特集 世界人権宣言誕生から70年 -ジェンダーの視点から複合差別を語る-
「オレが何者かは、オレが決める」
年末に観た映画「ボヘミアン・ラプソディ」の中のQueenのボーカル、フレディの言葉だ。
自分のルーツとセクシュアリティのことで孤独感を感じていたフレディ。
その姿は「被差別部落をルーツに持つこと」と「トランスジェンダーであること」の中で「じぶん」とはなにか?に向き合ってきたボク自身と重なった。
兵庫県にある被差別部落に生まれ育ち、部落差別をなくすため活動してきた。現在は地元を離れ地元での活動はしていないが、どこにいてもボクの中では大切な活動だ。ボクにとってこの活動「部落解放運動」は生まれた時から生活に密着しているものだった。運動の中で建てられた住宅に住み、地域の保育園・小学校に通い、ゼッケン登園・ 登校をし、学校が終わると毎日、解放児童館に通っていた。
部落差別はその地域や、地域に住んでいる人に責任があるのではなく社会が作り出したものであるということを、地域そして教育の中で知っていった。
ボクは「女性の身体のかたち」で生まれてきたため、女の子として育てられる。そして、家では長女・お姉ちゃんとして存在し、学校では女子として存在していた。
そんなボクには、小学生のころから誰にも言えない3つの秘密があった。
1つ目の秘密、それは、身体のことだった。この身体はボクの身体ではないという確信があった。「ぼくは男なのに」といつも思っていた。2つ目の秘密は、名前のこと。ボクには女の子としてつけられた名前がある。でも、ボクは自分の部屋ではもう一つの名前の「つばさ」で「男の子」として生活していた。3つ目の秘密は恋愛対象のことだ。ボクは4年生の授業で、ボクの身体は「女性の身体」、もう一方の身体は「男性の身体」だとして教えられ、誰もが異性を好きになるということを習った。その授業によると、ボクは「女性」で「男性」を好きになるはずだが、ぼくが恋愛対象として好きになる人は「女性」として存在している人だった。
この3つの秘密については、同じようなことを思っている人に出会ったことがない、教科書にも授業にも出てこない。ボクは世界でたった一人変な人だ。そしてこのことを誰かに知られたら、絶対に笑われる、おかしいって言われると思っていた。だからこの秘密を誰にもばれないように生きていこうと決めたのだ。
中学、高校、大学は女子として学校に通い、就職先でも女性の保育士として働き始めた。
ボクが就職した保育所は、子どもの人権や様々な人権課題について研修もあり、ともに考えられる先生たちがいた。でも、休憩時間には「田中ちゃん、ええ子やなぁ。うちの息子の嫁に来てほしいわぁ」。こんな会話が当たり前。そんな中で、ボクは「やっぱり女性として生きないといけないんだ」といつも突き付けられているようだった。
今のパートナーと職場で出会い、いつでもどんな時でも子どものところに立って考える彼女に3つの秘密について話したことをきっかけに、自分がどう生きていくのか、どう生きていきたいのかを考えるようになる。その中で「性の多様性」について知る。
ひとは①生物学的性、②性自認、③性表現、④性的指向の4つの要素を表して生きている。性が多様であることはとても自然なことであり、すべての人の性のありようは尊重されるものであることを知った。ボクが「あたりまえ」と思っていた「身体の形でひとの性は決まる」「すべてのひとが異性愛である」とは全く違っていた。それでも「自分はおかしいんだ」というところからなかなか抜け出せなかった。
そして、ボクにはある疑問があった。ボクが育った環境は人権がとても大切にされる環境だったと思う。ボクが活動してきた部落解放運動やボクが受けてきた人権教育の中で、なぜ「性の多様性」について知ることができなかったのか?そして、なぜボクと同じような人に出会うことができなかったのかという疑問だ。
いまから10年ほど前、京都の高校の先生で、トランスジェンダーである土肥いつきさんと出会った。いつきさんは、学校で被差別部落の子どもや在日コリアンの子どもたちと出会い、その子どもと周りの子どもたちとともに人権について考える取り組みをしている先生だ。いつきさんが、ボクの生まれ育った地域で、自分自身のセクシュアリティについて考えてきたこと、悩んできたこと、家族のこと、性の多様性について話をしてくれた。ボクは聞きながら、自分と重ねたり、自分自身について考えたりしていた。そして、人権教育を大切にしていた大人の中にも、ボクと同じような人がいたことがわかった。
また、ボクの生まれ育った地域では、部落差別のため好きな人と結婚できなかったり、結婚するときに部落差別にあったりする人たちが多くいる。そんな中で子どもや孫たちが好きな人と結婚できることが、ボクの地域の人たちにとっては「幸せ」のカタチなのだ。なので、子どもや孫に、そして地域の若い子たちに「彼氏できたんか?」「彼女できたんやなぁ」「結婚まだか?」といった声は日常的に聞かれた。厳しい部落差別を受けてきた人たちが、地域の子どもたちの「幸せ」を願っての声だということをボクはよく知っている。差別と闘うためにできたコミュニティのつながりの強さの中から生まれた「愛あることば」なのだ。
人権教育がされてきた学校でも、そしてあの大切な人権運動の中でも、いたけど、「ここにいる」と言えなかった人がいたのだ。「ここにいる」と言えない環境がそこにはあったのだ。ある性に対しての偏見や差別があったから、その人たちはいないものとされ、ボクは出会うことができなかったのだ。ボクの疑問は少しずつ解けてきた。
2015年に立ち上げた「にじいろi-Ru(アイル)」では、4歳~中学3年生の子どもたちに出前講座をしている。子どもたちが、いろんなセクシュアリティのともだち、いろんな家族と出会う中で「あたりまえってなに?」ってことを考えたり、自分自身について考えるきっかけになることを目的とした講座である。
その講座の中で「男の子です。男の子が好きです」「ぼくは、お母さんとお母さんとぼくの3人家族です」という友だちが出てくると「きもちわるい」「おかしいと思う」「ふつうは、男の子は女の子を好きになるもんや」などいろんなことを子どもたちが言う。
子どもたちが持たされてきた、ある性に対しての偏見を、目の当たりにする度に「ぼくが子どもの頃もきっとこんな風な言葉が飛び交っていたんだろうなぁ。こんな中で自分のセクシュアリティについて言えるはずがないなぁ」と思う。
自分の「あたりまえ」と、隣にいる友だちの「あたりまえ」は、違うこともあるということ、その違いによって否定される人は一人もいないということを伝えたい。
すべての子どもたちが「性の多様性」を知ったうえで「自分は何者なのか?」「どう生きていきたいのか?」と考えていくことが大切だと思っている。
その人がその人であるために大切なものは、セクシュアリティを含めきっとその他にもいろいろある。そして、その人が何者なのか、何を大切にどう生きていきたいのかは、誰かに決められるものではなくその人が決めるものだと思うからだ。
部落にルーツに持つという共通点でつながったコミュニティの中で、セクシュアルマイノリティであること、トランスジェンダーであることを理由に排除されるかもしれないという不安はきっと幼い頃からボクの中にあったに違いない。特にボクのようにコミュニティのつながりが強い地域で育つとその不安はより増すのかもしれない。
「部落をルーツに持つこと」と「トランスジェンダーであること」、このふたつのマイノリティ性が複雑に絡み合い、ボクの中の大切なことに蓋をさせたのだ。
今、ボクはその蓋をはずし、ボクの大切にしたいものを大切に生きたいと思っている。
ボクも、フレディのように「じぶん」を生きたい。