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国際人権ひろば No.144(2019年03月発行号)

特集 世界人権宣言誕生から70年 -ジェンダーの視点から複合差別を語る-

在日朝鮮人女性に対する複合差別と差別解消の課題

金 友 子(きむ うぢゃ)
アプロ・在日コリアン女性ネットワーク、立命館大学国際関係学部教員

 複合差別と在日コリアン女性の「生きにくさ」

 私は「アプロ・未来を創造する在日コリアン女性ネットワーク」というグループで活動している。アプロとは朝鮮語で「未来へ、前へ」という意味で、アプロ女性ネットは、国籍にかかわらず朝鮮半島をルーツとする在日コリアン女性が、主体的にみずからを力づけ、よりよいアプロ(未来)をめざすために立ち上げられたグループである。日本社会で周縁化され不可視化されている、見えない存在にされている在日コリアン女性の姿を「見える」存在にするために、実態調査を行なおうと2004年前後に結集した。そして2004年に初めての「在日朝鮮人女性実態調査」を実施した。私が参加するようになったのは第一回調査から約10年が過ぎた2015年、アプロ女性ネットが第二回調査に着手しようとしていた時である。調査の目的は、変化する日本社会の中での在日朝鮮人女性を取り巻く現状を明らかにするためだった。

 この間の情勢変化として大きかったのは、嫌韓やヘイトスピーチにみられる日本社会の排外主義の高まりである。そのような日本社会で生きていくなかでぶつかる壁や、感じるモヤモヤを「生きにくさ」とし、その根源に、日本社会における植民地主義に起因する民族差別と、日本社会および民族コミュニティ内部の女性差別という複合差別があると仮定した。

 複合差別とは、いくつかの差別が結びついて起きる差別のことである。さまざまにある差別の形態のうちの一つではあるが、特徴がある。一つは、複合していることで見えにくくなり、被害が解決しにくくなるという点。もう一つは、単一の差別とは違う程度と、違うあり方で、特別な影響を及ぼす点である。複合差別の様相を明らかにすることを課題として「アプロ第二回在日コリアン女性実態調査―生きにくさについてのアンケート」が実施された。

 調査の概要

 アンケートは満18歳以上の日本に居住する在日コリアン女性を対象に実施した。ここで言う在日コリアンとは、国籍にかかわらず朝鮮半島にルーツをもち日本に居住する人である。通常、「在日」というと日本の植民地支配の結果として日本居住を余儀なくされた人々とその子孫に限られ、いわゆるニューカマーは含まれない場合が多いが、今回の調査ではニューカマーを含めることにした。この「誰を対象とするか」すなわち「在日コリアン(女性)」とはいったい誰のことなのかについてはメンバー間でも様々な考えがあり、多くの議論が重ねられたが紙幅の都合で省略する。

 調査は2016年1月から5月まで、アプロ女性ネットのメンバーが知人友人、親族に呼びかけ、関連団体の協力を得て、約2000部の質問紙を配布した。有効回答は888名分、年代は10代から70代までと幅広く、多様な女性たちが回答を寄せてくれた。

 調査結果から

 調査項目は、属性、教育、雇用と労働、家庭生活、女性への暴力、ヘイトスピーチ、差別について、その他自由記述の8分野であった。今日はそのなかでも、差別の経験について記述してくれた部分を見ていきたい。

 まず、学校生活での差別体験である。日本の学校に通っていた人のうち、差別の経験がある人に任意でその内容を記述してもらったものを、年代順にみてみる。

 言葉の暴力、つまり揶揄やからかい、特に「チョーセン」と名指されるのは40年代から70年代くらいまで、「帰れ」と言われるのは現在に至るまで一貫してあり続けている。身体に対する暴力として、70年代までは石を投げられたりする経験がある。80年代頃から少しずつ内容が変わってきて、日韓関係、日朝関係の悪化を反映した「からかい」が出始める。仲間外れにする、距離を置く、といった行為も見られる。その行為者を見ると、同級生や近所の子に加えて、教師や同級生の親といった大人たちもいる。ここでは二つのことに注目しておきたい。第一に、「同級生男子」と回答している事例が何件かあること。わざわざ「男子」と書いている。第二に、「何も悪いことをしていないのに叩かれたり注意された」「朝鮮人だから気が強いと言われた」(どちらも60年代の事例)、「韓国人だから性格がきついと陰口された」(2000年代)という事例である。

