特集:気候変動と人権
日本ではあまり認識されていないが、気候変動問題の重要なテーマの1つに「人権」がある。本稿では、気候変動の科学的知見と深刻化する脅威、気候変動と人権の関係、COP26グラスゴー会議の結果をもとに、日本の課題を考える。
科学はこれまで以上に明確だ。2021年8月、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第1作業部会の第6次評価報告書が発表された。この報告書は66カ国の234人の科学者が執筆し、517人が執筆協力し、専門家や政府による78,007ものコメントを踏まえてまとめられたものであり、最も信頼性が高い。この報告は、「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」と断じている。また、「人為起源の気候変動は、世界中の全ての地域で、多くの気象及び気候の極端現象に既に影響を及ぼしている」とも述べた。
すでに気候危機は顕在化している。国内各地で記録破りの気候災害が頻発しているのは周知の事実である。世界に目を転じれば、アフガニスタンで灌漑事業に尽力したペシャワール会の故・中村哲氏は、「地球温暖化による沙漠化という現実に遭遇し、遠いアフガニスタンのかかえる問題が、実は『戦争と平和』と共に『環境問題』という、日本の私たちに共通する課題として浮き彫りにされた」と述べている1。環境変化によって農業が立ち行かなくなると、村を離れ、武器を手に取り紛争に向かわざるをえなくなる場合がある。気候変動によって貧困や飢餓といった既存の脅威が膨れ上がれば、持続可能な開発目標(SDGs)の全面達成は不可能となろう。
気候変動は次世代にとってより深刻なリスクである。2021年9月27日にセーブ・ザ・チルドレンが発表した報告によれば、パリ協定のもと各国が掲げる目標に基づいて分析すると、2020年生まれの子どもは、1960年生まれの人と比べて、平均して2倍の森林火災、2.8倍の農作物の不作、2.6倍の干ばつ、2.8倍の河川の氾濫、6.8倍の熱波に直面することになる2。グレタ・トゥーンベリ氏が「あなたたち(大人たち)は私たちの未来を奪っている」というのは、まさに現在進行中の揺るぎない事実と言わねばならない。
気候変動と人権問題は密接に関係している。第1に、気候変動の悪影響によって人権状況が悪化する。先述のアフガニスタンの例を見れば、容易に想像がつくだろう。第2に、不適切な気候変動対策の実施によって人権が脅かされる。気候変動対策として正当化されてきた原子力発電の事故による地域コミュニティへの被害は、重大な人権侵害と言わねばならない。また、国際的に炭素規制が強化される中、政府が適切な脱炭素戦略を持たぬために、国内の化石燃料産業が立ち行かなくなり、雇用喪失の懸念がある。労働者の人権を確保するため必要な支援を行いながら脱炭素の産業転換を進める「公正な移行」が必要である3。第3に、人権の欠如によって気候変動対策が阻害される。近年、世界で環境活動家が年間200人以上殺害されているとの報告4や、石炭火力発電所の新設に反対する地元住民が迫害される事例5が思い浮かぶ。人権が確保されなければ気候保護も進まない。逆に言えば、人権保護を前提に民主的かつ適切な対策によって気候危機を防ぐことができれば、気候保全と人権保護の双方にとって大きな前進となる。
気候変動と人権の関係は国際社会においても長らく議論されてきた。2021年10月8日、国連人権理事会が、第48会期において、「安全でクリーンで健康的で持続的な環境への権利」決議を採択したのは、その到達点のひとつである6。この決議は、気候変動などの環境被害が人権に悪影響を及ぼすことを認識し、情報へのアクセスや政策決定への参加、効果的な司法へのアクセスや効果的な救済措置への支援が重要だとしている。この決議は、43カ国が賛成し、反対ゼロで可決されたが、日本・ロシア・中国・インドが棄権した。日本の後進性が露骨に示された結果となった。
オランダ最高裁判所の2019年の判決も画期的だ7。最高裁は、気候変動による影響は既に現実に切迫した人権侵害であり、国には、実効性ある方策を講じてこのような重大で広範な人権侵害から市民を保護する義務があるとした。「気候変動対策は政治的な交渉によるもので行政・立法府の裁量に委ねられている」とする国の主張についても、「人権侵害から市民を守るのは裁判所の職責」と述べて退けた。日本の政府、司法、市民社会は、これに大いに学ぶべきである。
