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国際人権ひろば No.152(2020年07月発行号)

特集:国籍って何ですか?

日本人ってだれのこと? 外国人ってだれのこと?

木下 理仁(きのした よしひと)
かながわ開発教育センター(K-DEC)理事・事務局長/東海大学教養学部国際学科非常勤講師

いまこそすべての日本国民に問います

 NHKの人気テレビ番組『チコちゃんに叱られる!』を見ていて、毎回、気になることがある。「校長先生の話はなぜ長い?」「なぜ高齢者のことをシルバーという?」など、チコちゃんの質問について街頭インタビューをするVTRの冒頭、「いまこそすべての日本国民に問います」というナレーションが流れるのだが、私はそれを聞くたびに、「テレビの前には『わたしは日本国民じゃないよ』と思いながら見ている人もけっこういるだろうな」と思ってしまうのだ。

 日本に住んでいるからといって、みんながみんな、「日本国民」というわけではない。

 日本国憲法の第3章「国民の権利及び義務」の最初、第10条には「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」とあるが、その法律が「国籍法」だ。国籍法には、どういう人がどういう場合に日本の国籍を与えられるかということが書かれている。つまり、日本国民というのは、日本国籍を有する人のことを指す。

 しかし日本には、約300万人の外国籍の人がいるし、無国籍の人もいる。また、二重国籍、三重国籍の人もいる。そういう人も、テレビの前で同じ番組を見ているかもしれない。

 「すべての日本国民に~」という言い方は、日本には日本国民以外の人は住んでいない、という思い込みからきているか、日本に住んでいれば外国籍でも「国民」だと勘違いしているか、あるいは、外国籍の人の存在を知ってはいても、その瞬間、忘れているのだろう。

日本国民=日本人?

 それにしても、『チコちゃん…』では、なぜ、「日本人」と言わずにわざわざ「日本国民」と言うのだろう?チコちゃんに「日本人と日本国民って、どう違うの?」と聞いたら、どんな答えが返ってくるだろうか。

 「日本国民」は、前述のように、国籍法で定められた日本国籍を有する人のことだ。

 一方、「日本人」を定義づけるのは、けっこう難しい。国籍が「日本」かどうかだけでは決められないからだ。

 国際結婚をした両親から生まれて2つの国のルーツを持ち、国籍は「日本」を選んだが自分のアイデンティティは必ずしもそうではないという人。外国籍ではあるが生まれも育ちも日本で、自分は「日本人」だという意識を持っている人。逆に、国籍は日本だが外国で生まれ育ち、日本語も話せないから、自分が「日本人」だといわれることに違和感を覚える人。また、国籍は「日本」だが、自分では「日本人」というよりもむしろ「アイヌ」だという意識を持っている人。いろんな人がいる。

 また、ブラジルには多くの「日系人」が住んでいるが、その人たちに「あなたはナニ人ですか?」と聞くと、「日本人」と答える人もいれば、「ブラジル人」と答える人もいる。また、ある人は、誰に聞かれたかによって、「日本人」と答えることもあれば、「日系」とか「ブラジル人」と答えることもあるという。自分をナニ人だと捉えるかは、相手との関係性によっても微妙に揺れ動くものなのかもしれない。

 昔とちがって海に囲まれた日本でも国境を越えて人が移動することが容易になり、ことばや文化の異なる人どうしが出会って子どもが生まれ、その子がまた国境を越えて……ということがめずらしくなくなったいま、「日本人」ということばが意味するものも変化してきているのではないだろうか。

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『国籍の?(ハテナ)がわかる本』(太郎次郎社エディタス,2019)

「国籍」を起点にいろいろ考えてみた

 『国籍の?(ハテナ)がわかる本』という本を書くことになって、私はまず、「国籍ってなに?」という問いを起点に自分の頭の中にあることを模造紙に書き出してみた。

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 「あなたはナニ人?日本人?なぜ?」「『国』って何? 国の単位と民族の単位はイコールじゃない」「国籍・出身を隠す(隠していた)芸能人も大勢いる」「○○人を決めるのは自分かも!?」等々。そして、このとき考えた読者に対する最終的な問いかけは、「あなたは、ナニ人として生きていきたい?」だった。