 次に、民族名の使用と差別の経験を見てみよう。1960年代から現在に至るまで、入居差別、アルバイトを含む就職差別がまんべんなく見られる。名前を日本語読みにするよう言われたり、日本の名前を使うように言われたりといった事例も一貫して存在する。また、友人や職場の同僚・雇用主など周囲の侮蔑的な態度や、顧客に拒否されたり避けられたりといった事例もある。

 複合差別という視点

 ここには女性差別の事例を直接は挙げなかったが、民族差別の事例にジェンダーが作用していないわけではない。

 「同級生男子」からの揶揄や暴力、何もしていないのに叱責される、「朝鮮人だから気が強いと言われた」という事例に戻ってみよう。

 同級生男子からの攻撃、何もしていないのに叱責されるというのは、攻撃者から見て、女性・朝鮮人はターゲットにしやすいということの現れであると考えられる。朝鮮人だから、しかも女性だから、標的にされるのである。学校でクラスをまとめようとするような行為をしたとき、「朝鮮人のくせに偉そうにするな」と言われた事例があった。出る杭は打たれる、のであるが、対象が女の場合は「女のくせに」ということで余計に打たれるのである。2000年代のヘイトスピーチをめぐって、大阪で李信恵さんが、神奈川で崔江以子さんが酷い攻撃を受けていた。李信恵さんのケースは裁判で複合差別が認められた画期的な判決が出たが、攻撃の内容だけでなく、攻撃の対象となることそのものに、複合差別が与える特別な影響、すなわち人種差別が女性にのみ、男性とは異なる形で及ぼす影響を見出すことができるのではないだろうか。

 また、「朝鮮人だから気が強いと言われた」という発言の裏には、「日本の女性はそうではない」、控えめで慎ましやかな大和なでしこであるというイメージが透けて見える。女性はそうあるべきだという女性役割の押し付けである。私もかつてこう言われた。「あなたがモノをはっきり言うのは韓国人だからですか?」。いいえ、研究者ですので、職業柄です!(と言いたかったけれど、茫然としてその場では言えなかった。)

 どちらも「朝鮮人」であることが引き金となっているがゆえに、性差別が見えにくくなっている点で、一つの差別を問題化するときに他の差別が見えなくなっている事例である。そしてこれを問題化しようとすると、「やっぱり朝鮮人は気が強い」(あるいは「気にしすぎ」「怒りっぽい」)として、ステレオタイプを強化してしまうことになる。

 複合差別の解消のために

 最後に、複合差別の解消のために、何をすべきかについて3点、問題提起をしたい。第一に、調査が必要である。これは国連女性差別撤廃委員会でも何度も勧告されているとおりであるが、日本にはマイノリティ女性に対する実態調査がない。外国人に対する調査も、性別での集計を出していない。国がきちんとやるべきである。第二に、分析手法の確立である。複数の要素が合わさるとはどういうことなのか、一つの差別事象を見るのか、ある個人の一生涯を見るのか、マジョリティ女性との比較や男性との比較なのか、比較からはわからない「特殊性」を見るのか。より良い解決策を導き出すために、分析の仕方を発展させていくことは重要であろう。第三に、歴史的・社会的文脈の重要性を挙げたい。在日コリアン女性の場合は、他の外国籍住民と違って植民地支配の歴史があること、また、そもそも見えない(見た目にわからない)マイノリティであることなどを踏まえて、差別や排除の問題を考えることが必要である。