに出かけていた。夏のバカンスは4週間とるのが通常だという。隣人は4週間に加えて、5月に子どもが生まれたことから父親がとれる出産休暇の2週間と合わせて6週間のバカンスにしたのだ。
バカンスの歴史は1936年の人民戦線の時代に始まる。それまで富豪しかとれなかったバカンスを労働者階級にも、ということで、社共連立のレオン・ブルム内閣が2週間の有給休暇制度を設けた。60万人の労働者がその恩恵を得たといわれる。1956年には社会党員ギー・モレの主導で、休暇が3週間に延長された。これは議会で満場一致で決まった。1968年の5月革命の翌年には、また満場一致で4週間に延長された。そして社会党のミッテランが大統領になった翌年の1982年、バカンスは5週間になった。
法律に先行して、独自に休暇制度を設ける企業やグループもある。2004年、小売大手のカルフール社やホテル・レストラン関係会社は6週間の休暇制度を労使で合意した。日本では法律で最低14日となっているが、実態は年に7日の取得にすぎないという。えらい違いだ。
勤め人だけが休暇をとるのではない。町の肉屋もお菓子屋も美容院もみんな休暇をとるのだ。それも1ヶ月はお休みだ。例えば、近くのパン屋には、次のような張り紙がしてあった。
「わたしたちの素敵なお客さんたちにお知らせします。あなた方のパン屋は7月14日から8月15日まで閉めることにします。では、よいバカンスを!」
そんなに休んで大丈夫かなと心配になるが、それでちゃんと商売ができているのだから結構なことである。「日本では学校の先生が夏休みも毎日学校に行かなくてならない」というと、信じられないといった顔をされ、「休みに学校へ行って何をするのだ」と逆に問われる。フランスでは夏休み中、学校は閉鎖されている。バカンスに行けない子どもにはさまざまな活動が提供される。子どもは親以外の大人と長い時間を過ごす機会が多いのだ。スポーツクラブ、林間学校、海浜学校といった活動があり、資格を持った青年が子どもを指導してくれる。
2018年の夏にバカンスに行ったフランス人は69%にのぼり、2017年に比べて4%増という調査結果が出た。ヨーロッパで最高の比率だ。そのうち43%がスペイン、イタリア、ポルトガルなど国外旅行に出かけ、家族当たりの平均予算は1,993ユーロ(約26万円)だったという。
それでもバカンスに行けない人もいる。そんな子どもたちを支援するポスターを街で見かけた。浜辺で遊ぶ子どもたちの写真のコメントには「1936~2016年、有給休暇が法律で決まってから80年、3分の1の子どもがバカンスに行けないでいる」と書いてあった。
「3分の1の子どもがバカンスに行けない」としたポスター
フランスも日本と同様、平均寿命が伸びて、高齢者が元気だ。平均寿命は男性78歳(日本は79歳)、女性85歳(日本は86歳)である。
フランスの定年年齢は少し前まで60歳だったが、サルコジ政権の時代に延長され、62歳になった。マクロン政権はさらに67歳まで定年を延長しようとしている。日本では定年延長を歓迎する声が多いが、フランスでは圧倒的に反対の声が多い。ふだんから趣味を持ち、ボランティアをしている人が多いから、定年になって自由に行動できることを心待ちにしているのだ。
フランスの年金制度は複雑で公務員、国鉄職員、サラリーマン、農民など多岐にわたっている。支給される年金は、平均で月に1,750ユーロ(約228,000円、2015年)といわれる。それでも物価の上昇に比べて、年金の伸びは少なく、今年(2018年)60歳になる自営業者は、仕事を辞めたいが、年金だけでは生活できないので働き続けざるを得ないと言っていた。
フランスも日本と同様、大企業はその利益を労働者と分かち合おうとしない。新聞「ユマニテ」によれば、2017年のフランスの主要40社の利益は950億ユーロ(12兆円)で、その分配は、株主に67.4%、再投資に27.3%に対し、従業員には5.3%しか渡っていないという。
マクロン大統領が2018年夏に「社会保障に金を使いすぎる」と発言したこともあり、政権に対しては「金持ちのための政治だ」との批判も根強い。
ヨーロッパではこのところ、移民の問題が議論になっている。中東やアフリカの戦争、内紛で難民が出て、地中海を越えて、ヨーロッパに向かう人が急激に増えたのだ。そして移民排斥を主張する人たちが選挙で票を得るようになってきた。イタリアでは移民規制を唱えるポピュリストの党と右翼の連立政権が成立し、移民の受け入れをやめた。このため、スーダンなどの移民600人あまりを地中海で救出した「国境なき医師団」などが運営する船がイタリアに入港できなくなった。マクロン大統領はイタリアを「冷徹で無責任」としながらも、フランスに入港させようとしなかった。結局、スペインの社会党内閣が受け入れを決めた。
街で見かけた移民歓迎のポスター
フランス政府の一貫しない立場に対して、支援グループは、積極的に難民を受け入れる活動を進めている。街には、「難民のみなさんを歓迎します」と書いたポスターが見られる。
2018年、フランスでは、ビザなしに入国した移民を支援した市民が逮捕されるという事件が起きた。イタリアとの国境に近いフランスのオリーブ農家のセドリック・エルさんらが難民200人を自宅にキャンプさせたりしたことが罪に問われたのだ。
フランスでは対価を得て、「不法移民」に食事や宿泊場所、車などを提供することは禁じられている。もともとブローカーを規制するための法律だが、裁判所は支援グループにも適用した。
一審のニース裁判所は、エルさんら2人に3,000ユーロ(40万円)の罰金判決を出し、エクサンプロバンスの控訴院は4ヶ月と2ヶ月の禁固刑(執行猶予付き)という一審より重い判決を出したのである。控訴院は有罪の理由として「活動家としての対価を得た」と理由づけた。
一方、フランスには憲法に違反するかどうかを判断する憲法評議会があり、支援団体らが提訴した。憲法評議会は7月、人道目的で移民を助けるのは自由であるとの判断を出したのである。憲法評議会はフランスの憲法に書かれた「友愛」をあげ、「立法者は公共の秩序を守ることと友愛の原則の両立を図らなければならない」とし、「人道的な目的から、我が国の領土に滞在する合法性を考慮することなしに、他人を助ける自由がある」とした。つまり、ビザを持たない移民に対して宿泊や食事を提供したことを罰するのは憲法違反だとしたのだ。
「自由・平等・友愛」の精神は生きている。