アジア・太平洋の窓
世界保健機構(WHO)によれば、2021年9月末現在、全世界で合計2億3千万件以上のコロナウイルス感染、そのうち死者470万人以上が報告されている。パンデミックが文字通り世界中をおそい、健康だけでなく、社会、経済のさまざまな面に影響を与える中、ワクチンの開発は感染対策の大きな転機だったと言っていい。Our World in Dataという統計・研究機関の調査によれば、これまで世界中で接種したワクチンは60億回を超え、世界の人口の44.5%が少なくとも一回接種している。
通常、ワクチンの開発には10年から15年かかると言われている。その意味でコロナウイルスに対するワクチンは異例のスピードで行われたと言っていい。かといって現段階で、世界中の全ての人に対して十分な量が生産されているわけではない。ウイルスは感染する人を選ばないが、ワクチンの生産、分配、投与は人が行う。誰もが必要とするのに量が足りなければ、必然的に獲得競争となり、どこかで不平等や格差が生まれ、差別的に取り残される人が出てくる。世界の人口の44.5%という統計の裏には国家間、それぞれの社会に存在する格差と不平等が隠れている。
上記のOur World in Dataの調査によると、いくつかの国では2021年9月末までにすでに人口の70?80%以上が少なくとも2度ワクチン接種を受けている(例えば、ポルトガル85%、アラブ首長国連邦83%、スペイン78%、シンガポール77%、カタール76%など)。一方、最も低いところを見ると、コンゴ民主共和国が0.04%、イエメン0.05%、チャド0.15%、ハイチ0.16%、ベニン0.17%、中央アフリカ共和国0.2%などとなっている。
ただし人口の多い国ではそれだけワクチン量が必要となるため、この割合が実際のワクチン接種数を示しているわけではない。例えば9月末の段階までで、中国では10億人以上(人口の約70%)が、インドでは2億人(人口の約16%)を超える人が2回ワクチン接種を受けている。2回ワクチン接種を受けた人数を多い順から並べると、中国、インドに続いて、アメリカが1億8,400万人以上、 ブラジルが9,000万人、日本が7,500万人、ドイツ5,300万人、インドネシア5,100万人などとなっている。一方、割合の低いところであげた国を見ると、イエメンが約15,000人、コンゴ民主共和国約37,500人、チャド約24,800人、ハイチ約19,000人、ベニン約21,400人、中央アフリカ共和国約9,900人で、やはり実際の接種数でも国家間での大きな差が出ている。
このような国家間の差は、すでに半年以上前から生じていた。特定の国は諸々のワクチンがまだ試験段階にあった2020年度前半から、有望と見られたワクチンの開発援助や獲得に動いていた。もちろん、全ての国がそのような対応をできるほどの資金や資源、情報を持っていたわけではない。また、ウイルス変種も出ていなかった当時、国内の感染状況と比較してワクチン確保の必要性を軽視し、対応の遅れた国も少なからずあった。いずれにせよワクチンはタダではない。ワクチンの種類や国家と生産者間の契約、実際の接種の形態にもよるが、概算単価は大体5ドルから35ドルの間くらいだ。生産量が限られる中、早期に大量のワクチンを確保しようとすれば、それに見合うだけの予算が必要となる。もちろん感染率も国によって差があるし、まずはより多くの人に少なくとも1回のワクチン投与を優先している国もあるため、単純に比較することは難しいかもしれないが、そこには国家間の経済格差が大きく反映され、現状は低所得国が取り残される形となっている。
2020年後半、いくつかのワクチンが試験最終段階、または使用許可申請段階に入った時、低所得国や対策の遅れていた国では、人口の1割程度への一回分のワクチンしか確保できていなかったのに対し、欧米各国はアストラゼネカやファイザー、モデルナなど、有望と見られたワクチンの使用許可さえおりれば、全人口に3?5回は投与できるくらいの量を確保していた。このような特定の国による利己的なコロナウイルスワクチン獲得(むしろ買い占めと言っていい)の動きは、「ワクチンナショナリズム」と称され、警鐘が鳴らされていた。