2021年10月31日から11月13日にかけて、英国グラスゴーで国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)が開催された。COP26では、危険な気候変動を防ぐため、「1.5℃目標を達成不可能にしない」との声が繰り返し聞かれた。また、議長国イギリスの采配で連日イベントが開催され、脱石炭・脱化石を宣言する国や地域がますます広がりを見せた。他方、全体会合で演説した岸田文雄首相は、日本の官民が国内外で進める石炭火力発電計画を見直すことなく、排出削減効果のない水素・アンモニア混焼をアジア諸国に広げるとしたことの意図が火力発電の温存にあると見抜かれ、国際的な批判を招き、「本日の化石賞」を受賞してしまった8。
最終日、COP26は「グラスゴー気候合意」を採択し、閉幕した。この合意は、「2℃未満」を超え、「1.5℃」をめざす決意を打ち出した。締約国に対して2022年末までに国別貢献を見直すことを要請したことも重要である(日本政府がこの合意事実を国民向けに説明していないのは受け容れられない)。加えて、今回の決定の中で石炭火力発電の削減や化石燃料補助金の廃止に言及したのは画期的だった。パリ協定第6条のメカニズム、共通の約束期間といったパリ協定の詳細ルールや途上国支援に関連する分野についても不十分ながら合意がなされた。
もとより新型コロナのワクチン格差で途上国代表のアクセスが限られる中、市民の傍聴も十分に認められず、人権と透明性への懸念が強い締約国会議でもあった。合意の前文で人権の重要性に触れ、人権やジェンダー平等のため、「気候エンパワーメントのための行動(ACE)に関するグラスゴー作業計画」の実施開始を求めているものの、残念ながら十分な内容とはなっていない。人権保護のための監視と実践は、今後ますます重要になる。
グラスゴーの結果を受けて、日本政府は、1.5℃目標への決意を示し、2022年末までの温室効果ガス排出削減目標の強化、脱石炭・脱化石方針の策定を急がなければならない。また、これらの気候変動対策の検討と策定のプロセスにおいては、人権を中核に据え、女性やユースを含む包摂的な市民参加を確保すべきである。さもなくば、2022年11月にエジプトで開催されるCOP27において、再び国際的な批判を受けることになろう。
残念ながら、日本社会においては今も様々な領域でマイノリティの人権が侵害されている。気候変動に取り組む市民も、「人権」を共通言語にして、社会に根強く残る多様な人権課題の解決に連帯することが必要だろう。
1:中村哲(2013)『天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い』NHK出版。
2:Save the Children (2021) "Born into the Climate Crisis: Why we must act now to secure children's rights"
< https://resourcecentre.savethechildren.net/node/19591/pdf/born-into-the-climate-crisis.pdf >
3:気候ネットワークが2021年に発表した事例集『公正な移行―脱炭素社会へ、新しい仕事と雇用をつくりだす―』を参照。
<https://www.kikonet.org/info/publication/just-transition-report>
4:Global Witness (2021) "LAST LINE OF DEFENCE"
< https://www.globalwitness.org/en/campaigns/environmental-activists/last-line-defence/>
5:例えば、FoE Japan「インドネシア・インドラマユ石炭火力発電事業」
< https://www.foejapan.org/aid/jbic02/indramayu/180322.html >
6:気候ネットワーク「環境・気候変動問題は、人権問題である:国連人権理事会決議に対する日本政府の「棄権」に対するコメント」
< https://www.kikonet.org/info/press-release/2021-10-12/UNHRC >
7:気候ネットワーク(2020)の判決紹介「オランダ最高裁『危険な気候変動被害は人権侵害』科学が要請する削減を政府に命じる」を参照のこと。
<https://www.kikonet.org/info/publication/Urgenda-climate-case>
8:本日の化石賞は、気候変動交渉の足を最も引っ張った国に贈られる、不名誉な賞である。