どこかのだれかが決めた「カテゴリー」

 「〇〇人はこういう人」のように、「国籍」という、「国家」の都合で作られた「カテゴリー」をそのまま当てはめて「人間」を理解しようとすることには、絶対に無理がある。

 国家が国家として成立するためには、「領土」や「政府」と並んで、「国民」が不可欠だ。国民のいない国家はありえない。だから、国は法律を作って誰が「国民」かを規定するわけだが、人間は元々、国のために存在しているわけではない。その土地に国というものがつくられる前から暮らしていた先住民族のことを考えれば、それは明らかだ。

 考えてみれば、世の中にはそんな人為的に作られた「カテゴリー」がたくさんある。

 たとえば、障害者手帳を持っている人が障害者で、持っていない人が健常者というのも、そうだ。障害者手帳には載らない「障害」のある人もいるし、あえて手帳を持たない「障害者」もいるだろう。ある場面では「障害者」でも、別の場面ではまったく「障害」を感じることなく活動できる人もいる。

 世の中に存在する「カテゴリー」はすべて、どこかのだれかが何かの都合で作ったものでしかなく、「自分」を表すときにそのカテゴリーを使うかどうかは、その人の自由なはずだ。本人が望まないのに、その人をあるカテゴリーの中に入れてわかった気になるのは、その人の気持ちを踏みにじることになるのではないか。

 さらに言えば、人間が「ことば」を使ってものごとを認識する以上、「カテゴリー」から完全に自由になることはできない。だから、自分がなにかをあるカテゴリーに当てはめて理解しようとしていたら、ちょっと立ち止まって、そのカテゴリーについて考えてみる。そのカテゴリーはいつ、だれが作ったのか? そのカテゴリーに入るもの、入らないものの境界はどこにある? そのカテゴリーを使うことによって得をする人は誰? 損をする人は? それで傷つく人はいないか? 自分自身にそんな問いかけをしてみることが必要なのではないかと思う。

 「国籍」からスタートした私の問題意識は、次第にそんなふうに広がっていった。

「当事者」にとっての意味

 私自身は日本国籍を有する日本人(という自己認識を持つ人間)だが、そうではない人(ここでは一応、「当事者」と呼ぶことにする)がこの本を読んだら、どんな感想を持つだろう?というのが、本を書きながら、実は少し心配だった。それぞれ異なる事情や背景があって、さまざまな経緯で日本に住んでいる当事者の中には、「いや、自分の場合はこうじゃない」という人がいるかもしれない。この本があらゆるケースを網羅しているわけではないし、すべての人の思いに寄り添うことができているかというと、そこまでの自信は、私にはなかったからだ。

 しかし、結果的には、私が思っていた以上に多くの当事者がこの本を歓迎してくれた。

 日本人の夫との間にミックスルーツの赤ちゃんが生まれたばかりの、ブラジル出身で二重国籍、日系3世の若い女性は、自分は当事者ではあるけれど、普段は国籍とアイデンティティの関係について、あまり深く考えることがなかったという。しかし、この本を読んで、「子どもの国籍を決めるときにどんなことを考えないといけないかとか、改めて考える良いきっかけになりました」と言っていた。

 「多文化共生」をテーマに講演をする機会も多い在日コリアン3世の女性は、「在日韓国人」と「在日朝鮮人」はどう違うのかと聞かれて、単純に国籍の違いではないことを日本人に理解してもらうのが難しく、いつも歯がゆい思いをしていたようだが、この本を読んで、「なるほど、こういうふうに(歴史を説明した上で)話せばわかってもらえるんだと思った」と言っていた。

 また、6歳のときに来日し、在留特別許可を得て日本に住むようになったイラン出身の著者が自らの経験を綴って話題になった『ふるさとって呼んでもいいですか』(大月書店, 2019)という本の中にも、参考文献としてこの本の名前が挙げられていた。

 ほっとすると同時に、「日本人」だけでなく、外国にルーツをもつ「当事者」にとっても意味のある本になったことがうれしかった。

 ちなみに、私は先日、チコちゃんの番組に宛てて、「『日本国民~』というナレーションは変えた方がいいと思う」という意見と、この質問を番組で取り上げてほしいというメールを送った。

 「日本人ってだれのこと?」