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国際人権ひろば No.143(2019年01月発行号)

肌で感じた世界(アフリカ)

ガーナ滞在記

佐藤 芙優子(さとう ふうこ)
慶應義塾大学看護医療学部1年

 きっかけ

 私は、2018年の8月6日から9月19日までガーナのクリニックでインターンをしていた。

 私がガーナに渡航をしたきっかけは、高校1年生の時に経験したフィジーへの留学で出会った親友が10代で妊娠・出産し高校を退学したことだった。彼女には教師になりたいという夢があったが、若くして母親になったため今も夢を叶えることが難しい状況にいる。彼女のことがきっかけで、途上国では先進国に比べて若くして母親になるため夢を諦めないといけない女性がたくさんいること、出産時における母子の死亡率が高いことを身近に感じるようになった。そして助産師になろうと決めた。

 そんな時、AIESEC(アイセック)が運営するインターンシップに出会った。ガーナのクリニックで6週間、現地の女性に寄り添って彼女たちが抱えている現状やニーズを知りたいと思い、ガーナへの渡航を決断した。

 ガーナでの生活

 ガーナと聞くとチョコレートをイメージする人が多いのではないだろうか。ここで、少しだけガーナについて説明したい。ガーナは1957年にイギリスから独立したアフリカ諸国としては初の独立国である。ガーナは多民族国家であり、公用語は英語だが、よく使われている言語としてチュイ語、ハウザ語、ガ語などがある。国民一人当たりのGNI(国民総所得)は1380米ドル(2016)である。一方で、医師と看護師は少ないため、医師1人当たりの人口は11,929人(2009)で、看護師1人当たりの人口は971人(2009)であり、医療の質も高くない。

 首都のアクラからバスで5時間ほど行ったところにある第二の都市クマシに6週間滞在した。クマシは大阪に似た感じで、人懐っこい人が多く治安も安定していて、過ごしやすい場所だった。現地アイセック支部がシェアハウスを持っており、そこで、オランダ、ドイツ、カナダなど10カ国ぐらいから来ているインターン生と現地のアイセックメンバーと一緒に過ごした。

 医療のプロジェクトに参加しているインターン生は医学生がほとんどで、その日にあったお産やガーナの医療事情について語り合った。また、週末はみんなでよく観光に行った。

 アイセックは、第二次世界大戦後に、世界中の人が友達だったら戦争は起きなかったのではないか、という思いから設立された。今回ガーナで過ごしたことで、世界中に大切な友達がたくさんできた。彼らとの出会いや彼らから学んだことが、今後の私の人生の道しるべとなっていくことと感じている。

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同期インターン生と行ったアートのフェスティバルで

 クリニックでの日々

 クリニックでは、主に妊婦さんの血圧や体重、体温を測定し母子手帳に記録する作業や、手で胎児の頭の位置と子宮口を確認しながら胎児の成長を把握したり、トラウべ(筒状の聴診器)で胎児の心拍音を聴いたりといった妊婦健診をしていた。また、お産にも立ち会わせていただいた。

 大学で看護を勉強して3ヶ月だったこともあり、初めは聴診器の向きすら分からなかった。そんな何もできない私をクリニックのスタッフが、「ふうこ、おいで!(私が出来ないと言うと)言い訳しないでほしい。僕は君に挑戦してほしいんだ。僕が隣で見ているから」と優しく受け入れてくれたことが何よりも有り難かった。

 また、私がインターンをしていたクリニックは貧困地域にあり、クリニックに来る妊婦さんには英語が通じなかった。クリニックのスタッフに簡単なチュイ語を教えてもらいながらコミュニケーションをとっていた。

 出産に立ち会った経験

 生まれて初めて出産に立ち会った。お産を見させてもらう度に自分は将来どんな医療者になりたいのか考えさせられた。初めて立ち会ったお産は、特に衝撃的だった。いつものようにクリニックに行くと、もう3日も陣痛が続いているという妊婦さんが待合室にいた。朝からクリニックのスタッフに「今日こそはお産に立ち会えるわよ!」と言われていたので、お産を一緒に待つことにした。妊婦さんは英語が話せなかったが、付き添いで来ていた妹さんが話せたので妊婦さんの日常生活について色々とお話を聴くことができた。普段は食べ物を売って生活をしており、パートナーは運転手だという。ガーナでは、食べ物を売っている人や運転手の給料はとても安い。彼らの生活は「貧困」と隣合わせにあることを知った瞬間だった。

