映画で考える人権
経済格差は教育の場に反映する。富める者は高級学校に行けるが、貧しい人は進学できない。格差が拡大、継続しているのは世界共通の問題だ。
70年代後半からフランスでは、「郊外」が大きな社会問題になった。戦後、フランスは移民を受け入れて経済成長を続けたが、オイルショック以後、多くの移民が職を失った。政府は大都市の郊外に団地を作り、低家賃で移民たちを住まわせたが、インフラを整備、補修することを怠り、郊外は荒廃していった。麻薬や暴力や犯罪が増え、学校も荒れた。
「12か月の未来図」はパリ市内のエリート高校の教師が、そうした郊外の中学校に勤務することで直面するさまざまな問題を描く。おそるおそる郊外に来た教師は、燃えた車、たむろする若者の姿を見てたじろぐ。お行儀のいいエリート高校とは違い、ここの生徒は、授業中はおしゃべりか居眠りをしていて、真面目に授業を受けようとしない。書き取りの試験をやらせると、ほとんどできない。アフリカなどにルーツを持つ子どもたちの名前を正確に読み上げるのさえ難しい。主人公の教師は、はじめ威厳を保とうとし、強圧的な態度をとるが、生徒からは無視され、事態は悪くなるばかり。同僚の教師たちの多くも、生徒を「できない子どもたち」と決めつけて、もっと「いい学校」に転勤したいと思っている。
そこで教師は考える。周りからの助言も受けて、今までのやり方は通用しないと悟る。彼はビクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」を子どもたちの身に近づけて話し、本を読ませようとする。生徒の長所を評価し、自信を持たせる。そうした努力はしだいに実り、生徒は積極的に授業に向かうようになっていく。
そんな中で、ベルサイユ宮殿に遠足に行ったときに、生徒がいたずらをして、王の寝室に隠れたことから大騒ぎになり、子どもの退学の手続きがとられる。教師は、事なかれ主義の校長を恫喝するなど、さまざまな手段を使って、生徒の退学を撤回させるのに成功し、生徒も教師を信頼するようになっていく。
この映画の脚本を書き、監督したオリヴィエ・アユシュ=ヴィダルは、9か月間、郊外の学校に通い、じっくり生徒たちを観察したという。子どもたちはみんな素人だが、生き生きと自分たちの日常を演じている。
アルジェリア出身で、ノーベル文学賞を受賞した作家、カミュは、貧困のため進学できなかったが、熱心な教師が家に来て、家族を説得してくれたという話を、オランド元大統領がしたことがある。フランスの価値は平等だとオランドは強調したが、現実は、貧富の差が拡大し、教育の場の格差も甚だしい。
大阪は2年連続して政令指定都市で最低点だったことから、昨年、吉村洋文市長は、学力テストの結果を校長や教師の評定やボーナスの査定に反映させると発言した。こんな成績至上主義は現場の荒廃を招くだけだ。東京では、障害のある子どもをテストから除外する区が出てきた。東北の成績上位県では、テストの前には音楽や美術などを削って、過去問のテストを繰り返すと聞く。
ぼくの中学時代は随分前のことだが、貧困地区があり、荒れた学校だった。窓ガラスはほとんど割れていたし、校舎の屋根瓦を結ぶ銅線をはずして売りに行く生徒もいた。ストーブの横の防火用の銅板を売ったやつがいて、警察が生徒の指紋をとったこともあった。同級生の何人かはヤクザとなり、早死にした。すぐに暴力を振るう教師もいたが、生徒の相談に親身に応じ、共に進路を考えてくれる教師たちもいた。ぼくらがこうした教師から得たものは大きい。
教育に特効薬があるはずがないが、教師を雑務から解放し、生徒一人一人に向き合う時間が必要だ。この映画の教師の悩みは、今の日本の教育現場と共通している。貧困と格差をなくす努力、そして生徒の個性をとらえ、多様な教育をおこなうことが求められている。
「12か月の未来図」(原題:Les Grands Esprits)
2017年フランス/監督:オリヴィエ・アユシュ=ヴィダル/107分/配給:アルバトロス・フィルム
◎公開予定:2019年5月3日(金)~テアトル梅田、5月4日(土)~京都シネマ、5月下旬~シネ・リーブル神戸/配給:アルバトロス・フィルム
©ATELIER DE PRODUCTION-SOMBRERO FILMS
-FRANCE 3 CINEMA-2017