人として♥人とともに
新型コロナウイルス感染症については、前号で、パンデミック対応には最大限の人権の保障が不可欠であると書きました。この2ヵ月ほどの間に、そのことの重要性がさらに明らかになってきています。
ウイルスは人を選びませんが、感染をどのように予防し対応するかについては、深刻で、場合によっては残酷な不平等と不公正が存在します。そして、今回のパンデミックを通じて私たちが目にしている不平等と不公正は、これまでずっとあったのに見えないことにしてきた問題、対応してこなかった問題という側面が大きいと感じています。具体的には、拡がる格差と機会の不平等、非正規雇用の増大と不安定な生活基盤、ジェンダーに基づく暴力への不十分な認識と対応、社会の多様性に関する理解の欠如と不寛容、性と生殖に関する健康と権利、シングルマザーの経済的困難、複数のアイデンティティによる複合的交差的な差別と不平等などが挙げられるでしょう。
パンデミックを機に、このような、本来ならずっと以前に対応すべきであった問題への意識が変わり、法的制度的な対応が拡充するなら、SDGsが謳う「誰一人取り残さない」社会への扉を開くことになるかもしれません。SDGsが誕生した背景には、社会、経済、環境を含めた今の世界への強い危機意識があることを考え合わせると、パンデミックによる危機からの回復がSDGsと歩調をあわせたものになることが望まれます。
さらに、今回のパンデミックで懸念されるのは、感染拡大封じ込めに用いられる対応が、自由の過剰な制限に結びついていることです。ヒューライツ大阪は、他のNGOと共同で、国際NGO、シヴィカス(CIVICUS)の報告書『市民の自由とCOVID-19パンデミック』を日本語に訳しました。
シヴィカスは、世界各国を、集会の自由や表現の自由と密接に関わる市民社会スペースの観点から評価し、「閉ざされている」「抑圧されている」「妨げられている(妨害が存在する)」「縮小している」「開かれている(制限がない)」の5段階で評価してきました。
今回のシヴィカスの報告書は、パンデミック対応に用いられる、外出制限等の自由の制限が、どのような人権侵害や、場合によっては攻撃につながっているかを世界各地からの報告により描き出しています。報告書によれば、市民の自由の制限は、「検閲と情報アクセスの制限」「国家の対応を批判したことによる脅迫と逮捕」「『フェイクニュース』対策としておこなわれる法制定」「人権活動家への攻撃」「監視の強化」「過剰な範囲にわたる緊急事態法の制定」等、幅広い領域に及んでいます。
報告書からは、これまで市民社会スペースが「閉ざされている」と評価されてきた国だけではなく、「開かれている」あるいは「縮小している」と評価されてきた国においても、様々な問題が起こっていることがわかります。
たとえば、南アフリカでは、警察官や兵士がロックダウン違反者を蹴る、銃撃するといった映像が公開されています。バヌアツでは、非常事態宣言発令後、コロナウイルスに関するすべてのニュース記事は、政府の審査を受けるよう定められました。
既に市民の自由が「妨げられている」「閉ざされている」と評価されていた国では、さらに状況は深刻です。ベトナムでは、フェイスブックでパンデミック情報を発信する個人やブロガーを当局が取り締まっています。マレーシアは、ウイルスに関する「フェイクニュース」を拡散したとして37件の刑事捜査を始めました。パキスタンでは、防護具が不足していると抗議した医師や医療スタッフ数十名を警察が逮捕しました。
パンデミックに乗じて人権活動家への攻撃が強まっていることも懸念されます。ホンジュラスでは、女性の人権活動家が、買い物からの帰りに緊急事態宣言下に路上にいたとして逮捕されました。エルサルバドルでは、検疫施設の環境を批判した女性活動家の投稿が中傷キャンペーンのターゲットになり、女性蔑視にあふれフェミニストとしての活動を愚弄するメッセージや脅迫が送られてきています。
国際人権法では、公の緊急事態が発生した場合、いくつかの権利の制限は認められるが、それは、法的根拠に基づいて厳格に必要性が認められ、期間が限定され、目的の達成に相応と認められ、緊急事態によって必要とされる範囲で厳密に適用されなければならないとしています。パンデミックが危機に乗じた権利の制限に結びつかないように、私たち自身の人権意識も問われています。
参考:
シヴィカス『市民の自由とCOVID-19パンデミック』についてはp15をご覧ください。
シヴィカスの活動については、『国際人権ひろば』2019年9月号の「縮小する市民社会スペース~人権と民主主義の危機?」もご参照ください。