人権の潮流
2020年8月、特定非営利活動法人大阪環境カウンセラー協会(OECA)が企画した青森県六ケ所村で操業する日本原燃(株)の「原子力燃料サイクル施設」の見学ツアーに参加した。このツアーは、東京にある原子力発電環境整備機構(NUMO(ニューモ))が放射性廃棄物の最終処分に関する市民の理解を図る目的で実施している学習支援事業の助成を受けて実施された。OECAとヒューライツ大阪は事務所が隣同士という縁で、私は参加する機会を得た。
NUMOは、原子力発電所の使用済燃料から出る高レベル放射性廃棄物を地下に処分するための場所選定、処分の実施、処分場閉鎖後の管理など、最終処分全般を担うための事業体だ。「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」の施行を受けて2000年10月に国策として設立された機関である。
日本原燃は、高レベル放射性廃棄物の貯蔵管理センターをはじめ、低レベル放射性廃棄物埋設センター、ウラン濃縮工場、使用済み燃料受入貯蔵施設、建設中の再処理工場とMOX(混合物酸化)燃料工場などを有す原子燃料サイクル施設である。
同社は、全国の9つの電力会社、日本原子力発電(株)をはじめ原子力関連機関が出資して1992年に設立された非上場の企業だ。本社は六ケ所村にある。
ツアーに先立つ7月中旬、OECAが事前学習として企画した「高レベル放射性廃棄物の地層処分」に関するオンライン勉強会に参加した。私は、使用済み原子燃料から出る高レベル放射性廃棄物の処分場が決まらないまま原発が続いていることをずっと以前から耳にしていた。しかし、「トイレなきマンション」に例えられる状態が長年解決しない理由について、はっきりとは知らなかった。
学習会では、NUMOの地域交流部専門部長を務める富森卓さんが約90分間、50枚超のスライドからなるパワーポイントと動画を用いて解説した。初めて聞く専門用語ずくめだったものの、私のような門外漢が理解できるよう噛み砕いて話していただいた。
以下、学習会で示された盛りだくさんの情報のなかで、印象深く受け止めたことを箇条書きにしてみる。
8月10日、大阪府内の理髪店組合関係者や学校教員など総勢19名のツアー参加者が伊丹空港に集まった。新型コロナ感染への警戒と自粛から、盆休み中であるにもかかわらず空港内は閑散とし、三沢空港に向かう機内もガラガラであった。
三沢に到着後、合流したNUMOの富森部長からオンライン学習の続編として、原発の現状と原子燃料サイクルに関する講義を対面で受けた。全国の原子力発電所で現在保管されている合計1.9万トンの使用済燃料が今後リサイクルされるならば、すでにリサイクル済みの分とを合わせると、ガラス固化体は2.6万本に達するという。NUMOは、さらにそれを上回る4万本以上のガラス固化体を処分できる施設を計画しているそうだ。
「次世代に負担を残さないために、自分たちの世代で処分に道筋をつけなければならない」と富森さんは語った。
翌朝、貸切りバスで三沢から北上し六ケ所村に向かった。車窓から海、森林、沼など自然を堪能すること1時間余り、六ケ所村に到着した。街の中心部は、綺麗な公共施設や住宅などが連なっている。3,000人の従業員を擁する日本原燃の企業城下町というにふさわしい光景が広がっていた。かつての農漁村がレイクタウンと呼ばれる小洒落た街に変容している。
私たちはまず、「六ケ所原燃PRセンター」の建物に通された。副館長から日本原燃の概要説明を受けたあと、スタッフの案内で原子燃料サイクルをビジュアルに示す見学コースを巡回した。
その後、別の区画にバスで移動し、ウラン濃縮工場と低レベル放射性廃棄物埋設センターを窓から見学した。見学者は私たちだけなのだが4人ものスタッフが随行した。そして、再び敷地外に出た後、別のゲートから高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターや建設中の再処理工場があるエリアに入った。PRセンター以外での写真撮影は禁じられたのだが、こちらのセキュリティはさらに厳しく、建屋に入る前の検問所では事前に提出していた顔写真と体重の照合が行われた。テロなど不測の事態を警戒しての厳重チェックだという。
窓のない建屋内を案内され、ガラス固化体に収められた高レベル放射性廃棄物の管理センターに到達した。2020年7月末時点で、1,830本の固化体が保管されているという。いずれも、かつてフランスとイギリスの施設に再処理を委託し、処理後に返還されてきたものだ。小さなのぞき窓から保管所の内部をうかがい知ることができた。
六ケ所原燃PRセンターで説明を受ける参加者
今回、見学を通じて、おおよその流れを理解することができた。だが、NUMOや日本原燃、そして政府が進める地層処分についてどうしても納得がいかない。高レベル放射性廃棄物は、放射能が安全なレベルに下がるまでに数万年~10万年を要するという。それを地下300m超の地層に埋め「自然に委ねる」のが真に安全な方法なのだろうかと。
日本で原発が稼働して50年以上が経過した。再処理を待つ使用済燃料は1.9万tに達する。原発を動かせば動かすほど、使用済み燃料がさらに増えることになる。
日本はすでに、原爆の材料になりうるプルトニウムを46t保有している。原爆6,000発に相当する量だ。日本原燃は、国際原子力機関(IAEA)による抜き打ちを含む査察を受けており、核兵器転用などありえないと断言する。
一方、原子力燃料サイクル事業は難航している。日本原燃は8月22日、1993年に着工した再処理工場の完成予定が2021年上期から1年遅れると発表した。トラブル続きによる完成時期の延期はこれで25回目だ。建設費は当初7,600億円から2.9兆円に膨らみ、さらに増える見通しとなった。
最終処分場の誘致に関して、10月8日に北海道寿都町、10月9日に北海道神恵内村が「文献調査」への応募を表明した。処分場選定の調査プロセスに応募することで国から受け取れる数十億円の交付金が背景にある。だが、北海道は放射性廃棄物の最終処分地にしないための条例を2000年に制定しているのである。
原発は、安全性への不安と隣り合わせで、経済性からも巨額の開発費やさまざまな対策費を必要としており、ハイリスク・高コストのエネルギー源ではなかろうか。はたして、原発-原子燃料サイクルは、持続可能だといえるのか。
六ケ所村をはじめ村が位置する下北半島には、原子力関連施設が集中するだけでなく、たくさんの太陽光発電のソーラーパネル、風力発電のプロペラ型の風車が稼働している。いまある廃棄物を安全に処分することは大命題である一方、原子力にかける巨大な予算を、再生可能エネルギーの開発に投入するという政策転換を真剣に検討すべきではなかろうか。