特集 世界人権宣言誕生から70年 -ジェンダーの視点から複合差別を語る-
親族の集まりで「彼氏はいるの?」「子どもは何歳までに産みたい?」と、同年代の親戚の女性たちは質問されるが、自分の順番が来たらスルーされるという経験を、友人の障害女性たちは口をそろえて語る。私も障害のない時は周囲から同様の質問をされ、20代後半になると、早く結婚しろと言わんばかりのプレッシャーを与えられてきたが、30代半ばで障害者になると途端に言われなくなった。肩の荷が下りたような、だがどこか寂しいような、もう「女性ではない」と言われたような気もした。
盲学校に通う男女カップルが男性側の母親に、「盲の嫁では自分の代わりに息子のケアができない」という理由で結婚を反対されることがあるという。
障害男性が障害のない、または軽度障害の女性と結婚している例は多々ある。それは固定的性別役割が影響していると考えられる。そして障害があっても、その役割を期待され、身体に無理をして家事や育児に奮闘している障害女性も少なくない。しかも障害があるからできないと思われたくないという気持ちから、より完璧をめざして頑張ってしまう。
私自身は「障害児が生まれるリスクが高い」「障害があるので育てられない」という2つの理由で、医者と親族から中絶を勧められた。当時すでに視覚障害があり、40歳の妊娠で高齢出産となるからだ。そんな自分のお腹にいるというだけで、生まれてくることを歓迎されないわが子と、障害のある自分と両方の存在を否定された気持ちがして、とても悲しかった。
何とか生んだものの、育児の過程で様々な障壁がある。例えばガイドヘルパー制度は自分の外出のみで、保育園の送迎には使えない。つまり障害のある人が子どもを持ち、育てる事が想定されていないのである。
そういった障害女性の声を集めてまとめ、課題を可視化したのが『障害のある女性の生活の困難~人生の中で出会う複合的な生きにくさとは~複合差別2012年実態調査報告書』(DPI女性ネット発行)である。
女性であること、障害者であることにより受ける差別、それは複雑に絡み合っているため、一方の視点からでは気づきにくく、本人や周囲からも見えにくい。故に可視化困難で、解決されない。性のない存在とされながら、その性を搾取されている現実や貧困、当たり前の社会サービスにすらアクセスできていないことが見えてきた。
例えば病院や施設、家族から異性介助を受ける中で、あるいはやっと就職できた職場の上司などから性被害に遭っていても、口外してしまうと自分の居場所がなくなるため被害を訴えられない。収入もないためそこから逃げることもできないという。日常の閉鎖的な場で被害が起こっているため、外からはわかりにくい。DVシェルターには物理的バリアがあるため障害者は福祉施設に入所となるが、プライバシーが守られず、その機能を果たさない。相談窓口は電話か面談しかなく、聴覚障害や言語障害のある人は相談にすらたどり着けないこともある。このように障害者施策と男女共同参画施策の谷間に落ちでしまうことにより、救済されないのである。
こうして可視化した課題をもって、2016年女性差別撤廃条約委員会にロビーイングを行い、日本政府に対する勧告を引き出したが、そのうちの一つが強制不妊手術問題である。
DPI女性ネットは、優生保護法の撤廃と障害のある女性の自立促進とエンパワメントをめざして、1986年にゆるやかなネットワーク組織として立ち上げられた。
優生保護法は1996年に「不良な子孫の出生を防止する」という優生条項が削除され、母体保護法に変わったが、被害者調査や謝罪・補償は一切されないままであったため、その後も優生思想は生き続け、また月経介助軽減のための子宮摘出といった、法の目的をも逸脱した手術が続いてきた。
2018年1月30日、宮城県の知的障害のある被害者女性が全国で初めて提訴してから1年の間に、情勢は大きく動いた。2019年1月末現在、全国で18名が提訴している。
この強制不妊手術の被害者は、わかっているだけでも16,475名で、うち女性が約7割となっている。
この問題をずっと以前から訴えてこられた故佐々木千津子さんは、DVD『忘れてほしゅうない』の中で、月経の始末が自分でできない人は施設に入れられないと言われ、痛くも痒くもない手術と聞かされて卵巣への放射線照射を受けた。当時20歳とのことだったが、「月経が妊娠・出産に結びつくものとは知らなかった。わかっていたら手術は受けなかった」と言われていたことに驚いた。彼女は就学免除、つまり障害の重い人は大変だから就学しなくてもいいとされ、性教育さえまともに受けられなかったのである。
このように『障害があると大変だから』という言葉は、一見すると善意とられてしまい、本人ですらそれが差別とはわかりにくい。が、それによって私たちは学校教育から遠ざけられ、子どもを持つ持たないという極めて個人的な自己決定権を奪われ続けてきたのである。
私の親族や医者も、私が苦労することのないようにと中絶を勧めた。
さらに、「自分のこともできないのに産むのは、子どもがかわいそう」「税金の無駄遣い」という批判もある。しかし、そんな言葉が出るのは障害者が子どもと関わることの豊かさを知らないからだと私は思う。大部分の人たちは障害のない人と同様に嫌なことも楽しいことも日々感じながらそれなりに生きている。確かに障害のある家族がいる人が、その将来を悲観して無理心中したといったニュースはよく耳にする。そのような悲劇は「障害」ゆえの不幸とされ、自分達とは関係のない世界で起こったことと捉えられている。
2016年7月に起こった津久井やまゆり園障害者殺傷事件はまさにその象徴だと言える。
娘が幼い頃、自分が伝えたい視覚情報を、よく私の手のひらに書いてくれた。そのうちにひらがなの文字を読み上げるようになり、その時自分ができる限りの方法を駆使して伝えようとしていた。子どもの発想はとても柔軟で面白い。工夫の変化が、彼女の成長を感じさせてくれた。
そしてまた、私と電車に乗った時に見ず知らずの乗客が席を譲ってくれている姿を見てきた。娘と一緒に歩いている時に顔見知りのヘルパーさんに会うと、私の手を放してさっさと一人で走り出していった。「ママを置いていかないで!」と娘に叫ぶと「ヘルパーさんがいるでしょ!」と言われたこともある。彼女を見ていると、私の介護を全て背負って、介護疲れになることはないな、と心強く思うのである。
東日本大震災の時に、『受援力』つまり援助を受ける力があるかないかで、その後の生活に違いがでてきたという。障害のない人も災害に遭った時には援助が必要だが、うまくサポートを得ることができない人たちもいる。だが重度障害者ほど当たり前にサポートを受けて生きているので、そんな障害者が身近にいたら「他者は助けてくれる」「こうやって助けてもらったらいいんだ」ということを自然に身に着けることができる。
2016年4月より障害者差別解消法が施行され、法律の文言にある「合理的配慮」についてよく質問されるが、もし子どもの頃から同じ教室に様々な障害児がいたら、社会に出てから改めて学ぶ必要もないのに、と残念に思う。娘は特段優秀なわけでもなく、思いやりが深いわけでもない平凡な子だが、慣れているのである。
最近は養護学校から特別支援学校と名称が変わったことで、障害者には専門的支援が必要という意識が強まり、より分離が進んでしまっていることを危惧している。
障害女性を単に助けられるだけの脆弱な存在と見るのではなく、脆弱な立場に置かれているだけなのであって、社会の一員としてその性を尊重され、人としての尊厳が守られる社会にしていきたい。