アジア・太平洋の窓
ツバルは、南太平洋にある島しょ国である。人口は約1万人。日本からは、フィジーを経由して行くことができる。9つの環礁から成り、総面積は26km2と世界で4番目に小さな国だ。第二次世界大戦中、ツバルには米軍が駐留し、ツバルの北に位置するキリバスの首都タラワまで南下した日本軍と戦っていた歴史がある。
そのツバルに私が初めて来たのは2007年だった。NGOの一員としてオブザーバー参加していた国連会議で、自分たちの国の存続を訴えるツバルの首相の印象的なスピーチを聞き、実際に行ってみたいと興味を持った。初めてのツバルで離島に2ヶ月滞在し、ツバルの人々の暖かい笑顔や人柄の虜になった。子育てが落ち着き大学院の入学を機に、気候変動と人の移動に焦点を当てた研究を始め、2019年2月よりツバルに長期滞在している。
いま、私は国際空港や政府庁舎など首都機能があるフナフティ環礁に住んでいる。フナフティ環礁は、細長い島がネックレスのように内海を囲んでいる。その中のフォンガファレという島に現在約6,500人(人口の約60%)以上が住んでいる。フォンガファレ島は、南北約10kmと細長く、一番幅が広いところで約800mしかない。平均海抜は3mで、国土はとても狭くて低い。そのツバルの首都に、離島から多くの人が、現金収入と教育の機会を求め移住してきた。その結果、気候変動以外にも、人口増加に伴う様々な社会問題をもたらした。
まず、水である。ツバルでは、生活用水は基本的に雨水を利用している。山も川もないので、真水は雨水に頼るしかない。以前は、海水との比重の差で地下にたまる真水の層を、井戸から組み上げ利用していた。しかし、今は、気候変動による海面上昇の影響により、潮位が3mを超えると地下から海水が染み出す現象が見られるようになってきた。そのため、塩水が地下の真水層に混ざり、生活用水として使えなくなった。ある研究は、環礁国は生活水が確保できなくなり、21世紀末には人が住めなくなると予測している。
ツバルでは、各家庭に政府が設置した1万リットル入る雨水タンクが必ず1つある。これを毎日の炊事、洗濯、トイレやシャワーなどに使っている。だから水は無料だ。4月ぐらいから乾期が始まると、島は水不足に陥る。人口が多いフォンガファレ島では、一世帯あたり、平均9人住んでおり、3週間も雨が降らなければ、雨水タンクは空になってしまう。そうなると、ツバル政府の公共事業部が塩水淡水化装置で作った真水2,500リットルを住民が13豪ドル50セント(約1,000円)で購入し雨水タンクに水を補給する。給水トラックが島に2台しかないため、水不足が深刻化すると、家に来るまで2週間近く待つこともある。気候変動は、水の確保に追い打ちをかける。気候が変化し、雨が降らなくなると、生活水の確保ができなってしまう。
次は、食べ物である。ツバルをはじめ南太平洋の島国では、自給自足の生活が普通であった。今でもツバルの離島にはその生活が残る。人々は、先祖代々受け継いだ土地で、主食のプラカイモ(タロイモより大きい)を栽培し、バナナやパパイアを育てる。豚や鶏を飼育し、海から魚介類、林からはカニや自生植物、そして、空からは野鳥を採る。他にココナツやパンの木もある。たくさんとれた場合は、コミュニティーで必ず分け合う。
しかし、離島からの移住が進み、人口密度が高まるフォンガファレ島では、そのような生活は難しくなった。理由はいくつかある。まず、現在国際空港として使われている滑走路を作るため、第二次世界大戦中に米軍が、プラカイモ畑をほとんど潰してしまったことだ。フォンガファレ島に住む人たちは主食を自給自足することができなくなったため、オーストラリアやフィジーから輸入された米や小麦が新しい主食となった。
さらに、土地の問題がある。フナフティ環礁は、この島の出身の人たちが住み、土地はそれぞれの先祖から代々受け継がれている。そのため離島から移住してきた人には自分の土地がない。住む家も借りなければならず、プラカイモなどを栽培する畑もない。食料は店から現金で買うことになる。