 このお産は、最終的に陣痛促進剤を使ったお産になった。初産婦さんだったこともあり、力み方が分からなかったため、助産師さんが「どうして私の言っていることが分からないの!」と妊婦さんの脚を叩いて怒っているのを見て、衝撃を受けた。自分が理想としている助産師像とかけ離れており、生む力に寄り添うとはどうことなのか初めて自分自身に問いかけた。

 自分はどうして今ここにいるのか?これから何をしていきたいのか?どんな人でありたいのか?これらの答えを助産師として見つけていきたい。

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トラウベで胎児の心音を聞く筆者

 死産に立ち会った経験

 渡航前は「現地の医療者の質が低いから、途上国では出産時における死亡率が高い。だから、将来は現地で助産師を育成することで持続可能な支援がしたい」と考えていた。しかし、滞在期間中に死産に立ち会った経験が、そんな私の考えを大きく変えることとなった。

 それは、ある日のクリニックでの出来事だった。病室に入ると、助産師さんが妊婦さんのお腹を一生懸命に押していた。胎児は、お腹の中で既に死んでいるとのことだった。そうしているうちに、胎児と胎盤が出てきて、妊婦さんは一命を取り留めることができた。

 このお産の後、立ち会った助産師さん2人が真剣に死産になった原因を考えていた。確かに先進国に比べると衛生面も悪いし、医療器具も揃っていない。しかし、そんな環境の中でも彼らなりのやり方で、命と向き合っている姿から本当に多くのことを学んだ。その真剣に向き合う姿を見たとき、「問題は、現地の医療者の質ではないのでは?」と思うようになっていった。

 支援とは

 滞在中に、青年海外協力隊員として活動している助産師さんがいる北部の地域に見学に行った。普段インターンをしているクリニックでは見ることのできないNICU(新生児集中治療室)で、ユニセフが提供した保育器で頑張って生きている赤ちゃんを見た。「これが支援なのかもしれない」。保育器がなかったら亡くなっていたかもしれない命が助かっているのだ。

 別の病院では産科とNICUを見学させてもらった。たくさんの支援により想像以上に物が揃っており、新生児蘇生のプログラムが導入されていた。しかし、高額の機械が使われることなく放置されていたり、研修後のケアが不足していたりと、それらが機能していない現状もあった。「支援って何なのだろう?」。また、問いが宿った。

 6週間過ごしてみて、現地の人に必要なことは、「自立」だと思うようになった。援助により一方的に医療器具を与えるのではなく、彼らが必要だと感じた物を自分たちの力で購入することができる支援をすることや、万が一故障しても、自分たちで修理できる技術を持ってもらうことが大切だ。支援とは、現地の人、一人一人が持つ「力」を引き出すサポートをすることではないだろうか。私は、将来そういうことができる人になりたい。

 

 このガーナ渡航で実際に臨床経験をさせてもらって一番心に残ったことは、限られた医療環境の中でも、人々の命と真摯に向き合うクリニックの人たちの姿だった。彼らの姿から本当に多くのことを学んだ。私も将来、彼らのような医療者になりたいと強く思った。また、医療者として平和で人々の可能性が最大限発揮される社会の実現のために貢献しようとも決めた。

 そのためにもまずはしっかりと勉学に励み、助産師の資格を取りたい。そして、日本で経験を積んでから、国際機関で働くことを望んでいる。現地の人と共に歩んでいくために。

 

注:

アイセックとは、1948年にオランダの若者によって設立された世界126の国と地域で活動する世界最大級の学生団体で現在日本にも25校の団体に支部がある。学生自身が海外インターンシップを運営することで次世代のリーダーを輩出し、平和で人々の可能性が最大級発揮された社会の実現を目指している。