コロナウイルスが社会、経済に及ぼす影響はどの国も身をもって理解している。自国内のためにワクチン確保を優先する、というのは各国政府として当然だろうし、むしろ国内の貧困層や特にパンデミックによって被害を受けているグループに対し、無償または安価なワクチンをできるだけ提供する、というのは義務であると言ってもいい。ただ試験段階のワクチンを購入するにはリスクがある。どのワクチンがどれだけ有効なのか、どれだけの投与が必要となるのか、どのような副作用があるのか、それらの疑問への答えが見込みの段階で、大量のワクチン購入契約を結ぶのは正直なところ大きな賭けだ(いくつかの国にとって今回は結果的に賭けが当たった)。そのような賭けに出るには経済的余裕だけでなく、国内でのワクチン開発施設やノウハウの有無、製薬会社への国家的規模の援助など、様々な資源や知識が必要となる。
2021年に入り、複数のワクチンがWHOや各国国内の検査を経て実際の投与が開始可能となった頃、変異株の出現に伴い、感染の新たな波が広がり、ワクチンへのニーズは世界中でさらに高まった。しかし多くの国でワクチン獲得のために必要な予算や設備等の準備ができた時には、ワクチンの大部分はすでに欧米各国への(当面必要以上の)配送が決まっており、取り残された国は待つしかない状態となった。
ワクチンの平等分配に関する問題は今にはじまった事ではない。コロナ禍はそれを改めて浮き彫りにした、と言った方がよいだろう。富裕国や自国内にワクチン開発や生産を行う施設、技術のある国は明らかに有利な立場にある。コロナウイルスに対するワクチンの分配に関しても大規模な格差ができてしまうということは当初から懸念されていた。2020年半ばにはWHOやジュネーブに本部を置くGaviという低所得国・貧困層へのワクチン分配を行う国際組織などが連携し、Covaxという国際的な調整機関が作られ、低所得国に分配するためのワクチン確保が開始された。Gaviの発表によれば、これまでのところ143ヵ国がCovaxに加わり、3億回以上のワクチンが低所得国に向けて分配されている。ワクチンを大量に保有する国からのワクチン寄付も始まった。しかし上記のデータから見える現状は「平等」という分配には程遠い。今後、効果の高いワクチンの生産量が増えていき、Covaxなどの取り組みが進んでいけば、現在のワクチン格差は多少是正されるだろう。しかし、WHOやCovax自体がワクチンを生産しているわけではないため、それだけでは結果を是正するにすぎない。
完全とは言わないまでも、より平等に近い分配を実現するには、生産されたワクチンだけではなく、その開発、生産、保管、接種の一連のプロセスに必要な資金や資源、施設や技術の分配または共有が必要だ。コロナウイルスはずっと居続けるだろう。インフルエンザのように、ワクチンの有効期間や変異株に応じて、定期的なワクチン接種が必要となる可能性は大いにある。また新たな感染症ウイルスが出現することもあり得る。いずれにせよ、ワクチンに対するニーズは恒常的にあり、市場は競争が激しい。そこで利益を生む製薬会社が簡単にワクチン生産のノウハウや資源を共有するだろうか。感染症の深刻度が高ければ、ワクチンを大量に保有する、または輸出する国の政府にとってそれは資金源としてだけでなく、政治的駆け引きの道具としても格好の価値がある。それらの非営利的な共有や分配は今の世界でどれだけ可能なのだろうか。
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Centre for Civil and Political Rights (CCPRセンター):国連自由権規約を活用して世界各地の市民権、政治権に関わる人権のより効果的な実現と保護を目指す国際NGO
http://ccprcentre.org/
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ISSYO:南アジア、特にインドで差別、排除の複合的な結果として、より脆弱な立場におかれたマイノリティの女性や若者、子どもを、それぞれのニーズに基づき、自立のために支援する活動をしている。現在は奨学金を通した教育支援、宿舎・シェルターによる生活支援が中心だが、コロナ禍で農村の貧困層への支援物資配給なども行っている。
http://issyo-ngo.org/