店に並ぶ食料は、海外から貨物船が定期的で運んでくる。天候不良やサイクロンが起これば、船は来ない。食料不足になると、米、小麦、砂糖、クラッカーなどは配給制になり、緊急支援時は、海外から配給を待つことになる。離島出身の人たちは、日頃から離島と首都の島を結ぶ定期船で、離島にいる親戚からカニやココナツなどを送ってもらうなどし、食料を確保している。しかし、それも天候に左右される。気候変動は、このような食料の確保を不安定にする。
そして、気候災害による被害だ。1月から3月は潮位が1年で最も高くなるキングタイドと呼ばれる現象が見られる。この時期はサイクロンの季節と重なる。キングタイドの満潮時にサイクロンが来ると、浸水だけではなく建物が倒壊するなど大きな被害が出る。「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)によると、フナフティ環礁の海面は、毎年平均で最大約4ミリ上昇していると指摘している。この小さな変化が、サイクロンと重なるとより大きな被害に繋がる。
2015年3月のサイクロン「パム」では、人口の45%が、また2020年1月のサイクロン「チノ」では人口の50%が被災した。天候災害が起こると、人々は、各島の内陸部や小学校など少し高い建物に避難した。幸い亡くなった人はいなかったが、2015年は、離島で雨水タンクが波で流されその後深刻な水不足に陥った。さらに、島の内陸まで流れ込んだ海水でプラカイモの畑がダメになり、ようやく5年経ちまた畑が栽培に適した状態に戻ったにも関わらず、サイクロン「チノ」がまた畑に海水を流し込んだ。
フォンガファレ島で潮位が3mを超えると起きる浸水のようす(筆者撮影)
このように、気候変動は、ツバルの人たちの「生きる権利」を脅かしている。2019年、気候変動の影響を理由に庇護を求めたキリバス人の訴えに対し、国連自由権規約委員会が示した見解において「生きる権利」が考慮された。これは、気候変動を理由にニュージーランド移民保護審判所に難民申請したが認められず、キリバスに送還されることになったキリバス人が、送還によって「生きる権利」が侵害されると最高裁判所まで上訴したのだが敗訴したため、ニュージーランドを相手に、自由権規約委員会の個人通報制度を通じて救済を求めたものである。同委員会は、今すぐに生命の危険が脅かされないが、気候変動の影響が顕在化するキリバスに送還することは、「生きる権利」の侵害に当たると、申立人の訴えを認める見解を示した。この見解に対して、難民高等弁務官事務所は、気候変動の影響を理由に難民申請した人にも、ノンルフールマン原則(生命の危機が予想される国への送還禁止)が認められたことは大きく、補完的保護の道を切り開く歴史的に意義あるものだと評価した。
しかし、これは庇護を求める国にいる個人へ対応で、気候変動の影響を受ける国全体の移住への対応ではない。ツバル政府の気候変動部を管轄する財務大臣は、国全体での移住はあくまでも最終手段であり、すでに起こっている気候変動の影響に適応する対策や解決策ではないと述べる。一方で、教育や経済的な理由で、ニュージーランドやオーストラリアに移住することは、個人の選択として尊重するとしている。そもそも気候変動は、ツバルの人たちが起こしているわけではない。そのような問題で、なぜ自分たちが国を追われなければならないのか。原因を作っている先進工業国がいいと思うところに我々を移住させて問題を解決したことにするのはおかしい。気候変動の影響が出ていても、海外の支援を受け災害への対応強化、護岸工事など行い、いつまでもツバル人としての誇りを持ってツバルで生き続けたいと話す。
ツバル政府の環境部部長は、「我々には、自分の国や島で生き続ける権利(Right to Stay)がある」と言う。 彼の言うこの「生き続ける権利」が、ツバルの人たちにとっての「生きる権利」なのではないだろうか。そして、地球温暖化といった気候変動の原因を作っている日本に住む私たちは、彼らの「生きる権利」を守るため、気候変動に関する「パリ協定」のもと対策を強化していかなければならない。それは、将来世代の「生きる権利」を守ることにもつながるはずだ。